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第二話 贋慈

1

 都内の西の端にあるよくあるベッドタウン。駅前には大型団地が連ね入居者のための大型百貨店やスーパーなどがならぶ。その駅前から二十分以上歩いた場所に問題の場所があった。関東平野の終わりにあるがゆえに丘や谷が連なる住宅街の中。ちょうど谷になっている場所で幾つかの古い一軒家が並んでいる。いくら都内とはいえ高齢化の波には勝てず、その一角はすでに空き家しかなく不動産業者も、駅から距離もあるし道路は狭くその多くが一方通行という面倒さ。自治体からの要望もあり少しずつ道路を広げていくという計画が立ち上がった。現在でも空いた土地から買い取ると言ったことをしているため謎の空き地が点在する状態。道路の拡張計画がそんな調子だが空き家の一角を解体し、7階建てのアパートが立つことになった。既に工事は始まっており白い鉄板の目隠しで誰も住んでいない民家を囲い解体することになった。
 最初に気づかれた異変は、解体工事が始まって一週間経ってからだった。その2、3日前から作業員が何人か見当たらないことがあった。こういうアルバイトでいわゆるバックレだと思われていたが、昼間までいたはずの現場監督がみあたらない。そのときの作業員は全員顔面蒼白になったという。もしかしたら瓦礫の下かもしれない。責任問題の所在で紆余曲折みんなの感情論が飛び交ったが結局会社に連絡し、そこから救助隊や警察やらで作業度外視で捜索となったが現場監督は見つからなかった。無論、会社は自宅やどこかに行ったのではないかと自宅や近所の施設などに連絡を入れたが本人は見つからなかった。

 作業が遅れても仕方がないため、工事作業を請け負っていた会社は人を増やして安全に力を入れて作業に当たることになった。しかし、行方不明者は増え続けた。それどころではなく、近隣の小学生やお年寄り。年代を問わず行方不明者が出るようになった。共通するのは近所に住んでいたり、通学通勤などでこの近くを通る人ということそして警備員だけでなく警察も巡回するようになった。そこで怪異の可能性を決定的にした事件が起きた。巡回中のパトカーを現場付近で止め軽食を取ろうとした際、パトカーの中にいた二人のうち一人の巡査が一切の音も立てず跡形もなく消えたことだった。彼が膝の上にのせていた封の空いたパンがシートの上に落ちていたという。

