「宿題やったの?」任意の作業を実行するための前提の作業

最近、テレビや新聞、インターネットのニュース、漫画や音楽、ビデオゲーム等様々なメディアで良く聞かれる言葉、「宿題やったの?」
これが進化すると、「資格あるんですか?」「許可はとったのか?」
これらを言う人達が要求しているのはそれをしたという「証明書」です。

2000年頃に映画「バトル・ロワイヤル」で中学校の卒業証書を提示すれば観覧が出来ると言われてからです。ただ、年度は4月から来年の3月までなので、卒業していても3月中は中学校在籍ではありました。その証明書すら、最近は判子が押されたりサインがされていても「偽だ!」と言う人達もいますが。
アルコール飲料の販売が自動販売機で不可になってから、身分証を提示して購入するようになりましたが、それでも未成年に買いに行かせる事案が起きたので、本人確認として本人が行くことが必要になりました。

平成8年(1996年)に大型自動二輪の教習所取得が許可されるようになりましたが、これはオートバイのチームで大型二輪免許の取得が試験場での一発試験だった時代に大型の練習を行うために “身売り” が社会問題になっていたらしいです。その身売りも「礼儀を果たしていなかった」と言って反故にされたり、「書類の手続が遅れて失効した」として無効にされたのが問題だったというそうです。現代(令和6年、2024年)でもアメリカのような国のように同乗者をつけて練習しないと取得できない免許体制の国で問題になっているらしいです。
「礼節の問題」>「礼」>「お辞儀」>「角度」>「角度」の問題で、それが主観的で恣意性の高い運用がなされる恐れがあるからこそだったというのに。 ところで前年の平成7年(1995年)に阪神と淡路の地震があって、大型二輪に乗れる人が多く亡くなったという警察側の意向はあったのでしょうか?

例えば模型で、組み立てられている模型は既に組み立てられている分としてお金が高かったり、組み立てが必要な模型は中身を組み立てることができたり、中身を組み立てる作業が必要になるから価格が変わったりしています。

家具も模型と同様です。

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