『ギターを弾けないギタリスト』

 「どうっすかなぁ……」
 窓に面した大通りを眺めながら呟いた。
 空は朱に染まり始めたが、大通りを行くヒト達は少しずつ増えてきたようだった。
 仕事が終わり家路についている者も多いだろう、しかしそれだけではない。
 多くの者が集い始めた理由、それがどこからともなく聴こえてくる。
 歌声と打楽器を叩く音、そして美しい旋律を奏でる笛の音。
 正確に言えば「笛」だけでなく、管楽器、吹奏楽器と呼ばれる分類の楽器の音だ。
 それが一か所からではなく複数の個所から聴こえてきている。
 大通りを行くヒト達はそれらの一つ一つに、感動したり、熱狂したり、様々な感情をぶつけ大いに楽しんでいる。
 「……どうすっかなぁ」
 そんな喧騒を耳にしながら、狭い部屋の奥に鎮座した黒い大きなハードケースに目を向けて、呟いた。


1/
 部屋にいても何も始まらないので、とりあえず建物の二階にある部屋を出て、表に面した一階に顔を出すことにした。
 一階は酒場になっており、夕刻を迎えたこの時間から祭りのような賑やかさを見せていた。
 騒いでいるヒト達の間を抜けて、カウンターに出ると彼の恩人である、この酒場の店主がこちらに気づき話しかけてきた。
 「よう。やっと起きたのか」
 店主が自分の目の前の席を進めてくれたので大人しく座った。
 「……整理はついたか?」
 店主が訊いてきたのはつまり、心の整理がついたのか?ということ。
 彼は素直に首を横に振った。
 「……全然スね」
 「そうか……、いや、そりゃあそうだよな」
 死んだと思って、目が覚めてみたら全く知らない異世界にいたのだ。
 いくら創作物の中でそういった状況に触れてきたとはいえ、いざ自分がいきなりそんな状況に巻き込まれてしまっては、そう簡単に心の整理がつくわけないのだ。
 そこで一旦、会話が途切れてしまった。
 やがて、店主は客に呼ばれて忙しなく働き始めた。
 店内は相変わらず活気に溢れていて、騒がしい客の間を何人ものウェイターがスルスルと器用に移動している。
 客の多くは店の奥にあるステージの上で奏でられている音楽に一喜一憂していた。
 ステージは、今は三人組のバンドが演奏しているが、何曲かごとに交代で出番があるようで、ステージの近くには客に紛れて何人か楽器を抱えた演奏者が見受けられた。
 しかし、ここでも演奏者が抱えている楽器はどれも、笛などの吹奏楽器か打楽器のどちらかであった。
 「異世界転生で、しかも弦楽器の無い世界に来ちまった、ってところか……?」
 誰にも聞かれないように、周囲の喧騒に掻き消えるような小さな声で呟いた。
 呟いてからなんとも荒唐無稽すぎて笑えてきたが、部屋に佇む黒いハードケースを思い出し今度はため息を吐いた。
 中に入ってるのは、ネックは折れ、ボディに穴は空き、トップ材もバック材も浮いて外れてしまい、すっかり無残な姿になってしまった愛用のアコースティックギターである。
 愛用していたこともあり考えただけで空しい気分になってしまう。
 「……あいつが無事だったら、俺もステージに立てたかなぁ」
 ステージを眺めていると思わず呟いてしまった。
 バンドマンなのだ、誰かがステージに立っているのを見れば、自分もステージに立つことをどうしても考えてしまう。
 「おい、兄ちゃん」
 しばらくぼーっとステージを眺めていると、いつの間にか隣に座っていた、見た目が完全に二足歩行の猫のヒトが話しかけてきた。
 人間(ヒューマン)以外の人に未だ慣れず、一瞬身構えてしまったが、すぐに緊張を解き、猫のヒトの方へ振り返った。
 「なんすか?」
 「兄ちゃんが朝に話題になってた異世界人(ストレンジャー)の兄ちゃんか?」
 朝、転生したとき彼は大通りのど真ん中でぐっすりと寝ていた。
 その時、周囲に多くのヒトだかりが出来ていたので、どうも町中に存在が知られているようであった。
 「そうっすよ」
 彼は相手の問いに努めて冷静に返した。
 彼が肯定すると猫のヒトは嬉しそうに笑った。
 「はっはっはっは、やっぱりそうか!! 兄ちゃん、新聞にも載ってたし、すっかり有名人だぞ!!」
 嫌な情報を知っていしまった。今度は耐えきれないほど恥ずかしくなり、つい両手で顔を覆ってしまった。
 「ところで兄ちゃん」
 「はい……」
 「あんた異世界人(ストレンジャー)なら異世界の歌もなんか歌えるんだろう?」
 「まぁ……はい」
 「じゃあ、ステージ上がって一曲でいいから歌ってきてみてくれよ!!」
 「えぇぇぇ……」
 突然の提案に思わず顔を上げてしまった。
 ステージでは相変わらず、先ほどのバンドが演奏を続けており、酒場の客もどんどん盛り上がっている。