 現場監督を含めた全員が一年経った今も見つかっていない。

2

 その話を聞いた籠囲マキは腕組みをしたまま微動だにせず、一言「無理」と断った。
 新宿駅に巨大な鶏が表れて数日後の夜。マキは新宿駅にある喫茶店にいた。目の前にいる白髪ショートでスーツをきっちり着込んだ初老の女性、どう考えても年上だろうにマキの堂々とした態度は目上にするようなものではなかったがその初老の女性はそれを全く咎めず。表情も変えず、マキの言い分をただ静かに待っていた。
「師走には向かない現場だわ。」
 初老の女性は深く長く息を吐いたが驚きの表情ではなかった。
「本来ならこういった手合いは早めに菊沼家に頼むべきだった。」
 昨今の不況と怪異に対する知識のなさから自治体はそういった怪異に対する行動が鈍化している。その工事現場も同様に発生から数か月で、初老の女性はその自治体に打診はしていた。
「怪異そのものを否定することで”無い”ものとさせる菊沼家。その方がいいわね。」
「そのつもりで手続きから見積もりを提示したとたん嫌がってね、宗教団体に払う金なんてない。と一蹴されたよ。」
 菊沼家は籠囲家と同じく政府からの要請をもって、別ベクトルから怪異を消滅させるプロフェッショナルだ。その傍ら法人団体を持っており、それなりの信者数も抱えていた。それこそ、一般人にはただの宗教団体にしか見えない。しかし、知っているものからすればまっとうな方で一定額以上のお布施には面接や審査が必要であり、仏の教えをもって現実とどう折り合いをつけて生きていくかを問うそういう団体。しかし、本当にネックなのはこの菊沼家に頼むとなると人件費が割とつくというところだ。
「怪異を否定する者が多ければ多いほどいい、そういう仕組みの除霊を得意とするから人件費が高くつくというのは説明したんだがな。なにかこう、がめついくそババア的なことを…いわれた。」
 向こうの会社に訪問し、社長と副社長と面会したそうだ。説明の途中から社長の方は声を荒げだし最後には悲鳴のような怒声で聞き取れなかったらしいが、面と向かってがめついくそババアだけはわかったらしい。頭を下げる副社長に気が変わったら連絡してくれとだけ伝え退室したのだと。
 それを聞いたマキは肩を落とし、腕をほどいて目の前のカフェオレに手を伸ばした。
「そうね、師走を今使うなら皐月さん入れて人件費2人でいいもの。」
「おやおや、3人であろう。そういうところは引き下がっては行けないよ、マキ。」
 師走と新倉皐月。そして師走の召喚主であるマキ。たとえ、実務は先の2人といえど師走はマキがいなければ現世には顕れつづけられない。そういう意味では同時に労働者であろうと初老の女性は付け加えた。
「そういうところががめついんじゃない?」
 カフェオレを数口のむとマキは続けて話す。
「ご存じの通り師走は物理一辺倒の怪異よ。聞いた限りその怪異は場所を起点に行動できる。異常の現場を誰も目撃できていないなら強力な結界持ち。それでそこによく知らない妖狐を組ませて解決できると?」
初老の女性はにんまりと嗤った。
「よく知らないとは、言葉ねぇ。気づいてるのだろ?」
 初老の女性はマキの事をよく知っている。マキは相当の霊感持ちでありそれは幽霊怪異を見るというより、当人の因果を見るほどであった。初老の女性はマキと出会う前からそれを知っており、ある程度見られないようフィルター的な呪術を自身にかけていたが、知られてもいい情報はすべて晒していた。
「私もね、全部常に見るわけじゃないわ。そんなの疲れるからね。それに貴方は特にどれだけ永い時間この世にいるのか判らない怪異。全部見ようとしたらそれは海外ドラマ十数シーズン一気見なんてものじゃない。自分のことさえ忘れかねないわ。」
 怪異と呼ばれた初老の女性は表情を変えずコーヒーを啜りながらゆっくり話した。
「なら話しておこう。彼女は私の旦那が目をかけていた狐だよ。生まれて僅かで金属を操り、自身とは比べ物にならない大きさの熊を屠って食っていたそうだ。恐ろしく生きることに執着した狐。」
 それはとても懐かしむ表情で、マキはその意外な表情に充てられたのかその思い出話をゆっくり聞くことにした。
「狩りや人語を教え、人の戦場にも一緒に出たことのある狐(こ)だよ。力も気持ちもとっても強い狐だ。変わっていなければな。」
「そう。皐月さんも青服なの?」
「いや、勧誘したことがあるがそのころには戦に。というか政(まつりごと)に疲れきっていたようで断られてしまった。」
 よく知れたスマホの呼び鈴が鳴る。すまない、と初老の女性は席を離れ電話に出るとしばらく話したのち戻ってきた。
「頼んだ本人がこれじゃ説得力ないな。ただ今の皐月がどうか私も見てみたい。新宿駅にでた鶏が何なのかわからない上、師走だけで太刀打ちできないのも事実だ。師走と皐月が組んでうまく動けるのか気になるだろう。」
「ほんとに上手いお人ね。いえ、怪異。青服の総大将さん。」
 総大将と呼ばれた初老の女性は、上着をハンガーから外し腕に引っ掛けると笑顔でマキに手を振りながら店を出て行った。


