『未来から来た自分』

 このメモは私自身の思考整理用のメモである。
 私には幼いころから聴こえる声がある。
 どうやら実際には発声されている類の声ではないようである。
 あの声はいったい何なのだろうか?
 私にはあの声は私自身声のように聴こえている、そして私以外に声の聴こえる人間がいない以上、私自身の声であるという仮説をもとに思考するしかない。
 
 私はその声に耳を傾けることでこれまで多くの利を得てきた。
 親兄弟、親類縁者もなく、自分の生まれさえ定かではなく、社会の闇の中に突然発生したような私が今こうして文字の読み書きのみならず、高等教育を受けて暮らしている現状自体声に助けられることで得られた地位である。
 幼いころであればどう生き抜いていけばいいのか、自分に必要なものが何処にあり、どうやって手に入れられるのかが明確に聴こえていた。
 時には真っ当な手段ではなく、このメモ書きに書くことすら憚られるような手段を取るよう聴こえてくることも多々あったが、そういった手段を取った場合にも声に従えば決して他人に知られるようなことはなく、あっさりとなんの差し障りもなく事が運んだ。
 だから、天涯孤独な身である私だが、人生に不自由を感じることはなかった。

 あの声の正体について一つ憶測がある。
 あの声は未来から来た自分の声なのではないだろうか。
 そう考えると合点がいくことがいくつかある。
 私に聴こえる声が私自身と同じ声に聴こえるという事にも説明がつく。
 何故なら未来からの声であろうとその声は紛れもなく自分自身の声だからだ。

 争いに関わることが幼いころから多々あった。
 私の出自の関係上、そういったことは日常茶飯事であったし、そうしなければ生きていけないような場所で生活を送ってきたのだが、そういった争いの中でも私には声が聴こえていた。
 相手が何をしてくるのか、自分がどうするべきなのか、それらが私には聴こえてくる。
 私はその声に耳を傾け、声を理解し、一つ一つ実行していけばいいだけだ。
 そうするだけで、相手がどんな人物であろうと私の相手にはならない。
 相手が複数人であろうと同じで、相手が何人なのか、これから増えるのか、どういう行動を起こしてくるのか、どの人物から狙うべきなのか、何人倒せばいいのか、そういった情報の全てを私は手に入れることが出来る。
 
 もし、声の正体が未来の自分であるのなら、自分が関わった相手が何をしてくるかは容易にわかるであろうし、その情報を過去の自分に伝えられるのであれば、それをしない理由などない。
 だから、私は声の正体を未来から来た自分だと仮定している。
 
 人知の及ばぬ存在であり、自分に都合のいい助言を与える、頼るべき存在を多くの人間は神と呼ぶであろう。
 私にとってあの声は正しく神のようでもあり、そして私自身でもある。
 私にとっての神とは私自身に他ならぬのであろう。

 私自身が神という存在であるならば、世界の全ては私の思うままでなければならない。

 私の至上の目的は、私の思うままの世界を創造し続けることである。

 私は神足る者なのだから。

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