Earendel 1
人間は古代から夜空に浮かぶ星に手を伸ばしてきた。
それらに絶対に手が届かないという事を知っていても、人間は神秘的な輝きを放つ星を追い続けてきた。
人間が宇宙というものを認識してから何世紀が経つのだろう。
その間、大きな科学技術の進歩を幾つも繰り返してきた。
そのおかげで星に手を伸ばす事が叶うこともあった。
例えば、隣りの惑星ならば地表の写真を見られるようになったし、最遠の人工物は遥か彼方太陽系の重力圏からも脱出しているらしい。
それでも、今も私の目に映っているはずの何億光年と離れた星に手が届くことはない。
どれだけ技術の進歩があっても途方もない距離とそれに伴う途方もない時間を埋めることは叶わない。
それを知った人間の取る行動は、きっと二つに分かれるだろう。
片方はそれでも手を伸ばし続ける人間。
片方は伸ばした手を下げてしまう人間。
私、有村夕夏はーー
1/
私は以前から彼女の存在を知っていた。
当時、私は通っている高校の生徒会長を務めていたし、彼女はクラスの学級代表を務めていた。
なので、学校行事の打ち合わせなどの場で顔を合わせる機会もあったのだ。
長く伸ばした綺麗な黒髪に整った目鼻立ち、そして強い意志を宿した双眸。
綺麗な子だな、と素直に思っていた。
自分で言うのもなんだが、当時の私はそれなり以上に優秀な生徒会長であった。
だから、彼女の噂は人伝てに少しだけ耳にしていた。
教室で浮いているという話。
どのグループにも所属せず、一人で行動するか幼馴染らしい男の子とだけ行動しているというもの。
そして、それが彼女を妬んだ女生徒達が工作によるところがある、というのも聞いていた。
私がそこに介入することは可能だっただろう。
しかし、彼女は特にその状況に不自由や不便を感じていないようであった。
本人のその様子を見て、私は必要以上に介入するべきではないだろうと考えた。
私と彼女という点と点が交わることはなかった。
当時、私は周囲から隔絶したような状況でも超然と微笑む彼女の姿とその双眸に親近感すら抱いていたと思う。
FP能力者として一流の才能と家柄に恵まれて、一流の人間として生きてきた私のあり方や理想に似ていると思ったからだ。
それがどれだけ浅ましく、烏滸がましい思いだったのか、今なら分かる。
交わらないはずだった私と彼女は、しかし少しずつ近づいてしまった。
『協会』やFPに関する当時の私たちのグループの中心には1人の男の子がいた。
宇野耕輔。
特別な能力を持った特別な男の子。
そして、彼女はそんな宇野君の幼馴染みでもあった。
だから、私は彼女のことを少しずつ調べた。
それは、私が抱いていた淡い想いから来たものかもしれない。
だから、彼女と宇野君との交流が当時既に希薄になっていた事に心の何処かで安堵して、それ以上深入りはしなかった。
勿論、どんなに調べても『その時』が来るまでは私が彼女の存在の、その大きさに気づく事はなかっただろう。
そのままで良かった。
そのままで良かったはずなのに、交わらないはずだった私と彼女の点が決定的に交わってしまう『その時』は訪れた。
『その時』が来るという事は私には知る由もなかったが、彼女はきっと昔から知っていた。
「貴方たちの気持ちは、少なからず分かっているつもりだ。だから、きっと私が耕輔を使って為そうとしていることを受け入れることは出来ないだろう」
当時、既に少なくとも国内で指折りの勢力となっていた私達の前に独り立って、彼女は言った。
いつもと変わらぬ超然とした表情と強い意志を宿す双眸のままで。
「だから、貴方たちが私に挑む事を私は否定しない。その上で私は貴方たちを迎え撃つ。私の使うべき力の全力で。貴方たちが止まらないのと同じように、私も私の守りたいものの為に止まるわけにはいかない」
一切の曇りがない明確な決意を持って、最強のFP能力者として私たちの目の前に現れた彼女。
その佇まいと雰囲気は、既に明確に隔絶した実力の差を感じさせ、たったその数分にも満たない邂逅で私たちを飲み込むほどだった。
それでも私たちはぶつかった。
彼女は世界を救うために、私たちは宇野耕輔というただ一人だけを救うために。
いや、今にして考えてみれば私たちのあの行いなど、ただ自分たちのエゴを押し付けていたに過ぎなかったのだろう。
きっと、本当の意味で宇野耕輔という少年を救ったのも彼女の方だった。
言ってしまえば、彼女と宇野君がした本物の覚悟というものに比べれば、私たちがしたはずだった『命を懸ける覚悟』というものは曖昧なものだった。
戦う前から私たちは全てにおいて敗北していた。
私たちの全力は彼女の力の前に為すすべもなく、あっけなく幕が引かれた。
意識を奪われ、次に目が覚めた時には既に安全な場所に運ばれていて、そして世界は救われていた。
私はそれまで頂点に立つ者の背中を追っている気でいた。
自分なら五天と呼ばれる頂点の能力者達にも喰らい付けると、無邪気に信じていた。
そう思っていた。
実際に身をもって体験した世界最高峰――琴占言海の背中は、そんな浅はかな考えすら吹き飛ばした。
私には彼女の背中が数億光年彼方の光輝く星のように映ってしまった。
2/
「いい? 宇野君は関わってしまったけれど、赤崎、絶対に彼に近づくんじゃないわよ」
『……あぁ、わかってるよ』
耳に当てたスマートフォンの向こうからいかにも不服そうな声が返ってくる。
こちらの忠告を無視する気満々と言った返事だった。
相変わらず赤崎仁志は私の言うことを聞かない。
はぁ、とわざとらしくため息を吐いて見せるがきっと効果は無い。
「……貴方に勝手に行動されると私が聖花ちゃんに怒られてしまうのだけれど?」
もう一度、釘を刺しておく。
今度は宇野聖花の名前を出す。
赤崎も彼女のことは無視できない。
数瞬の沈黙を挟んだ後、赤崎は返事の代わりに舌打ちを返してきた。
不服だが、今は行動しないという事だろう。
赤崎との付き合いもすっかり長くなってきているのでそれぐらいの心情は顔を見れずとも読み取れた。
しかし、だからと言って返事に舌打ちは無いだろう。
文句を言い返してやろうか、というところで人気のなかったはずの廊下の奥から人が近づいてきていた。
よく見れば同学年の女性で、向こうもこちらに気付いたのか無邪気に手を振ってきた。
私はすぐに笑顔を作って手を振り返した。
「いい? 赤崎、もう一度言うけれど彼に近づくんじゃないわよ」
最期に念を押すようにそう言って私は急いで通話を切った。
それから、もう一度廊下の向こうに手を振った。
あの戦いから既に二年が経っていた。
私は大学生になっていた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?