都内の西の端にあるよくあるベッドタウン。駅前には大型団地が連ね入居者のための大型百貨店やスーパーなどがならぶ。その駅前から二十分以上歩いた場所に問題の一年以上放置された工事現場があった。空き家は屋根のないものや手付かずのもが混ざっており、工事開始直後から進まなくなっていたようだ。それにしても放置された重機が半ば白い囲いを押して倒しかけていたり、やたら樹木が生えて本当は数年放置していたんじゃないかと言った具合には豊かな自然に包まれかけていた。現場に着くなり、皐月と師走はその一角を見渡せる丘の方から調査することにした。いい天気の秋空で平日の昼間なせいか周囲は静かだ。その中狐耳を前方に向け集中する皐月だったがすぐに表情を緩めた。
「確かに囲いの中は何か居そうな気配はするが。どうだろう、そんなに強力にも感じないが。」
 その横にいた師走は逆に顔を軽くしかめた。師走は霊感が全く無い零感。今回の目標が何であれ霊感に関してはすべて皐月頼みなため、ここで何も情報が得られないのは結構痛手だ。
「誘拐するときだけ本気を出すタイプだとしたら面倒ですね。」
 丘の方から見ているだけではなんとも言えなさそうなため、兎に角周辺を歩いて様子を見ることにした。駅の近くは大きな集合住宅地や小さなアパートがひしめくが、新しい一軒家が並ぶ静かな住宅街の奥に入っていくといかにも昭和の時代に立てたと言わんばかりの家がポツポツ出てくる。さっき通り過ぎた家は人が住んでるのかわからないほど屋根が曲がっていた。その多くの家の郵便受け口にはビニールテープが貼られダイレクトメールなど入れられないようている。
「たしか、このあたりの未解決失踪事件の最初って工事現場の監督だよな?」
 皐月がなんの気無しに師走に尋ねた。皐月はざっくりこの辺りで怪異による行方不明者が出ているという話を聞いただけだった。そのため、現場に来る電車のなかでざっくりとネットで噂を探しはしたが情報はからっきしだった。
「一応、現場監督が怪異による事件と判断される発端にはなっていますが、未解決失踪事件だけで考えるとキリがない感じにはなっています。」
 じゃぁ、現場監督が最初としてと、さつきは情報の少なさにうんざりした顔を隠さず出した。師走も、わかる。と言った表情で返した。まだ日は出ているし、近くの商店街で話を聞くことにした。駅前のスーパーから伸びる商店街はそれなりに賑わっていた。とはいえ何処から聞きこむか悩んでしまいとりあえず長年やってそうな豆腐屋の老夫婦に声をかけようとした。しかし、そんなものは居らず見かけによらず若い夫婦が切り盛りしているようだった。
 皐月が話の切り出しに豆乳を買おうとすると奥から金切り声が上がった。すぐさま女性の声が加わり、夫のほうが豆乳の会計をしながら謝ってきた。どうやら夜が怖くて母親と口論になったようだった。
「最近の行方不明者が増えてるんでしょここら?」
 「あはぁ、そうなんですよ。すごいテレビで騒がれちゃって。」
 いやぁ、大変ですね。

 そんな問答で終わってしまった。皐月は店の横で黙々と豆乳を飲みおわると、次だ次。と今度はカフェの外の席でおしゃべりしている年配の女性二人に師走が声をかける。
 「すみません、行方不明者を探しているのですが何か事件に心当たりなど……」
 「あら記者さんか探偵さん?」
 「そんなところです。」
 「ごめんなさいねぇ、今日はお友達のお見舞いできてたのよ。」
 あまり着飾らないで来ていたのはお見舞いで相手に気を使わせない為だったようで、地元民と勘違いした師走も聴きこみは失敗してしまった。

 その後も唐突に行方不明者を探そうとした二人は、なんの成果もなく夕方に向かっていた。

 「小学生が……下校してる」
 公園のベンチで座っていると公園で遊びたいと言っている低学年を高学年の生徒がたしなめている。
 うんうん、しっかりしているなぁ。現場の近所に当たるこの公園はもしかしたら例の怪異の結界内にあるかもしれない、仕方のないことなのだろうと内心考えていると高学年の生徒は妙なことをいいだした。

