見出し画像

#7 春、衰弱堂の呪い

 衰弱堂が死んだ。

 博覧強記の男。大学時代の先輩で、病を得ていた。強靱な知性が最後に導き出したその選択を、私は咎めることができない。私の意見になど耳を傾けるはずもなく、目論見を知っていたとしても、その企図を覆すことはできなかっただろう。

 だが、無念だ。ただただ、残念だ。江藤淳かよ。

 SNSの発言を、最初は見逃していた。別れを告げるそのつぶやきと、それに対する関係者の反応をみて、背筋が凍った。電話などいくつかの手段で連絡をとろうと試みたが、繋がらない。情報を追うごとに、腹の中の冷たい鉄の塊がどんどん大きくなる。無知ゆえにダイレクトメッセージを送ることさえ覚束なかったが、氏と親しくしていた仕事関係の方になんとか連絡がつき、状況など親切にいろいろ教えていただいた。死んだのは間違いなさそうだ。大学時代の氏の友人や美術関係の幾人かに伝えた。

 連絡を終え、スマホから離れ、酒を少し飲んで、泣いた。

 学生時代は氏のことを「師匠」と呼んでいた。文芸部というサークルに入部した田舎育ちの少年だった私は当初、大学というところにはこんな博識な人がいるのか、と驚いた。だがその後、そんな人は一人もあらわれなかった。何のことはない、こんな変態野郎は唯一無二だった。

 文学や哲学や美術や現代思想について薫陶を受け(身にはついてない)、メシを食い、酒を飲み、カラオケで歌い、麻雀を打ち、将棋を指し、競馬もやった(列挙してみるとろくな先輩ではない)。オンラインゲームの黎明期もテレホーダイで、AOEだのDiabloだのさんざん一緒にやった。オンラインじゃないけど、ダビスタも。ああ思い出した、スーパーファミコンのF-ZEROは死ぬほど一緒にやったわ。東中野の美術出版社でのバイトも一緒だった。読書会は、卒業して社会人になってからも続いた。妻と知り合ったのも、氏の美術関係の人脈からだ。

 フランス現代思想やシュールレアリスムやラテンアメリカのマジックリアリズム、現代アメリカ文学を縦横無尽に語ったと思えば、麻雀劇画から東スポの情報などくだらないバカ話まで、話し出したら止まらない。電話でもアホみたいに長話をするので、こちらが電話口で寝てしまったこともある。若かった多くの時間をともに過ごしてきた。

 最後に会って飲んだのはおそらく9年前。所用で沖縄に行った帰りだった。堂々たる体躯だった氏は、すっかり痩せていた。こちらは立派な中年太りとなり、体型は逆転した。会うことこそ少なかったが、SNS上でのくだらないやりとりは続いていた。繋がっていたと思っている。

 氏は最近のツイートで、埴谷雄高の死霊を読み返している、と書いている。私は卒論のテーマにこの形而上小説を選んだ。もちろん氏の影響である。まあ難解すぎて理解できるはずもなく、何を書いたのかも覚えていない。衰弱堂は、死霊の世界と現世を、同時に生きていた。そして、死霊の世界の住人となり、宇宙の微塵のなかにいる。

 このとりとめのない文章を綴りながら、本棚を眺めて気がつく。並んでいる本の多くが、氏の影響を受けて読んだものばかりであることに。大江健三郎の訃報に接したときも、氏に薦められて読んだのはレイン・ツリーか万延元年かどっちだっけ、と記憶をたぐり、先の王将戦を観戦しながら、そういや氏に薦められて米長邦雄の本を読んだな、と思い出していた。

 安部公房、ドストエフスキー、カフカ、ピンチョン、エリクソン、ドノソ、マルケス、ボルヘス…本の背表紙を見るたびに、衰弱堂が背後に立つ。手にとってページを開けば、衰弱堂の声が聞こえる。現代思想の記事に触れるたびに、展覧会に足を運ぶたびに、ワールドカップが開かれるたびに、名人戦が行われるたびに、Diabloの最新作が発売されるたびに、駅売りの東スポの一面をみるたびに、GⅠのファンファーレが鳴るたびに、衰弱堂が、よみがえる。

 私は、呪われた。

 手も差し伸べないで、生きていてほしかったなんていうのは、不遜というものだろう(少しは力になれたと思っているけど)。それでも一日に何度かは、叫びたくなる。なんとかならなかったのか。無力感にさいなまれているのはおそらく私だけではない、ということが、死を悼み偲ぶ声の多さから分かる。さほど広い交友関係があると思っていなかったので、これは少し意外だった。呪われた仲間は、ことのほか多いということだ。驚くほど多面的に、深く、それぞれの人たちに印象的な別の顔を見せていたに違いない。あんたは三面怪人ダダか。この妖怪め。

 衰弱堂のいない世界は少しつまらない。もう読了したというつぶやきに「いいね」をつけてくれることはないけれど、久しぶりに埴谷を読んでみようか。喪黒福造のごとく、あの男がやってくるに違いない。あの笑い声とともに。あっは、ぷふい。

 私と一緒に呪われてしまったみなさん、この呪縛は解けませんが、衰弱堂の呪いとともに、生きていきましょう。そんなに悪いものではないですよ、きっと。

 師匠、楽しい時間をたくさんありがとう。さみしいよ。力になれなくて、ごめんなさい。ばいばい。またね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?