花束みたいな恋をしていたって話
今日はお休み。だけど仕事①のメールチェックだけ行う。次の打合せ日が決まった。
洗濯しに近所のコインランドリーへ。ホテルを出て、雨が降っていることに気づいた。傘は部屋の中だ。上階までいそいそと戻る。同じ清掃員さんにまた会ってしまって、なんだか気まずい。
洗濯ネットを持ってくるのを忘れた。ちょっと悩んだけど、服の頑丈さに期待してそのまま突っ込む。
40分の自由時間。その間にお昼を食べることにする。うどんか、パンか。悩んだ末、選ばれたのはカレーでした。おすすめしてもらった近くのお店へ。野菜とシーフードのカレーを頼む。
また店内を見渡せる椅子に座ってしまった。一人で来ている客は、みんな壁に向かって座っているのに。隣の席の男女の会話に混ざりながら食べ進める。心の中で。
上司と思われる男(以下男)「料理とかするん?」
部下であろう女(以下女)「たまにするくらいです。○○さんはされるんですか?」
私(私は炒めるくらいしかしないっすね)
男「したいけどできないんだよね。嫁さんが料理好きだから、触らせてもらえないの」
私(めっちゃいい嫁さんですな)
男「あ、でも、この前海老チャーハン作ったよ」
女「海老チャーハンですか?すごい〜」
私(海老チャーハン?すげ〜)
男「て言っても、玉ねぎと冷凍の海老をバターで炒めて、そこにご飯入れただけなんだけどね。子どもには好評だったけど、嫁さんにはバター入れたら何でも美味しくなるよ!って言われちゃったな」
私(Oh...)
女「バターは万能ですからね〜。私ももうちょっと料理してみようかな〜」
ってな感じに。女性はその後「冷蔵庫の中にあるもので献立を組めるようになりたい」と話していた。分かるわ〜。
店を出て戻る。服はそのまま乾燥機へ。今度は60分の待ち時間。近くの椅子で本を読みながら待つ。益田ミリ『タイムトラベル世界あちこち日記』、台湾、バリ島、ドイツに行きたくなった。私も旅日記を振り返って、文におこしてみたい。
乾いた。ホテルに荷物置いて、再度外へ。ずっと行きたいと思っていた本を読むためのカフェへ向かう。どんな本を読もうか。道中、本屋をはしごする。ちょっと珍しい本を取り扱っている店にも入った。けど、今日はこういう手に入りづらいような、エッセイだとか短歌だとか、そういうのを読みたい気分じゃないんだよ。もっと大衆的な、入ってすぐの場所に平積みされているような、かつ、のめりこめるようなものを読みたいんだ。食べ物と同じで、読みたい本も日によって変わる。
行ったり来たりして、結局蔦屋書店で『香君』を、別のお店で『ゾワワの神様』(noteでも読めるよ)と『花束みたいな恋をした ノベライズ』をゲット。エッセイの気分じゃないとか言っときながら、結局そっち系も買っている。
ゾワワで肩慣らしして、その後に花束を読んだ。映画は観たことがない。そもそも興味がなかったり、あえて避けていたり、そんなことをしていたら2年も経ってしまった。最近、後輩がこの映画を観たと言っていて、そろそろいけるかと思い購入。
知ってる、この感情。ああ〜。絹と麦のストーリーを追いながら、自分が歩んできた過去にも思いを馳せた。
そうだよな。始まれば、いつか終わりが来る。別れが来るのなら、もう出会わなくていい。心の隅っこでずっと考えていたことを引っ張り出されたような感じ。だけど、踏み出した者にしか分からない、あの感情もまた味わってみたいんだよな。つくづく、わがままな人間だと思う。ハンバートハンバートの『恋の顛末』にも似ている節があるな〜と思う。
「あなたは思い出しますか?」帯に書いてある言葉。もちろん。バイト終わり、あのセブンで待ち合わせしたなとか。少し離れた駐車場から、アパートまで並んで歩いたなとか。ゼルダの伝説、一緒に進めたなとか。喧嘩して飛び出して、近くの公園で一人過ごしたなとか。パスタ茹でてもらったなとか。その隣で歌いながら出来上がりを待ったなとか。同じ美容室通ってたなとか。あの古着屋で服選んでもらったなとか。とかね。紺のワンピースと白のスウェット。今もお気に入り。
もっともっと思い出せるはずなのに、ぼんやりとしか浮かんでこない。色褪せている。それが悲しいと同時に、自分が前に進めている証拠のようにも感じて。でもやっぱり、悲しいなあ。
そういえば、彼に花束を投げつけたことがある。何か忘れたけど、確か大喧嘩したとき。しかも彼がもらってきた花を。なんて彼女なんでしょう。ひどすぎる。
というわけで、この後映画を観てみることにした。アマプラでは有料だったので父に購入希望を出したが(家族契約・元締めが父)、この前の名刺制作費と相殺してもらえることに。グッジョブ私、センキュー父。
※サムネはお昼に食べたカレー。
サポートしていただける日が、いつか来るのかなあ。