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本の読み方

「どうしたら読んだ本の内容をちゃんと覚えていられるのだろう」、なんて話になったのは、隔週に1回のペースで友人と開催している読書会のとき。「その話は〇〇の〇〇という本に書かれていて、『〜〜〜』なんて言われてるんですよね」みたいに、本の名前、著者、フレーズがスラスラと出てくる人に、昔から遠い目を見るような気持ちであこがれている。

読書会を始めたのは、半年ほど前。コロナ禍につき、LINEをつなぎながらやっている。「ペア読書」といって、2人ペアになり、同じ本を30分で読める限り読み、その後お互いに読んだ内容をシェアしあうことで、効率的に本の内容が理解できる、という取り組み。「読んで、話して、をこうしてくり返し行っているにもかかわらず、時間が経つと、中身まではパッと思い出せないものだねえ」「ペア読書以外でも、読みながらメモしたり、マインドマップに書いたりしているけれども、まだまだ覚えきれたかというと難しい」とああだこうだ話しながら、前回のペア読書は終わった。

と、振り返りながらおもったことがある。忘れていても、身になっている、なんてことだって、意外とあるのだ。たとえば、小さいときに読んだ本。何か1冊の本を読んで大きく行動が変わったとか、身になったとかいうものはないが、様々な本を読む前と後とでは、明らかに行動が変わった。知らないことを知ることを「楽しい」と思うようになったり、正しいと思っていた考えが違っていたことを知り様々な意見や見方があることを前提に考えるようになったり、怠け者だった自分が毎日野球の素振りの練習をするようになったり。

あとは、本を読みながら、「本を読んだ後に何をするのか」を書いている人の話を聞いたことがある。特に本の内容についてはメモを取らず、あえて忘れるようにしているらしい。そして後から振り返るのも、本の内容ではなく、取ろうとおもったアクションが取れているかを振り返っているそうだ。だからきっと、本の内容を覚えていることよりも、身になっていることの方が大事なのかもしれない。

そんなことをおもいながらも、やっぱり引用がスラスラと言える人にあこがれることには変わりはない。もはやスラスラといえている時点で身になっているといっても過言ではない。メンタリストDaigoに感化されて、読書しながらマインドマップにまとめたり、都度都度何も見ずに思い出そうとしたりし始めて早1ヶ月。そういえば中学1年生のときに会得した唯一の英単語暗記法「嫌でも覚えるくらいくり返し見る」だった。脳はそんなに都合よく変えられることはなく、あれもこれもどんどん忘れていく。記憶を定着させるためにできることは、中学時代と変わりはない現実を受け入れて、習慣化するまでの苦難の期間を過ごしている今日このごろです。筋トレは無事習慣化できたので、きっと今年中には本の内容を振り返り、引用をスラスラと言えるようになれていたらいいな。

(最後まで読んでいただけただけで十分です…!ありがとうございます!)