6月ほど、「6月の記憶」がない月はない。
6月ほど、「6月の記憶」がない月はない。7月であれば「花火大会にいったなぁ」、2月であれば「東京にもあんなに雪がふったなぁ」と、目にみえる、みんなで共有されているイベントがあったりするが、6月にはそういったものがない。「ジューンブライド」が6月にターゲットを定めたのは、6月にそれらしいイベントがないからといった理由だった気がする。
そんなわけで、「昔、6月にあんなことやったなぁ」と思い出される記憶はほとんどない。もう24回6月をくり返して過ごしているにも関わらず、だ。7月の記憶とか、12月の記憶とかはこんなに出てくるのに。
記憶は、あるがまま、そのままで残っていることはずいぶんと少ない、と久しぶりにBUMP OF CHICKENの曲を聴きながらふとおもう。「あの駅前のカラオケ店で友だちとなんどもくり返し歌ったバンプ」「帰り道に必ず聴いていたバンプ」「車のラジオから流れてきた新曲に耳をすましたバンプ」。そんなふうに、たとえば、バンプの記憶は、「◯◯したときのバンプだな」として呼び起こされる。
記憶は体験と結びついているからこそ、なにかにふれる、足を運ぶ、出会う体験をくり返す。「学校で教えられた数学の公式は覚えていない。でも、こころで記憶したことは一生覚えているやろ」なんて島田紳助の言葉をおもいだす。
新大久保の好きなタイ料理屋にいった。新しいスマホにかえた。5xlのばかみたいにデカい白Tを買った。キングダムを一気に最新54巻まで読んだ。バンプのサブスクが解禁された。──そんな記憶は、「6月の記憶」として残ることはない。また1年たてば、ほとんど消えていくものだ。そもそも、「6月の記憶」として残る必要はない。「あのときの記憶」として残っていてくれれば──そうひっそりと願うばかりである。
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