子どもがいない話

昨日図書館に行った時に、なんとなく、上野千鶴子さんの本を借りたんだけど
そこでふと、子どもがいない先生だったっけ? って思って、多少ひねくれたイメージを想像した。

だけど、読みもしないうちから変な先入観を持つとろくなことにならないので、それはすぐに忘れることにした。

私自身、子どもがいないわけなんだけど。
というのも、ノイローゼと失読症で、薬をずっと飲んでいたため、妊娠することが出来なかったんだよね。まあ、それは、十年ぐらい前、30代後半でなんとかしようと思い立ち、子どもが欲しいと頑張ったこともあったんだけど、やっぱり私本人の健康上の問題で、どうにもならないことはどうにもならないことだと言うことが、はっきりした。
えーと、妊娠する機能自体は、健康の範疇に入るんだけど、飲んでいた薬とか、私自身の精神状態が、訳わかんないというか

書いちゃうけど、産婦人科の先生に、「私は妊娠出来る体なんですね」
という話をしたら「精神科の先生が責任持つの?」って返された。で、精神科の先生は、同じことを産婦人科の先生に言ったの。
それって、最終的に、産む親である私が全責任を持つことになんの……?って感じたんだよね。それでも子どもは欲しかったけど、そこで頑張りきろうにも、実家や家族と話したりなんだりしているうちに、頭がすっかりワケワカメになって、そうこうしているうちに40歳を越しちゃって、40越したらそりゃ、誰だって、産婦人科の先生が太鼓判押してくれたとしても、勇気がすっごくいる状態になっちゃった。

そこで、私、薬の関係もあって肥満体なんだよ。肥満が、妊娠にいい影響あるわけなくって、色々ダイエット頑張ったんだけど、ループしていたのね。

で、その肥満の私が、通院のために、電車に乗ったとき、ちょっとしたイベントがあった。

綺麗な妊婦さんが、子ども連れて、優先席に座っていたんだけど、やっぱり私そのとき、子どもとか妊婦さんに敏感で、なんとなくそっちの方に視線がいったのね。小さいお子さんが、靴を脱ぎたがるのをたしなめて、きちんと座席に座らせている様子が、とっても幸せそうで微笑ましくて、多分そのとき私、自然と笑ったんだと思うの。

そうしたら妊婦さんがそれに気がついて、私に優先席に座るように勧めたのよ。へ? と思ったら、おなかをなでる仕草をして、肥満の私を同じ妊婦仲間だと思って、優先席に進められ、断ることも出来なくて、座ることは座ったんだけど、冷や汗びっしょり。

その後、一週間ぐらいはショックでふらふらしていたと思う。何がどうショックだったかというのは、言語化出来るようなことじゃなくて、今までどこにも書いたことじゃないんだけど。
そのときに、すっかり、子ども産みたいとかその手の悩みはなくなった。なんか、ショックを受けて頭ぐらぐらしていたけれど、それがとどめだったのかなあ。

その後、仕事をぼちぼち始めて、色々なことがあって、今は休職状態だけど、仕事を大事にすることばかり考えるようになった。仕事、もしくは仕事につながる勉強が、一番大事なことになったみたい。

それでも、体調とか、失読症の名残とか、そういうのが色々あって、うまくいかないことも多いけど、出来たら、仕事したいと願ってる。仕事が出来ないにしても、子どもが出来なかったことについては、恨みもないし、むしろ、あのときとどめもらってよかったと思ってる。

その後、強く思うのは、あの綺麗な妊婦さんや、他のお母さん方が息しやすい、生きやすい社会ってどんなのだろうなあということ。
私の周りに子どもが少ないので、子育てってどういうことかわかんないけど、少子化っていうことは、子どもを育てにくいか、産みにくいか、何かの理由があるんだと思うから、本当にね、今子どもを産みたい人、育てたい人、育ててる人達が、幸せで、楽しく子どもといられるような社会って言うことに、興味を持つようになった。

子どもを持てなかったことについて、後悔はしないし、今後後悔もしたくない。私の病気は、色々な理由があったんだけど、自分で努力して、依存症や失読症を、仲間と協力しながら治療してきた。今後も、もっとよくなるだろうと、そう信じて頑張ってきたんだから。


それで、本当は、数年前まで、目標にしてきたことの一つの、図書館の読み聞かせボランティアがあるんだけど、子どもに絵本を読み聞かせする、あれね。あれが出来るぐらいまで、治療して元気になりたかったの。子どもを持てなかったけど、子どもに本を読むことの楽しさを伝えることって、絶対に、一人で本を読んでいるよりも、二倍も三倍も楽しそうだと思ったのね。

だけど、ノイローゼとか、軽度障害を持つ私が、子どもにふれあうってなると、親御さんは厳しいかなと、途中で気がついたんだよね。私は、ノイローゼがメインで精神科通院しているわけで、そういう病人に、子どもは偏見ないにしても、親御さんが、ふれあわせたいかっていうと、「違う機会にしてください」って言うだろうなあと思ったの。子育てする方の立場として、あんまり嬉しくないだろう、と。

私一人が楽しくたって仕方ないんだし。

その後、子どもとふれあう機会とか、子育ての現実ってどんな感じなんだろうとか、色々考えているうちに、またトシを取っちゃって、この先、大人や老人とはふれあう機会が多くても、子どもの話とか聞けそうもないなあ、子どもって、テレビの中にしかいない世界に突入しそう……と思ってる。

子どもが好きか嫌いかといったら、好きに決まってるんだけど、なんで子どもが好きなのって言われると、エネルギーがメチャクチャあるから。

すっごく元気でエネルギーの塊で、生命力爆発しているってイメージが凄くある。

そういうのって、見ているだけでこっちもエネルギーもらえそうっていうか、そばにいるだけで+ (o゚・∀・) + ワクワクテカテカ +してくるんだよね。私の場合。だけど、それって、私が一人で楽しいだけで、子どもにとっては精神科通院の変なおばちゃんでしかない訳で、子どもの都合を考えなきゃいけないんだよね。あと、親御さん。

それで、たまに、子どもがいないことについて、痛くもない腹を探られることもあるんだけど、大体こういう理由で、私は子どもが嫌いな訳でもなんでもないし、出来たら子どもとふれあう仕事かボランティアしたかった人なんだけど、無資格の上に、親御さんに気を遣わせたり、子どもに悪影響を与えたりしたくないんで、引っ込んでる人です。

それはそれとして、子どもが生きやすい、子育てしやすい社会には興味あり。
子育てしやすい社会って、最終的に、どんな人でも息しやすい社会だと思うんだけど、どうかなあ。

これから色々勉強して、子育てのこととか、色々なことを、文に書けたらいいなと思ってます。

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