「おりこうさんぎょう」が・・・?

英語で「Sport」という言葉には
「身体的・技術的な巧拙を競うこと」
の他に
「決められた領域の下で善く振る舞うこと」
という意味もある。

コロナ禍を経て
「行儀良く振る舞うこと」
が評価になり、
スポーツの国際的イベントなどで
日本人の清掃に対するマナーが
注目されるようになった。
SNSでは相手を試すような振る舞いが
問題視されて、
動画配信サイトでも同じような事象が
問題視されている。

それらに対して問題点はあるか?
実際、日本がワールドカップロシア大会で
一次予選を通過できたのは
フェアプレーポイントのおかげだし、
マナーとして
「相手に不快な思いをさせないこと」
で相手を不快にさせないようにすれば
巡り巡って自分も不快に
ならないことにつながる。

その一方で
「定められた領域の下で善く振る舞うこと」
がクリエイティビティを犠牲に
している部分もある。

クリエイティビティの本質は
逸脱や既存の世界ではない
新しい世界を生み出したりすることだ。

別の立場から見ると日本人が
保守的になっていて、
守旧的になっている部分も
あるのだろう。

結局、逃げ場を無くして
背水の陣を引き、
一所懸命に立ち向かわせることで
特攻作戦ばかり組んでいて、
強者の論理で、
決死戦ばかりさせているだけであり、

何か特定の物事に対する絶対視は
リスクマネジメントの観点では
悪い意味で禁じ手である。

「みにくいアヒルの子」の寓話のように
特定の領域のみで評価して、
別の領域で評価されていることを
見なくなり、
水平的な思考が失われるという
危惧もある。

根本として「おりこうさん」という言葉が
親から子供に対して、つまり
圧倒的に力の差がある場合にて
使われる言葉であり、それは
与える側から受ける側のような
ことにもとらえられる。

領域が決められてあれば
外来の存在を入れることがなくなり、
完全に身内の力関係で
評価の可否を決めることもできる
ことが推察される。

そうなると第三者目線というのが
無くなるのだが・・・。

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