鍋をする話 1
「さて」
目の前の女性と目が合った。
相変わらずその双眸は強い意思を宿しているのが感じ取れる。
が、俺も彼女も浮かべているのは同じような苦笑だ。
「どうしたものか……」
部屋の中には三人いる。
俺ともう一人、男が二名と女が一名。
それぞれが絶妙な気まずさを抱えているので、全員が遠慮がちな苦笑を浮かべたままこの部屋の家主が早々に帰ってこないものか、ということを考えていた。
ピンポーン――
呼び鈴を鳴らすが返事がなかった。
「あれ……?」
出かけたのだろうか。
俺――久我健太郎はその日、後輩でバンドメンバーの風島清景の家を訪れていた。
バンドの関係で少し相談したいことがお互いにあったので、そのためだ。
内容としては何の深刻さもない、ちょっとしたことだったので通話やメッセージのやり取り、サークルやバンド練習のついでに済ませても全く構わないことだったのだが、たまたま今日お互いに完全に用事がない日だったことと借りていた機材を返すということもあった。
なので、大学での一日が終わった後にこうして清景の家に訪れることになった。
のだが――
呼び鈴をもう一度鳴らす、が返事がない。
留守なのだろうか。
寝ていることも考えたが、風島清景は約束をすっぽかすようなタイプの人間ではないのであまり考えられない。
だとすれば、急用ができて外に出たということだろうか。
スマホにメッセージが届いているだろうか。
ポケットの中からスマホを取り出して、画面を確認しようとした時だった。
ガチャリ、と玄関が開いた。
「お、清景――」
「すみません、ちょっと今、清景は出掛けてまして……」
出てきたのは男子大学生、ではなく俺や清景とそう変わらない年齢の整った容姿をした女性。
一瞬、面を喰らって言葉に詰まった。
相手も俺も、相手が誰なのかを探るようにお互いの顔をしばし眺めて、それから口を開いた。
「えーと、琴占さん、だよね? 清景の彼女の」
「あ、あぁ、そうです。……あー、久我さんですよね?」
お互いの問いに、お互いに頷いた後、目を合わせて苦笑した。
部屋から出てきたのは琴占言海だった。
清景の幼馴染で、彼女であり、そして清景と同じように俺にとっては高校の後輩でもある女性だ。
しかし、こうして一対一で対面したのは初めてで、どうしたものかと頭を捻ろうとしたところで琴占さんが先に口を開いた。
「清景に用事、ですよね?」
「そう、なんだけど……清景は?」
部屋の奥をそれとなく覗いてみるが、他の人がいる気配は無い。
琴占さんの方に視線を戻すと首を横に振った。
「それが居ないんですよね……」
「琴占さんは何か事情は知らないの?」
「……。その、ちょっと最近忙しかったのが丁度片付いてくれたので、キヨに会いたくなって連絡せずにさっき来たばかりなんですが……、出掛けていたみたいで」
琴占さんは随分と恥ずかしそうに答えてくれた。
目の前にいる琴占言海という女性が信じられない程忙しい、ということを俺は知っている。
俺や清景の通う大学よりもさらにレベルが上の大学に通いながら、ベストセラーの小説家として小説を書き、更にはなんでも表には言えない『仕事』もしている、ということを清景とジェームズから聞いている。
そんなとんでもない忙しい日常を送っているのだから、突然幼馴染の恋人に会いたくなるという程度のことを恥ずかしがらなくてもいいと思うのだが。
という、野暮なことは口に出さない。
「そっか」
短く返事をして、俺は今度こそスマホをポケットから取り出した。
清景は何も告げずに居なくなる様なタイプでは無いので、突然の訪問だった琴占さんには連絡が無くても、元々約束をしていた俺の方には連絡が来ているだろう。
確認してみると、つい十五分前に連絡が来ていた。
歩いていたので着信に気付かなかったのだろう。
「清景から連絡が入ってたよ」
「あ、よかったです。内容を聞いても?」
「えーと……。あー、ゼミの人に呼び出されたみたい。一時間半ぐらいで帰ってくる、って」
「なるほど。清景も突然の呼び出しだったんですね」
「そうみたい」
不在の理由が分かったからか琴占さんはほっと息を吐いた。
話に聞く限り、もっと落ち着き払った性格なのかと思っていたのだが、どうも琴占さんは想像以上に年相応の可愛らしい面を持ち合わせているようだ。
俺は彼女に悟られないように小さく笑って、それから口を開く。
「じゃあ、俺は二時間ぐらい外で時間を潰してくることにするよ」
「え?」
家主の居ない部屋に上がり込むのも気が引けるし、殆ど初対面の俺と一緒では琴占さんも落ち着かないだろう。
清景の性格から考えて、恐らく一時間ちょっともすれば帰ってくるだろうから、俺が居なければ三十分程度は二人きりでゆっくりできるだろう。
流石に用事を放って置くわけにもいかないので、一度顔を出すことにはなってしまうが出来る限り手短に済ませて退散させてもらおう。
そう考えての提案だったが、琴占さんは不思議そうに首を傾げた。
「いやいや、悪いですよ。突然の来訪なのは私の方ですし、私のことは気にしないでください」
「いやいや、そんな訳には……。それに家主の居ない部屋に上がるわけにはいかないし」
「相手が久我さんなら清景は今更何も言いませんよ。むしろ、ここで私が部屋に居たのに外に出してしまう方が気にしますよ」
「それは、そんな気はするけども……」
俺が清景のことを考えて言い淀むのを見て、琴占さんは入室を促して来た。
琴占さんと目を合わせる。
その瞳の奥に強い意思が見える気がした。
この子は折れなさそうだ。
噂に聞く琴占さんの凄絶な強さの一端をなんとなく感じ、なんだかなぁと思いつつ、俺は清景が不在の部屋に上がらせてもらうことにした。
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