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ベビ子、にんげん0日目の記録(前編)

2022年11月に産まれた娘は、先日1歳半になりました。
切迫早産で出産まで2ヶ月以上入院し、予定日より一ヶ月早く産まれたベビ子。初めての子供で、産後に私の持病の再燃もありなかなかハードな毎日を送ってきたが、元気に成長してくれてうれしい。ベビ子もこの世に生まれて初めてのことばかりの1年半だったと思うが、私も初めて親になって1年半、これでもかと新しいことを経験して、あっというまに1歳半か…と驚いている。

ベビ子誕生時の記事は生後まもなく書き始めていたのだけど、なかなか書ききる余裕がなく、ずっと下書きのままだった。近頃は寝かしつけ後に少しの余裕ができるようになってきたので、一年半越しの下書きを仕上げようと思う。いわゆる出産レポですが、極力怖くない表現を心がけたので、よろしければお付き合いを。

出産前日

妊娠35週6日めの朝。
切迫早産と診断されてからおよそ2ヶ月、シャワーのとき以外24時間続けてきた子宮収縮抑制薬の点滴も明日で終了だ。
切迫早産は、簡単にいうと早産になる危険性が高い状態なので、子宮の収縮を抑える薬や安静などの対応で早産を防ぐ。けれど正期産(赤ちゃんが産まれるのによいとされる妊娠37~41週)の時期が近付けば、どこかで薬をやめなければならない。そのタイミングは施設や個人の状態によって様々だが、多くの場合はこのあたりで点滴を止めるようだ。

朝の回診に来た先生が、「針絵さん、いよいよ今日で点滴終わりですね!」と言った。え、今日?てっきり明日かと思っていたんですが…。先生はカルテを確認しますね、と帰って行った。そのあと洗面所でぼんやり歯磨きをしていると看護師さんが来て、「やっぱり今日で点滴終わりでした!今抜いちゃいますね!」と、歯ブラシを咥えて突っ立ったまま、点滴を抜くことに。2ヶ月間、苦楽を共にしてきた点滴台もガラガラと持って行かれてしまい、なんともあっけない点滴終了だった。

さて…と、身軽になったところで考える。
点滴終了は明日だと思っていたのは私の勘違いだったわけで、予定がもろもろ早まった。
子宮収縮抑制薬の点滴をやめると、多くの場合、数時間後に「張り返し」といって子宮収縮が増える現象が起きる。張り返しが陣痛につながり、そのまま出産になる人もいるし、張り返しが収まって一旦退院し、自宅で過ごしながら陣痛がくるのを待つ人もいる…と、事前に先生から説明を受けていた。
私はこれまでの経過で一度、点滴を外し内服薬に切り替えられるか(内服でコントロールできれば一時退院が叶う)トライしたことがあったが、すぐにお腹が張ってしまい1日と持たずに点滴を再開した経緯がある。だから前者のパターン(そのまま出産コース)になるかもねえとの先生の予想だったし、私もなんとなくそんな気がしていた。
だから明日、点滴を抜いたらやろうと思っていたことを今日これからやらねば…。

ということで、まずは身の回りの片付け。
事前に病院から受けていた説明では、陣痛が来た人はすぐに分娩室に行くのではなく、お産の段階がある程度進むまでは陣痛室という個室で過ごす。そこには必要最低限の物だけ持っていく。携帯や飲みもの、ストロー付きのペットボトルキャップ、タオルなど、いわゆる陣痛バッグというやつだ。
私のように陣痛が来る前から入院していた場合、お産の前後で大部屋から個室へと病室が変わることが多いので、本人がいない間にベッドや周りの荷物は看護師さんが移動してくれるのだが、私は長期入院で持ち込んだ荷物が多くてベッド周りが自宅化している。荷物をまとめないと引っ越しが大変になってしまう。
お腹になるべく響かないように動作をセーブしつつ荷物をまとめ、陣痛バッグの中身も再確認した。

続いてシャワー。
もし出産になったらしばらくシャワーどころではないので、張り返しが始まる前に。しっかりシャンプーもした。
この時点で午前11時ころだが、少しずつお腹の張りを感じ始めた。

お昼ご飯の後、張りはだんだん強くなってきたけれど、まだまだ我慢できるレベル。この後どうなるかなあ、と思いながら午後を過ごす。そんな余裕はないかもしれないが、陣痛が辛くなってきた時に励みにしようとiPhoneのカメラロールの中から何枚かの写真をお気に入りにマークした。大好きなゲームのデジタルフォトグラフ、実家の飼い猫と母のツーショット、森で虫探しをする夫。

