from white to scarlet 4

 「それでどれだけの人間が苦しむことになったと思っているんだ」
 押し殺したような言海の声は、実感を伴う多大なプレッシャーを放っていたが、しかしアメイシアは相変わらず優雅に頬杖を付いて、それから口を開いた。
 「さぁ? 興味の無い、意味のない数を数える趣味は無いもの」
 それは、あまりにも平坦に吐き出された言葉だった。
 俺には知る由もないことだが、こんな状況で、琴占言海と対面した状態でそんな言葉を平常に口にできる人間が何人いるのだろう。
 きっと、ジェームズでさえ思いとどまるだろうというのは、隣から感じる雰囲気だけで理解できる。
 言海は今きっと、迸る怒りを抑えて言葉を探している。
 そんな言海を嘲笑うように、言海が口を開く前にアメイシアが言葉を続けた。
 「それにオーブを手にした全員が苦しんだわけではないわ。中には救われた人間だって居た」
 「そんなもの詭弁だ」
 「あら。全員が全員、貴女のような『特別』ではないのよ? 中には『現実』が憎くて憎くて仕方のない人間だって居るわ。オーブはそんな彼らに『特別な』力と『希望』を与えてあげたわ」
 「短い夢だけれど」と付け足すアメイシアの表情は美しく、妖艶に、そして優雅に歪んでいた。
 横目に見た言海は、何かを言おうとして言葉を飲み込んだ。
 俺と言海の長い付き合いの中で、そんな場面を見たことがあっただろうか。
 こんな場面に出くわして、琴占言海の恋人である俺は口を開くことさえできず固まったままでいいのか。
 俺に出来ることはないのか。
 何か、何か、何か。
 視線が泳がせた。
 隣、右の言海の方ではなく左、アメイシアの方。
 視線が合う。
 アメイシアの表情が瞬間、優しく柔らかくなった気がした。
 「特別な存在になれなかった普通の貴方は、そうは思わない? 風島清景」
 アメイシアの口角が一層強く、一層深く歪んだ。
 「――ッ!? やめッ――!!」
 「遅いわ。とっくに終わっているもの」

 「は……?」

 こちらに手を伸ばそうとする言海がやたらとスローに見えた。
 こういう時の言海の動きが捉えられるなんて、不思議だった。
 俺の右手、さっきアメイシアに握られた方の手の中で何かが強い熱と強い光を放っていた。
 手の中に突然感触が現れる。
 丸い、球体?
 急激に何かが実体化していく。
 実体化した球体は一層熱と光を強くして、俺の全身の感覚を回収していくようだった。
 視線だけが動かせた。
 自然と言海の方へ。
 目が合った言海の表情は二十年近い付き合いの中で初めて見るものだった。 
 焦燥、後悔、怒り。
 双眸の奥でいつも煌めく意思の灯が、揺らいでいた。
 喉と口は動かなかった。
 こんな大事な時にそれらを動かせないなんてロックバンドのボーカル失格だな、なんて下らない思考が流れた。
 仕方が無いから、視線で伝えよう。
 長い、特別な付き合いだ、きっと伝わってくれる。
 全身の感覚は殆どなかった。
 視界も半分以上が白く染まっている。
 それでも、意思を持って言海を見た。
 「ごめん、言海。ーーーー。」
 
 直後、全ての感覚が消失。
 全てが黒に染まった――。



 「貴様ッ!!」
 琴占言海らしからぬ強い言葉だった。
 そして、その言葉よりも早く攻撃を仕掛けた。
 ただ拳を握りしめるだけ。
 それだけで、目の前の仇敵――アメイシア・テオフーラ・ファナシオンの座っている『空間ごと』捻り潰す、はずだった。
 言海の超常すら超える超常の攻撃はしかし、無意味だった。
 潰したはずの空間の上で、アメイシアは優雅にコーヒーの最後の一口を飲み終えた。
 『貴女、それだけの力が使えるのに概念空間攻撃は下手ね』
 クスクスと堪えるような笑い声が不協和音のように周囲に不自然に響き渡る。
 コーヒーカップがテーブルに置かれる。
 アメイシアの身体が空間に侵食されるように次第に無くなっていく。
 言海の攻撃を受けて、ではない。
 アメイシア自身の操る強力な力の一つだろう事は、容易に分かった。
 言海は拳を握ったまま動けなかった。
 
 『でも楽しかったわ、琴占言海さん。次に逢う時は――。そうね、『最後』まで遊びましょうか』
 『それでは、ごきげんよう』と言いかけて、アメイシアは思いだしたように言葉を止めて、言葉を改める。
 『清景君だけれど、死んだわけではないわ。ふふふ、私の大切な人を殺すわけないものね。悪いのだけれど、彼の身体をきちんと運んであげてね? それくらいは貴女でも出来るでしょう?』
 ふふふ、と一層優雅にアメイシアが笑う。
 『それでは、ごきげんよう』
 アメイシアの身体の、最後のひとかけらが空間に呑まれるように消えていった。
 
 「…………」
 残されたのは、動けないままの琴占言海と完全に意識の無くなった風島清景の抜け殻だけ。
 薄曇りの空の下、二月の冷えた空風が穏やかにテラスに吹き抜けた。
 琴占言海は動かない。
 風を受けてわずかに揺れる宇宙の深淵を想わせるような漆黒の前髪の奥の、その双眸の奥の灯は――。

From white, to scarlet.


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