『自分との対話』

 夕日が照らす放課後の教室。
 夏の始まりを告げるような爽やかな風がカーテンを揺らす。
 教室には二人。
 学校の課題に取り組む僕と、そんな僕の目の前で優雅に本を読む先輩。
 そんないつも通りの光景――――

 「さて後輩君」
 今日出た数学の課題をこなしていると対面に座る先輩から声がかかった。
 「なんですか? 先輩」
 課題から目を離して先輩の方へ目を向けると、先輩は満足そうに微笑んで先ほどまで読んでいた文庫本を閉じて机の上に置いた。
 どうやら沈黙に飽きたらしい。
 「今日も私と話をしましょう」
 先輩の話はいつも唐突だ。僕は律儀に出していた文房具を片付け先輩の方へ向き直った。
 「いいですけど、今日は何の話ですか?」
 「そうねぇ……」
 先輩は顎に手を当てて少し考えた後、人差し指をピンと立てた。
 「『自分との対話』というのはどうかしら?」
 「『自分との対話』……ですか」
 今度は僕が考え込む。
 「ゲームとかアニメとか、漫画とかにはよくある展開ですよね」
 「そうね、創作物ではよく取り上げられる題材ね」
 古今東西色々な創作物で取り上げられる題材であり、なおかつかなり重要なシーンとして描かれることが多い。
 僕はプレイしたことのあるゲームのシーンを思い出した。
 「……それで、その『自分との対話』がどうしたんですか?」
 「どこまでが範囲だと思う?」
 「?」
 先輩は楽しそうに笑いながら質問してきた。
 「例えば、自分の思考や経験を完全にトレースしたアンドロイドが出来たとして、そのアンドロイドと自分が対話している状態は『自分との対話』になるのかしら?」
 自分と全く同じ思考をするコピーとの対話。
 考えてみると奇妙だが、『自分との対話』には限りなく近しい状況であろう。
 しかし、あくまでも『近しい状況』であって、『自分との対話』それ自体とは違うように思えた。
 「近いとは思いますけど、やっぱり違うんじゃないですか?」
 「それはなんで?」
 「うーん、いくらアンドロイドが自分のコピーだからと言って、自分自身ではないからですかね……」
 そうあくまでアンドロイドは自分のコピーであり、オリジナルの自分自身ではないのだ。
 「なるほどねぇ」
 僕の答えを聞いた先輩がまた楽しそうな笑顔を浮かべた。
 「じゃあ、今度は創作物でよくある『自分との対話』について少し考えてみましょう。」
 笑顔のまま先輩が続ける。
 「創作物の『自分との対話』を少しでも科学的に説明しようとするときいくつか挙げられる例があるわ。例えば、解離性同一性障害、いわゆる多重人格のことで、主人格とそれ以外の人格との対話や統合のシーンなんかがよくテーマとして扱われるわね。
 例えば、サードマン現象、危機に瀕した人間が見る幻覚のようなもので、遭難した人間や火事に遭った人間が『誰か』に導かれて助かったなんて証言することがあるけれど、それらはこのサードマン現象だと言われているわ」
 なるほど、と思った。
 多重人格については言わずもがな。サードマン現象に関しては確かに、追い詰められた主人公が幻覚の中で自分と対話し、危機を乗り越える状況を説明しているように思える。
 「確かに、それでも説明できるものは多い気がします」
 僕が肯定すると先輩は首を縦に振った。
 「この二つに共通して言えることは自分の中に自分以外の他人を作り出していることね」
 多重人格は辛い現実から目を背ける目的で、自分じゃない自分を作り出す。
 サードマン現象は、命の危機に対して、危機を乗り越えるために、自分のすべての経験を使って最適解を出し続ける自分を作り出す。
 確かにそれらの人格は自分の中にいる他人と呼んでいいのだろう。
 「さて、ここで最初の話に戻りましょうか」
 先輩がパンと手を叩いた。僕は考察から現実に戻された。
 「自分のコピーであるアンドロイドは、自分でありながら他人であるわけだけれど、これは解離性同一性障害やサードマン現象における別人格と何が違うのかしら」
 振り返って考えてみると、確かに何が違うのか明言することが出来なかった。
 アンドロイドもまた自分でありながら、他人であるという条件は満たしているのだから。
 「果たして、『自分との対話』の範囲はどこまでなんでしょうね?」
 そう言って、妖しく微笑んでから先輩は立ち上がった。
 「さて、今日は帰りましょうか。もうだいぶ日も落ちてきてしまったわ」
 気が付けば教室を照らす夕日がだいぶ暗くなっていた。
 いつの間にか文庫本をカバンの中にしまっていた先輩に気づき、慌てて僕も机の上を片付け帰る準備をした。

 二人そろって教室から廊下に出る。
 だいぶ傾いた夕日に照らされている廊下は、部活動で残っている生徒の声がかすかに聞こえてくる程度で他の物音は一切しない。
 「それじゃあ後輩君、また明日」
 「はい、また明日」
 別れを告げると先輩の背中は廊下の奥へ消えていった。

                                 完

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