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素晴らしい

06/06 SFマガジン用の原稿を書く日。とりあえず3000文字ぐらい書く。SFマガジン原稿はあと1500文字ぐらい。今回、冊数自体はめちゃくちゃ少ないのにやたらと読むのに手間取って原稿着手が遅くなってしまった。

夜、転職の相談をしたいといわれかつての同僚と食事にいく。もつ鍋を食いながら。たいしたことはいえなかったけどがんばってほしい。

素晴らしい

原稿を書いていて「素晴らしい」という表現が連続してしまった時など、どちらかを別の表現で言い換えられないかと類語辞典をみたりするんだけど、こういう時に本当に必要なのって同じような意味を表す別の単語を持ってくることじゃなくて、まったく別の表現なのだ。素晴らしいのあとに素晴らしいと似た意味を持つ類語を持ってきても、やっぱり違和感はある。

たとえばキャプテン・フューチャーについて書いた下記の原稿(の一部)で、

シンプルな宇宙冒険譚であり、現代にリブートしておもしろくなるのかなと心配していたのだけど、宇宙開発ものを得意とする著者の強みや、キャプテン・フューチャー愛が炸裂していて、素晴らしい出来だ。カバーイラストも〈キャプテン・フューチャー全集〉から変わらず鶴田謙二が担当しており、こちらも素晴らしい。

と書いていて、最初の「素晴らしい出来だ」がどうしてもおかしい。というより、本来レビュー文でおもしろいとか素晴らしいとかはあまり使うべきではない。ここで入っているのは表現で悩むよりかは「思いつかないからいったん素晴らしいを置いておこう」という判断で入れておいた感じ。そこでどうしようかなといろいろこねくりまわした結果下記のようになった。

シンプルな宇宙冒険譚であり、現代にリブートしておもしろくなるのかなと心配していたのだけど、宇宙開発ものを得意とする著者の強みや、キャプテン・フューチャー愛が炸裂していて、スペース・オペラの醍醐味を存分に堪能させてもらった。カバーイラストも〈キャプテン・フューチャー全集〉から引き続き鶴田謙二が担当しており、こちらも素晴らしい出来。

「素晴らしい」や「おもしろい」はあまりに抽象度が高く、こうした短文レビューでは使いづらい。上記の例では「素晴らしい」をより分解・具体的にして「スペース・オペラの醍醐味を存分に堪能できる」にした。

ただ、僕はけっこう「素晴らしい」を(上でも使ってるし)使うほうだ。それは、おもしろいや素晴らしいそれ自体には意味がなくても、その前段でちゃんとその内実を説明していれば「おもしろい」や「素晴らしい」が締めの文として来る分にはきちんと機能すると思っているからだ。

上段では最後の「素晴らしい」をイラストに使っているが、これは「イラストは見た瞬間にどう素晴らしいのかほとんどの人に理解できるから」あまり説明なく使っている。SFマガジンで書評が載る時はカバー絵を載せてもらうように指定できるので、読者は絵をみる前提で書いている──と、細かな調整だけどけっこういろんなことを考えながら書いているのであった。

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