夕ごはんどき。私の病室は4人部屋で、全員が妊婦さんだ。入院中に何度も部屋を引っ越したけれど、このご時世もあり大部屋では皆カーテンを閉めたまま、同室の人との交流は挨拶程度だった。だけどこの部屋だけはひとりの妊婦さんがカーテン越しに話しかけてくれたので、時々皆で会話をするようになっていた。
誘発分娩を明日に控えたAさんは、すでに3人のママという強者である。
もともと腰痛持ちだったのが、臨月に入って更に悪化してしまい、少し動くのもすごくしんどそうだ。誘発分娩は陣痛を人為的に起こす処置をするのだが、うまく陣痛かつかず翌日に仕切り直しになることもある、という説明を受けたらしく、「やり直しなんて嫌だ。絶対に明日産みたい」と何度も言っている。張り返しだけでびびっている初産の私は、彼女に比べたらぴよぴよの超ビギナーである。
「3回も出産を経験してるなんてすごいです…。何かこう、産む時にこれは大事ってことありますか」と私は大先輩にアドバイスを求めた。
「うーん何回産んでも怖いものは怖いよね」とAさん。
「そうそう。でも、呼吸は大事かな。陣痛来たら、息をとにかく長ーく吐くことに集中してると、痛みが少しまぎれる」
と、こちらも2出産経験者のBさんが続けた。
「なるほど」
初産の私とCさんは、新入社員のごとくそのアドバイスを頭に叩き込む。
「コロナで立ち会いもできないもんねえ。さびしいよね」
「私らは部外者じゃないんだし、このメンバーで応援しに行けばいいんじゃない」
「いいねそれ!」
病室の皆が分娩台を取り囲んでワイワイと応援するようすを想像してしまい、思わず笑ってしまう。お腹張ってるけど。
なんだか修学旅行の夜みたいな、ほんわかする時間だった。

21時の消灯時間がきた。お腹の張りはけっこう強くなってきて、痛みもときどきフーッと息を吐きたくなる程度に。陣痛アプリではかる間隔は7〜10分とまばらだった。定期的ではないので、まだ陣痛ではないよなあ…と少しモヤモヤ。
様子を見に来てくれた看護師さんに伝えると、「眠れないほど痛かったり、出血や破水感があったら呼んでくださいね」とのこと。まだ、陣痛とはいえず張り返しの範囲内らしいので、とりあえず寝るか、、とトイレに入った時、何かがツッと伝う感覚があった。
あわてて確認すると、わずかな鮮血。
怖い、とかびっくりした、とか考える前に体が動き、トイレの中についているナースコールを初めて押した。すぐにさっきの看護師さんがきてくれる。
「どうしました?」
「少しですが鮮血が、」
看護師さんの顔がぱっと引き締まった。
「お産の徴候かもしれません。寝られる時に寝て、食べられる時に食べて、備えておきましょう!出血が増えたり、眠れない時には、また呼んでくださいね」
看護師さんが去り、ひとりトイレに残される。
ああ、予想通りこのまま出産になってしまいそう。一度退院して夫の顔を見ることができないのは残念だけど、腹をくくるしかなさそうだ…。
そっと自分のベッドに戻る途中で、
「針絵ちゃん大丈夫?」
とカーテンの向こうからAさんの声がした。
「おしるしっぽくて」
「あらら、そうなんだ。いよいよかもね」
他の人たちもまだ起きていたみたいだった。
ベッドに戻り、眠ろうとしてみるが、まあ眠れない。
陣痛アプリで張りの間隔をはかってみると6分前後。間隔が短くなっている感じはしなかったけれど、痛みがけっこう出てきて、ピークの時にはフーッと小さく声を出したくなることもあった。このままだと同室の人たちに気をつかうし、だいいち私が眠れないな…と思ってナースコール。
さっきの人とは違う、夜勤の助産師さんがきてくれた。
これこれしかじかと事情を説明。私の様子(そんなに痛がってない)から、助産師さんはまだまだ時間がかかりそうと思ったようだが、
「でも、眠れないんですよね。一回陣痛室行ってみましょうか」
とのことで、陣痛バッグとして用意した無印のリュックだけを持って、暗い廊下を歩いて陣痛室へ向かった。
時刻は0時近く。
入院するまえ、自宅で夜中にお腹が痛くなり受診したときも、同じ廊下を案内されて空いている分娩室でモニターをとってもらったなあと思い出す。その時は不安も手伝って何処をどう歩いたのか覚えていなかったけれど、2か月入院した今ではすっかり部屋の配置を覚えてしまった。
陣痛室は、病室と同じベッドやテレビがあり、こぢんまりした個室という感じだった。
ふつうの病室と違うのは、トイレが隣の陣痛室と共有で、両側に扉があり、隣の人がトイレを使っている時は反対側のドアが開かない仕組みになっていることくらい。
ピンク色のガウンを渡される。ついに…これが戦闘服か…と感慨深い反面、これでもし陣痛が遠のいて仕切り直しになったらちょっとバツが悪いなと思いながら、もそもそと着替えた。お産パッド(破水にも対応する、すごく大きい生理用ナプキンみたいなもの)もあてる。ベッドに横になると、助産師さんが手早くお腹にモニターを付け、「じゃ、ちょっと内診してみますね」と手袋をはめた。
きた、これが痛いと噂に聞く内診…!とちょっと身構える。
お産の進みを確認するには、子宮口がどれくらい開いてきているかを内診で調べる。子宮口が開ききる(10cmくらい)までは、陣痛が来ていきみたくなっても、我慢しなくてはならない。いきむのが早すぎると産道がむくんだり、傷ついてしまうかもしれないからだ。
うーん、内診って確かに痛いけど恐れていたほどじゃないかも、等と思っていると、助産師さんがおっ、という顔になった。
「4〜5cm開いてます」
な、なんだってーーー。
切迫早産とはいえ、ずっと子宮口はガチガチに閉じていた私。もう半分近く開いてるってどういうこと?というか子宮口5cmってもうしゃべれないくらい痛いはずなのでは?とさまざまな「?」が頭を駆け巡ったが、最終的に口から出たのは、
「これはもう、このまま出産ってことで決まりですよね…」
という間抜けな質問だった。子宮口が5cm開いてる人間の言うことだろうか。
それでも助産師さんは「そうですねっ」と真面目に返してくれた。
やっぱりこのまま産むのか…。怖いけどやるしかない。自分を前向きにさせたくて、次は前向きな質問をすることにした。
「今日中に会えますか?」
「会えると思いますよ。しかもけっこう早いかも」

