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苦い思い出 プロローグ



郊外の繁華街。
雑居ビルの一階、オレンジ色の看板が交換時期をとうに過ぎたであろう蛍光灯に照らされていた。
その看板の店が何の店なのかはパッと見てわかる人は少ないであろう。
素直な奴は動物園と思うかもしれない。
急に雨が降りだしたから仕方なく雨宿りのつもりで入った。
そしたら、こんな懐かしいもんを見つけちまった。
俺は舌打ちをして、ビルのエレベーターホールへ足を運んだ。
看板を見ると懐かしい気持ちと共に20年前の苦い思い出が蘇った。
それは犯罪的に刺激的で暴力的で魅力的な青春だった。

20年近く前、当時の俺は大学生で小さなテニスサークルに所属していた。
そこの先輩が雀鬼流の道場生で、よく麻雀に誘ってくれた。
先輩の誘いは断りにくかったし、同年代でルールを知っているのは俺だけだった。
最初は渋々参加した。
先輩はこの仲間での麻雀の打ち方(当時の雀鬼流の考え方)を教えてくれた。
現代の解析からしてみれば勝つことだけに固執していない理論も多いが、同卓者に嫌われない打ち方とは何かを学んだ。
簡単に言えば、高い手にならないときはオリて。高い手を常に目指し、最終形はリーチをしてダマは禁止みたいな感じだった。

麻雀は勝ちにこだわりすぎず、勝負の美学を追求する遊び。
一種のコミュニケーション手段の一つとして、とても良い遊びだ。
当時はその場の空気が楽しければよかった。
勝ったお金で奢って、負けたときは奢ってもらって、勝ち負けなどどうでもよかった。
馴れ合いという意味で麻雀がとても楽しかった。

あるサークル飲みの帰り、俺は酔い潰れて終電を逃す。
仕方なく新宿の街を徘徊し、セット仲間に携帯で電話をかけまくったが、みんな帰宅していてメンツは集まらなかった。
季節は5月中旬で早い梅雨入りのニュースが流れていて、その夜も雨が降りはじめてきた。
雨と一緒に俺の頭の中へ謎の衝動が降ってきた。
いつもセットで利用している動物園でフリーを打ちたい。
(※セットとは知り合い同士で打つ麻雀、フリーは知らない人同士で打つ麻雀。)
どうしてそんな気持ちになったのだろうか。

それは紛れもなく純真無垢な冒険心と暴力的な衝動だった。

だらしないホストがエプロンをつけているメンバー。
どこで何の仕事をしているのか分からないオッサン。
見るからに漢の道を極めている墨の入った輩。

そんな奴らの巣窟で暴れてみたい。

酔った勢いにまかせて、始発が出るまでのベタ足ファイトに俺はワクワクしていた。

賭博麻雀をやっている犯罪者供から、俺が俺自身の実力で金をむしりとってやる。

真っ白なスタンスミスを自動ドアの前に滑らせた。
鈴の音と共に、悪の巣窟の扉は開いた。
タバコの粉塵の向こう側には、怪物達の鋭い視線がスナイパーライフルのレーザーのように俺に照準を合わせていたように感じられた。

続く

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