ひゃっかん

中学生の頃よりファゴットを霧生吉秀氏に師事し、東京芸術大学にてファゴットを故・フリッツ・ヘンカー、岡崎耕治の各氏に師事。室内楽を中川良平、海鋒正毅の両氏に師事。第21回民音コンクール第2位受賞。 1992年から2003年まで東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団ファゴット奏者

ひゃっかん

中学生の頃よりファゴットを霧生吉秀氏に師事し、東京芸術大学にてファゴットを故・フリッツ・ヘンカー、岡崎耕治の各氏に師事。室内楽を中川良平、海鋒正毅の両氏に師事。第21回民音コンクール第2位受賞。 1992年から2003年まで東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団ファゴット奏者

最近の記事

コロナ禍での音楽界、コロナ後の音楽界

 コロナが蔓延し始めた頃から、パタッと社会が止まってしまった。もちろん音楽界も止まってしまった。  一度止まってしまったものを動かすにはものすごいエネルギーがいる。バブル崩壊後、音楽界が本当に動き出すには3年から5年は掛かった。ただ規模は大幅に縮小された。  今回のコロナ禍で社会がここまで止まってしまうと、なかなか元に戻らないと覚悟はしている。生きていると本当に色々なことがあるもんだと思う。  だけど止まってる間に、ネットを通じて「新たな取り組み」が色々と生まれているのも

    • コロナ禍で考えた事

      音楽家はこのコロナ禍で音楽家大変な目にあった。 もちろん収入の減少ということもあるが、それ以上に「演奏ができない」と言う大きな痛手を被った。 SNSを見ていると、アウトリーチ活動をしたい、というのをよく見かけるようになってきた。 私がオーケストラで演奏していた頃、 「仕事は事務局が取ってくるもの」とか、「定期公演に客が入らないのは事務局のせい」という人が大半だった。 私は在籍11年の間の大半を運営委員とインスペクターという役職に就いていたのだが、事務局からも楽員からも意見を聞

      • モニタースピーカー

        録音屋をやっているとモニタースピーカーが大切になってくる。 もちろん金さえ出せば素晴らしいスピーカーが手に入るが、そこまで儲かる職業ではない。安いスピーカーの中でいくつか聴き比べして選ぶことになるのだが、Ik Multimediaというイタリアの会社らしいのだが、ここのiLoud MTMというスピーカーが秀逸で、それまで使っていたモニタースピーカーがノイズを発生するようになったのを機に入れ替えた。  このスピーカーの最大の売りは「DSPを用いてフラットな特性にする」とい

        • 録音時に書いていること

           よく「録音時にスコアを用意してくださいと言われるけど、実際に何を書いているのですか?」という質問を受けることがある。  とある収録で使ったものを画像としてアップしましたので参考までに。 分かりやすいのはT2とか書いてあるやつ。Take2のスタート箇所に記してある。 次に÷4と書いてあるのは? ここでは何か(事故)が起こった場所。なぜ÷の記号を使うのか?それは外国にはこの記号がないからアーティストが外国人の場合意味不明になる、と-(マイナス)にしてしまうとプレーヤーがめげて

          楽譜を見ると見ないと

           セッションレコーディング中は基本的に楽譜を見ながら、というか事細かに書き込み(タイムコードやら何が起こったとか)しながら進めていく。実際の編集時にはその書き込みを基に「ここからここまでは第●テイク、でここからは▲テイクに変更(実際にはもっと細かい)」みたいな書き込みをしておくとすんなり編集作業は完了する。実際収録現場でこの書き込みがあるとその日のうちに仕事がある程度終わる。  実際には会社に戻ってから細かい作業をするのだが(ここで1音だけ入れ替えるとか)その後に私が欠かさ

          楽譜を見ると見ないと

          タダの情報

           インターネットが普及してから、辞書を引かなくなった。探せばいくらでも国語辞典や英和辞典に匹敵するサイトがワンサカとある。  暫く使ってみて、時々「?」と思う説明がなされていることが多いことに気がついた。  あるコンサートで「これってもしかしてWikipediaをまんま書いていない?そんな事実はないはずだけど?」という解説を見た。もちろんアマチュアの方のコンサートだから、プロの方が書いていないのは明らかだ。  それ以来ネット上の無料の記事や辞書というのは信用しない、と決めた

          糖尿病の私的食事

           前回に引き続き、糖尿病の食事について書いてみたいと思う。あくまでも個人的な感想であって誰にでも当てはまるわけではないと言うことだけをお断りしておきます。  白いご飯をお腹いっぱい食べたい!と思う56歳の秋。当然炭水化物を摂れば血糖値が上昇するのは目に見えている。正直言って血糖値スパイクが怖いのだ。  前回の通院で新しい薬が追加された。どんなに運動してもカロリー制限をしていても、一向に血糖値とHbA1cが下がる気配を見せなかった。  もちろん糖質もかなり低めにはしていたが、そ