出産当日

結局、陣痛室では目が冴えてしまって眠れないまま朝を迎え、朝ごはんが運ばれてきた。
食べられそうですか?と聞かれ、しっかりお腹がすいていたので、はいと答える。実は、助産師さんの「今日中に会える」発言を聞いて、そりゃ大変だと陣痛バッグに3本入れていたゼリー飲料のうち1本を既に飲み干していたのは内緒である。
陣痛の合間を縫って朝ごはんを完食。
しかしこの後、陣痛の間隔が空いてしまう。長い時で10分、強さもそれほどではなくなってしまった。痛くないのは、正直ほっとする所もあるけど、お産の進みとしては芳しくないのでは…。でもモニターを見た助産師さんは慌てず、
「こういう流れなんでしょう。赤ちゃんがお母さんの体力に合わせてくれているのかも。寝られるなら少し寝ちゃって大丈夫ですよ」とのこと。
そうか、なら焦っても仕方ないか。昨夜一睡もしていなかったのですぐに眠くなり、時々陣痛でうっすら目覚めながらも、お昼までの数時間をうとうとして過ごした。
結果的に、ここで睡眠を取れたのがとても良かったことになる。

お昼ごはんが運ばれてきて目が覚めた。
寝ぼけながら、痛いのは痛いけど食べられそう、と思って、起きあがったとき、一度陣痛。収まったと思ったら、間髪入れずにぎゅーっと強い収縮がきた。あれれれ、と思った瞬間、お腹の中でパァン!と水風船が割れた。

反射的にナースコール(2回目)。
すぐに先生と助産師さんがきてくれた。
「破水しました」
「破水!」
先生の顔が明るくなった。やっぱり、産科医にとってお産は醍醐味なんだろうか。しかし、破水ってほんとに文字通りだな。人によっては尿漏れと区別がつかないくらい、ちょろっとしたものから始まるとも聞いていたけど、私の場合はもう誰がどうみても、という勢いで暖かい羊水がドーっと出てきた。
羊水でずっしり重くなったお産パッドをかえてもらい、破水したので分娩室へ移動することに。
「そういえば、トイレ行けてます?」と助産師さんに聞かれて、しばらく行ってないことに気づいた。トイレに数分篭ったものの、陣痛の痛みのせいで尿意が全くわからずギブアップ。
導尿するから大丈夫ですよー、とカテーテルを入れてお小水をを抜いてもらう。自分でもびっくりするくらいたまっていた。出産という非常事態に、尿意もどうにかなってしまうらしい。

陣痛と陣痛の間は全く痛みがないので、その隙に荷物を持って分娩室へ移動する。
分娩室で迎えてくれた助産師さんはよく担当してくれる明るい人で、
「え~針絵さん、すごい余裕ある感じ~!ここ来るときは歩くのもやっとって人が多いのに~!」と褒めてくれた。
破水のインパクトが強すぎて精神的にはヨロヨロなんですが…。
さすがに陣痛が強くなってくると体も臨戦態勢になるのか、食欲がわかず、昼食はなんとか少しだけ食べて、残りは下げてもらった。
うう、入院して初めて食事を残してしまった。あ、いたたたたた(陣痛)と、未練がましく分娩台によじ登ったのだった。

後編へつづく!

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