『優しい嘘』

 「……しかし、寒いな」
 風島清景はコートに身を隠す様にしながら、独り言のように呟いた。
 視界に空から落ちてくる白が絶え間なくちらつく。
 吐いたため息も白くなった。
 目の前の信号が赤から青に変わり、マフラーや暖かそうなコートを身に纏った多くの人々が動き始めた。
 その流れに逆らわず、二人も歩き始めた。

 「まぁ、冬だしなぁ。でも、まだ雪積もってないから、冬も寒さもこれからだよ」
 暖かそうなコートを身に纏っている宇野耕輔は笑いながら隣の清景に応えた。
 今見えているこの風景もあと1、2か月もすれば真っ白に染まることになる。
 たまに雪が積もれば直ちに都市機能に影響が出る土地に住んでいる清景にとっては、知っている風景であるにしても中々容易に想像できるようなものでもなかった。
 何より寒さのせいで頭があまり働かなかった。
 「もっとあったかそうな格好して来いよ」
 寒さに震える清景に耕輔は相変わらず笑っている。
 「こんなに寒いとは思わなかったからなぁ」
 「何回ここまで来てるんだよ」
 耕輔は呆れたように笑う。
 「――三回ぐらい?」
 笑う耕輔に清景は律儀に答えた。
 耕輔はまた笑った。
 「まぁ、もうちょっとで店に着くから頑張ってくれ」
 人の流れに逆らわず、二人は歩いていく。


♪ ♪ ♪

 路地にある居酒屋に入ると、暖房が効いていて若干の暑さを感じるほどであった。
 店内は程よく賑わっており、二人の通された小さな個室にも周囲の声が聴こえてくる。
 すぐに店員が二人の個室に来て注文を取る。
 いくつかの料理とビールを注文すると、店員はすぐに厨房の方へ戻っていった。
 
 「いつまでこっちにいるんだ?」
 コートを脱いで、スーツ姿になった耕輔が清景に訊ねる。
 「明日の朝に向こうに帰る」
 清景もコート脱ぎながら答えた。
 「そっか」
 耕輔は寂しそうに呟いた。

 一瞬の沈黙が訪れる。
 付き合いの短くない二人にとって居心地の悪い沈黙ではなかった。
 その間に、店員が再び訪れ、お通しとビールを置いていった。
 店員が戻っていったあと、ジョッキを持ち上げる。
 「お疲れ」
 「あぁ、耕輔もお疲れ」
 二人はジョッキを合わせ、ビールを流し込んだ。
 ジョッキの半分ほどを飲み干し、ジョッキを置く。
 「いいライブだった」
 「そうか……。ありがとう」
 清景がこの地に訪れたのは清景のバンドの全国ツアーがあったからだった。
 ライブ自体は昨日行われたが、清景は一日ほど時間をもらい、就職を機にこの地に越してきた幼馴染の耕輔と会う時間を作ったのだった。
 大学を卒業してからもうすでに二年半近く経過している。
 二人が会う機会もすっかり減ってしまった。
 それでもこうして年に数回会うのだから、お互いに大切な存在なのだろう。
 「いやぁ、ほんとにいいライブだった……」
 しみじみと思い出しながら耕輔が呟く。
 そこまで言われるとなんだか妙な居心地の悪さを覚えてしまう。
 話題を変えるために今度は清景が口を開く。
 「そっちはどうなんだ?」
 「俺?」
 「仕事」
 「……あー、まぁ、何とかやってるよ」
 耕輔は困ったように笑って、はぐらかした。
 今日、耕輔の仕事終わりに合流したときの顔を思い出す。
 付き合いは長い、大体は察しがつく。
 だからこそ清景は「そうか」とだけ返した。
 きっと、清景が行き詰っていることも耕輔に見透かされているのだろう。
 お互いに優しい嘘をつく。

 料理が運ばれてきた。
 「旨そうだな」
 「あぁ、旨そうだ」
 お互いにビールをあおり、箸を手に取った。

                                 完

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