 「いやぁ、でも今演奏してるみたいですし」
 「だーいじょうぶだって!! 飛び入りなんてよくあっから!! なぁ、マスター!!」
 いつの間にかこちらに来ていた店主に猫のヒトが話しかけた。
 「ああ、全然かまわないぞ」
 「…………」
 「もし、お前がやりたくないなら無理強いはしない。だが、もし少しでもやりたいならやったほうがいいんじゃないか?」
 店主は助け船を出してくれたようであった。
 少しだけ悩んだ。
 悩んだのは少しだった。
 「マスター……酒あります?」
 訊くと店主は無言のまま、彼の前にジョッキを置いた。
 見た目と泡からおそらくビールの類であろう。
 彼はそれを豪快に一気飲みした。
 猫のヒトをはじめとして、こちらを気にしていたらしい周囲から小さく歓声が上がった。
 「お、そうだ。兄ちゃんこれ持ってきな」
 猫のヒトが懐から大きめの箱を取り出した。
 おそらく打楽器の類であろう。
 受け取って軽く表面を叩いてみるとポコポコと小気味の良い音が鳴った。
 「何もないよりはいいだろ?」
 「ありがとうございます」
 お礼を言うと、猫のヒトは屈託なく笑った。
 ジョッキをマスターに返したところで、ステージの方から歓声が響いた。
 どうやら演奏していたバンドの出番が終わったようだった。
 ステージは転換に入る。
 「……行ってきます!!」
 「行ってこい」
 店主と猫のヒトに見送られ、すっと立ち上がると、周囲からまた小さく歓声が上がった。
 酒場の客を掻き分けて、ずんずんとステージに一直線に向かう。
 バンドではギターボーカルのフロントマンだった。
 ステージになんて、何百回と立ってきた。
 覚悟なんてとっくに出来ている。
 ステージにたどり着くと、先ほどのバンドのヒト達が察してくれたのか、すぐにどいてくれた。
 ステージに置かれたいくつかの椅子のうち、中央にあった椅子に座った。
 ステージに上がると酒場全体がよく見えた。
 酒場は突然の飛び入りに盛り上がってくれたようだった。
 野次と歓声が上がる。
 酒場全体が揺れてしまうぐらいの盛り上がりを見せたが、奥にいた店主が拍手を始めると、酒場全体に拍手が起こり、やがて沈黙した。
 沈黙の中で彼は少しだけ目を瞑り、神に祈る。
 ギタリストが祈る神なんて一人しかいない。
 数瞬置いて目を開けて、ゆっくりと膝に置いた箱を叩き出す。
 ポコポコとリズムを取り、歌いだす。
 歌ったのは古い洋楽。よくバンドやサークルでコピーしていた楽曲だ。
 音程を外すこともリズムを外すこともなく滑らかに歌い続ける。
 サビに差し掛かったところで、突然笛の音が聴こえ始めた。目を凝らすと客席で先ほどのバンドの人が笛を吹いてくれているようだった。
 それにつられたのか、他の打楽器や吹奏楽器の音も鳴り始めた。
 原曲とは全く違うメロディーが奏でられ始める。
 それが不思議と心地よかった。
 気が付けば酒場全体で演奏していた。
 楽器を持っているものは楽器を、楽器の無いものは手を叩いていた。
 歌い終わり、リズムを止めると、客席での演奏も終わった。
 沈黙が流れ、直後に酒場全体を包む大歓声が起こった。
 彼は客の反応の良さに若干気圧されながら、椅子から立ち上がり、礼をしてステージから降りた。
 また一段と歓声が大きくなる。
 そそくさと店主と猫のヒトのところへ戻った。
 戻る途中、様々なヒトに労いの言葉をかけられ、背中を叩かれた。
 「兄ちゃんすごいじゃないか!!」
 「お疲れ、よかったぞ」
 二人ともそれぞれの感想を伝えてくれた。
 「ありがとうございます」
 素直に礼を伝えた。
 「実は元の世界でも一応音楽をやってたんですよ」
 「なるほどな……」
 二人は納得したように頷いた。
 「やっぱり、ライブはいいですね。また立ちたいと思えました」
 ステージ近くではいまだに歓声が上がっていた。
 「それで……マスター、お願いがあります」
 「……やりたいことが見つかったのか?」
 店主の問いに彼は首肯した。
 ステージの上で歌って、改めてステージに立ちたいと思えた。
 だからこそ必要なのだ。
 自分の使い慣れた『武器』が。
 「楽器職人を紹介して欲しいんです。俺にとって、ステージに立つのに必要なものがあるんです」
 「……とびっきり腕のいい職人を紹介しよう」
 マスターと約束を交わした。
 愛器を直し、もう一度ギターボーカルとしてステージに立つ。
 その覚悟を決めて彼はステージを睨んだ。

                             完

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