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もりぞー生活

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日々の雑記です。とりとめもなく書きます。 (2017年10月〜)
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2019年4月の記事一覧

自分が今までで印象に残っている3つのシーン

「節目のたびに、どんどん年をとるのが早くなるなと感じるねえ」 バーでとなりになったおじさんは言う。「年をとればとるほど時がたつのは早く感じる」話。 「逆に節目じゃないときって、特に気にならないですよね。ひょっとしたら、時の早さを感じるのは、節目のときだけなのかも……」 と返しながら、ふと時の早さを感じたのはおじさんだけではないことに気がついた。 気づけば「そうですね、25になる年です」と答えることが増えたし、小さいころからある若白髪も増えてきた。 そんなとき、こんな

なぜ本に書いてあることが覚えられないのか?

これまでいくつもの本を読んできて気づいたことがあるとすれば、「読んだ本のことはほとんど忘れてしまう」虚しさと、「人はいろいろと忘れながら生きていくしかないのだな」と自然の摂理を受け入れるしかない儚さだけだった。なんてことをshimotsuさんのTweetを見ておもった。 だから「あの本に書いてあったことが〇〇でね〜」とすらすら言えてしまっている人をみるとうらやましく思う。どうやら自然と覚えることはできないみたいだ。もちろんふとしたときに思い出すことはあるし、たぶんこれまでも

「いつかどこかで出会えるかもしれない誰か」のために

僕はそれほど書きたいから書いているわけでもなく、届けたいから書いているわけでもなく、自分を知ってもらいたいから書いているわけでもない、どうにも稀有な人種らしいです。もちろんちゃんと書くときの方が人生の割合ずいぶん多いのです。僕らが「言語」を介して何かを伝えたり、理解したりしている限りは、必然的に「書く」「言葉にする」「文字にする」ことに価値が生まれます。とあるコンサルタントの人が「僕らの仕事はつまるところ、言葉にしてあげることだ」と聞いたとき、「たかだか言葉にしてあげる、では

カレーが好きな理由。

カレーにとりつかれたようにカレーを食べる日々。カレーは「なんでもあり」だからこそカレーたらしめているところがなんとも好きです。 たとえば居酒屋が好きな理由もそれに近しくて、「いろいろと食べられる」ことは僕にとってずいぶんと「おいしい」ことだったりする。 最近食べたカレー👇 好きになったきっかけは、大学3年生のころのタイでのこと。ふとなぜかタイの山奥の写真を見たときに「行きたい!!!」と思ってしまい、タイの山奥で2ヶ月間学校で英語を教える先生のボランティアをしながら、村の

「令和」の日。

新元号は「令和」。時間は11:30を少しすぎた頃、今か今かと発表を待っていたところ、「平成」同様左サイドにかかげてられてその新元号は発表された。左サイドに掲げたあと、しっかりと右サイドにもかかげて見せていた姿は、なんとも律儀だった。「れいわ」と聞いたときには「へいわ」かと聞き間違えた。「”平和”なんて、なんとも安直すぎじゃないか」と女子高生に聞いた新元号予想の第2位に「平和」が浮上したのをみたときの恐れが現実となってしまったわ、という感じでびっくりしてしまったのだが、「令和」

平成最後の夜に

 2019年3月31日。ニュースで「もう日本人が冷静に物を考えられる日は残りわずかだ」と言っていたのはどうやら本当らしい。「いよいよ新元号だ!!」とあと1ヶ月は少なくとも謳い続けられ、それが終わったと思えば間髪なく「オリンピックまであと1年だ!!」と謳い続けられることは、きっと間違いないだろう。  最近『ファクトフルネス』という本を読み始めた。著者の人が「私はTEDトークで話したことがありましてね」本にあった。TEDトークから調べておもむろに20分弱くらいの動画をみる。