ライフインホワイト 5
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ガチャリと目の前の扉を開けた。
「おう、宇野」
横柄な声と半ば本と本棚に埋もれたような室内が俺を出迎えた。
「お疲れ様です、会長」
返事をしながら室内を見渡すが部室にいるのは椅子の上で器用にだらけながら本を読む金江会長だけであった。
聴こえないように小さくため息を吐いて、それから近くの椅子に腰かけた。
会長の方を見る。
会長の目の前の机の上には数冊の本が積まれており、それを次々と読んでいるのだろうということが窺えた。
会話をしようとすれば邪魔してしまうだろう。
そう考えて、とりあえず俺も鞄の中から読みかけの本を取り出し、読み始めることにした。
本を開き、栞を外す。
目線を動かし、文字を追い、ページをめくり、また目線を動かしていく。
数ページそうしたが、どうにも文字の上を目が滑り内容が頭に入ってこない。
どうにも頭の中は別の事でいっぱいいっぱいだった。
更に数ページ読み進めたが、あまりにも集中できず合計で十ページにも満たないところで再び栞を挟み、本を閉じてしまった。
本を机の上に置き、天井を見上げて深呼吸してみる。
それでも頭の中はある問題でいっぱいなままで、すっきりすることは無い。
顔を戻し、視線を泳がせる。
いつも通りの部室。
そこには本を読む会長がいるだけ。
俺はもう一度呼吸を意識してから、意を決するように口を開いた。
「会長。……綾瀬さん、今日も部室に来てないんですか?」
彼女と最後に会ってから既に五日が経過していた。
本を借りる約束をしたあの日から彼女は姿を見せなかった。
部室はもちろん、普段なら時々目にする大学の構内でも彼女の姿を見ていない。
土日を挟んでいるがそれでもここまで彼女の姿を見ないのはこれまでなかった。
「ん? あぁ、来ていないな」
部長はそれほど気にしていないのか本を読みながら返事をしてくれた。
「……綾瀬さん、もう五日も姿見えてないですよね」
「んー? そうだっけか。あぁ、でも土日も挟んだだろ」
「……でも、綾瀬さんは今まで平日はほとんど顔を出してたじゃないですか」
彼女は部室の常連だった。
金江会長と綾瀬さんとそして俺の三人は部室の常連で、ほぼ毎日のように顔を出していた。
それが突然顔を見なくなったのだ、心配にもなる。
俺が深刻そうに話したからか、会長は本から目線を上げて俺の方を見た。
「なんだ宇野、お前早紀ちゃんのことそんなに気があったのか」
「そんなんじゃないです。サークルの仲間の姿が消えたんですよ? 心配するでしょう」
「消えたって、お前そんな大袈裟な……」
「大袈裟だと思うんですか?」
金江会長と俺の視線が真正面からかち合う。
目は逸らさない。
俺の勘が――かつて主人公であった自分が嫌な予感を訴えている、少なくとも今の俺はそういう風に思える。
数秒無言のままであったが、会長は持っていた本を閉じて、机に置いた。
机に本を置いて、それから呆れたようにため息を吐いた。
「いいか、宇野。大学生にもなれば色々あるんだ。二、三日連絡が取れないくらいは普通だよ。よくあることだ」
「二、三日じゃないです。五日ですよ」
「土日分を引けば三日じゃないか。あのなぁ、そのくらいあるんだよ。早紀ちゃんにだって色々。気になるならメッセージでも送ればいいだろう」
「もう送ってますよ。既読はついて返事がありません」
「風邪でも引いたんだろう。ほら、外は寒いぞ」
「風邪なら返事ぐらいしてくれるでしょう。それも出来ないぐらい寝込んでいるならそれはそれで心配でしょう」
「じゃあ、血縁者の方が亡くなったとか、遠方で忙しくて返事をしたり連絡をしたりする暇がない事もあるだろうよ」
「そ、それは……」
言葉に詰まる。
金江会長の常識的な言葉にそれ以上の反論の言葉が思い付かなかった。
そもそも根拠はただの勘なのだから当然だ。
『普通ではなかった人間の勘』ではあるのだが、残念ながらそれを説明することは出来ないのだ。
何故なら今の俺は『かつては普通ではなかったが今は普通の人間』で、普通ではない事と普通である事のどちらに迎合するべきかは明白だった。
言葉に詰まった俺を見て、会長は気まずそうに後頭部を掻いた。
「あのなぁ、宇野。私だって心配がないわけではないよ。確かに、宇野が言いたい様に何かの事件に巻き込まれた可能性がゼロなわけではい。しかしだ、仮にそうだったとして普通の大学生でしかない私たちに出来ることは殆どないだろう」
会長はいつにも増して優しい声音でそう言った。
子供に優しく言い聞かせるような声が、逆に自分がなんの能力もないただの人間であることを思い知らされるようだ。
会長からは見えない机の下で拳を強く握った。
爪が皮膚へと食い込み体が痛みを訴えるが、それでも強く握りこんだ。
下を向いたまま返事をしない俺を見て、会長はもう一度ため息を吐いた。
「大丈夫だよ。もし事件なら警察が動いてくれるさ」
「警察……」
事件が起これば警察が動く。
当然で普通のこと。
そこに実感が伴わないのは俺が未だに自分をかつての自分から切り離せていないからだろう。
俺は『主人公の宇野耕輔』ではないのに。
だから――俺に出来ることなど何もない。
「そもそも事件に巻き込まれるなんて現代のこの国で滅多にあることじゃないんだ。そんなものは小説や映画、漫画の中の、フィクションの出来事だよ、宇野」
会長は俺を励ますように笑った。
「だから、明日にでもひょっこり部室に現れるよ」
会長の言葉に返せたのはぎこちない笑顔だった。
それでも、傍目には良く笑えていたのか会長は満足したように頷いて、それから読書に戻っていった。
俺は、読書には戻れなかった。
全身を支配している無力感に抗う事も出来ず、ただ椅子にもたれ掛かるだけだった。
意味のない、自分勝手な、独善的な無力感。
それがわかっていて、それでももたれ掛かった椅子から立ち上がることは叶わなかった。
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