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キャロルの終末

最近雑誌の企画で終末物を網羅的に語る部分があって今読み逃していたり観逃していた終末ものを漁っていたのだけどこの『キャロルの終末』はおもしろかったな。2023年の12月に公開されたNetflixのオリジナルアニメで隕石が降ってくるので7ヶ月後にみんな死んでしまうことがわかった世界。

時代はおそらく1990年代でパソコンもでかいしみんなたいした携帯も持ってない。で、そうした終末的世界でキャロルという特筆するような部分があまりない40代前半の中年の女性──美しいわけでもなければ、アクティブなわけでもない──の日常が描き出されていく。この世界、隕石でみんな死ぬことが確定しているからもう好き勝手に行動している人がほとんどなんだけど、世界中を旅したり日常的に裸になったり車で通りを爆走したりとわかりやすい「解放」行動をとっている。しかしキャロルはサムネに入っているように普通のオフィスカジュアルみたいな格好をして、特に何をするでもない

彼女の両親や友人らからもっと好きなことをやったほうがいい、もっと開放しろ、と発破をかけられ両親には「サーフィンをやってる」などを嘘をつくがもちろんやっているわけない。しかしそんな彼女はある時、どこかの会社に出勤するような女性を見つけて、その人物のあとを追ってみると、そこではこの終末期に真面目に働く会社員たちがいるフロアが(ビルの中に)あるのだった。しかも、そこですぐに人事と出会い彼女も働くことになる。

なぜ終末が7ヶ月後に迫っているのに仕事を──しかもコピー取りなどのそうおもしろくなさそうな──するのか? そこに喜び、意味はあるのか? そこで働いている人たちはなぜ働いているのか? どのような人たち7日? 人はどのように終わりを迎えるべきなのか? 姉妹の関係、欲望の解放とその種類など、地味だが多様な論点のある作品で、けっこうおもろいんだよね。

この手の「隕石が降ってくる系の作品」ってたいてい隕石が落ちたその瞬間のことはかかない。まあ物語のことを考えればその瞬間はある種誰にとっても自明のものであって、それ以前に作品で語りたいことは語りきっていることがほとんどだろうから書かない理由はわかる。村上春樹がいうところの「優れたパーカッショニストは、いちばん大事な音は叩かない」、の小説版に相当するのだろう。とはいえみんながみんな追突の瞬間を描かないのでむしろ描いてくれよと最近は思うようになってしまった。

とはいえ僕の記憶も曖昧なところがあって、たくさん隕石系終末の作品を読んできたけどそのラストで隕石が落ちたかどうか思い出せないんだよね。伊坂幸太郎の『終末のフール』、とかベン・H・ウィンタース『世界の終わりの七日間』とか全然結末のその瞬間がわからん。

今季はアニメで『終末トレインどこへ行く?』がやっているしいつの時代も終末物は人気だなあ。ちょっと前は『天国大魔境』やってたしね。これもかなりオーソドックスな終末SF。

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