          糖尿病の私的食事

          糖尿病の食事

           祖母、母、そして兄と私と完璧に引き継いでしまった糖尿病。遺伝子の中に持っていると発症するリスクは上がるらしいが、それだけではなく50年近くの不摂生がたたりだいぶ前に糖尿病を発症してしまった。  母が糖尿病であったためかなり勉強してきたが、その多くは何十年も前の知識で、基本的に「カロリー制限と運動療法」で改善していくのだが、最近勉強し直したところだいぶ考え方が変わってきたので、記憶に留めるためにここに記そうと思う。  母が糖尿病と診断されたのは、今から約40年前のことである

          糖尿病の食事

          冷風扇

           那須にある我が家には「エアコン」というものが存在しない。  本当に「暑い」と言うのは年間せいぜいで1週間ぐらい(だった)から前オーナー(伯父・伯母)も無用と判断して付けなかったようだ。  だがこの数年、以上な暑さが続き、涼しいと言われたこの地方でも年間10日ぐらいは中々過ごしにくい日が出てきた。  たかだか10日間のためにエアコンを付けるのも如何なものかと考え、家内と話し合いの結果「冷風扇」を購入することに。ネットでググると「涼しいどころか、湿度が上がって逆効果」とか

          表方と裏方

           音楽家やら芸能人、ラジオパーソナリティなど人前に出る職業を選んだ人たちと言うのは、自ら課した決まり事がいくつかある。一番大切なのは「穴を開けない」事だが、それは必須として、実は「どんな事があっても、人前に出るときにはお客様を安心させる顔でなければならない」と言うのが大きいと思う。  プライベートでどんな事があっても、一旦幕が上がったらお客様に満足していただくパフォーマンスを提供する、それが表方の人間の仕事だ。  一方裏方の人間は、その表方の人が「生き生き」と出来るように

          表方と裏方

          昭和という時代

           先日北海道の知人宅にLPレコードを頂きに行ってきた。知人の亡くなったお父様が生涯かけて集めたその数は「ここは放送局のライブラリか!」というほどの量であった。音楽を生業としている私も知らない作品も多数。相当なお金をつぎ込んだんだろうなという感想とともに「これらを聴く時間的な余裕があったのか」という驚きもあった。  私が子供の頃(昭和40年代)には同級生のお父さんもどんなに遅くても夕飯時には多くの人が帰宅して居たと思う。家族皆一緒に食卓を囲み家族の絆を紡いでいったのだと思う。

          昭和という時代

          ドレスコード

           かつてオーケストラプレーヤーは、夜のコンサートの時、男性は「燕尾服(腹帯は不可、白のチョッキのみ)、黒のエナメル靴、黒のストッキング」女性は「ノースリーブの黒のドレス、ピンヒールの靴」と結構厳密に服装指定されていた。また、腕時計など腕に装飾品は不可とされていた。駆け出しの頃腕時計を付けたまま舞台に上がろうとしたら酷く叱られたことがある。  燕尾服はデパートでしか作れない時代が長くあり、35年前で30万円はしていた記憶がある。プレーヤーになるのも勉強などに金が掛かる上に、衣

          ドレスコード

          親父の金言

           私の父は今考えると実に変わった人だったと思う。演奏家であった父は私が中学1年生の時に「音楽家になりたい」と言った時に「学年で成績が3番以内になったらやらせてやる。ただし、勉強してもいいのは一日2時間まで、それ以上勉強してはならない。その条件で3番以内には入れ。」であった。  普通の親なら何時間でも勉強しろというのだが、我が父は2時間以内と決めてきたのだ。私は『絶対に音楽の道に進ませたくないからそう言っているのだな』と勘繰っていた。腹がたった私は親の言いつけをきちんと守り2

          親父の金言

          思い出の地をブラリ

          昭和53年の3月に都内の中学校を卒業して以来、その中学校のある街に40年以上ぶりにやって来た。 卒業記念に皆で見に来た映画館ってどこにあったっけ?いやいや、電車が高架されてどこにも面影がない。 駅からほど近い商店街は店は変化しつつも残っていた。あ!子供の頃母に手を引かれて買いに来てたさつま揚げ屋さんがまだある! あ!年に一度の贅沢で外食したラーメン屋が当時の佇まいのまま営業している! 街の変化って本当に面白い。 #ぶらり

          思い出の地をブラリ

          人から教わること

           まだ駆け出しの頃(ちなみに私は職業音楽家であった)、オーケストラで演奏するということは教えてもらうのではなくて、人から技術を盗むものだった。盗むという表現が悪ければ、見て(聴いて)覚えるものだった。基本的なことは大学で教わるんだけど、実社会じゃそんなものはほとんど役に立たない。  時には優しい先輩が「お前リズム悪いなぁ」とか「ほらその音程!」とか指摘(というかイヤミ)を言ってくれるぐらいで、どのタイミングで出たら他の人と揃うのかというのは誰も教えてくれない。実際にどうやっ

          人から教わること

          機材について

          最近機材を大幅に入れ替えたので。。。 ミキシングコンソール なし マイクプリアンプ RME Micstasy オーディオインターフェイス RME UFX+ マイク 沢山 ほぼこれだけで回している。正直もうこれで十分

          機材について