 −−観音様に連れてかれちゃうよ。

 観音様と言うのは怪異に含まれないだろうが、それ以外のワードはどう考えても怪異チックで、皐月は昔「子供のうわさ話はバカにできない」と言われたことを思い出していた。そのままとっさに背の高い方の小学生に詰め寄った。
 「観音様の話聞かせてもらえない?」
 低学年の方の子は未だに不満な顔をしているが、高学年の子はとっさに庇いつつ不審な目で皐月をみる。その光景をみて、師走は流石に怖がらせることになるだろうからど、公園入り口から離れたその場から離れなかった。
 「日が落ちた頃に一人で遊んでると大きな観音様が現れてその人を連れて行く。っていう話があるだけです。もういいですか?」
 「あぁ、ありがとう助かったよ!」
 明るい声で返すが、小学生達は皐月から目を離さまいと度々後ろを見ながら足早に去っていった。いいぞ、その警戒心大事だ。などと満足げに見送ると師走が皐月のよこにならんだ。
 「あれですかね?」
 師走の指差す方向にはいくつか碑が並んでいた。一つは戦没者ものらしく大勢の名前が刻まれており、その隣の一つには、木の瘤観音記念碑と刻まれていた。
 「よくみたらこの公園のなまえもかんのん公園なのか。」
 「…………地域板に情報は無いですね。」
 「板?」
 「ネットの方です。掲示板。」
 師走は自身の物理にたいしてはある種無制限に作用できる能力がある。自身が動かずともスマホ操作ができる。微動だにせずネット検索する様を怪異以上に変な目で見る皐月だった。皐月も金属を操れるがそこまで器用ではない。物質を司ると言うのは底が知れないと感じた。
 そんなことより兎に角情報がない、もう夜になってしまう。そこで、子供のうわさ話を確認するため、あやしまれないよう今度は大人から聴くことにした。

  駅を挟んだ住宅街の反対側はかるく歓楽街になっている。そこで皐月達は酔って出来上がっているグループを探しその人からききだすことにした。 
 「あー、公園観音?だっけウチラが子供の時はやったよー。」
 「夜?たしか時間とかは決まってないんじゃないかな。あの公園は昔から人さらいだか神隠しが多かったって爺さんから聞いたな。」
 50前後の男性はハイボールを片手に焦げた砂糖と醤油とピリッとした一味唐辛子のかかったホルモン焼きをつつきながら語った。戦前から古いお寺とその近くに囲われた大木があった。大木は確かに立派だったが、それ以上に幹に観音様のように見えるコブがあって、そのコブを崇めている感じだった。戦後のゴタゴタのあと、その周りも土地が整理され住宅地になるという話が上がった時。その大木は既に倒木の恐れがあるほどの老木だったという。寺もほぼ崩れており誰のものか解らなかった。そこで寺は解体し敷地は公園に。木も切り倒し、その木材で改めて観音像を彫り記念に公園に安置することになった。
 「観音様に追いかけられたって話が出続けてなー。そしてとうとう行方不明者が出だしたんだよー。」
 元あった廃寺の頃から噂があったがその頃はまだ子供の躾のめいもくであった。だが男性が子供の頃何度か行方不明者がその公園の近くででっため何度も集団下校があったという。買い食いっつーか駄菓子屋で欲しいカードがあって誰が先に自分のほしいカード出せるか競ってたのにさー、とちょいちょい思い出話が始まって皐月は苦い顔をしだした。そこで皐月は話を遮った。
「でも、収まったんだよな_?_」
 そう言うと男性はそうなんだよ、と大声を上げた。実を言うと行方不明者は何人か見つかったそうだ。数人は衰弱した状態だったが生きており、数人は遺体で見つかったそうだ。しかし、男性が子供だった頃の話で、親たち大人は子供にその話をしようとはしなかった。生存していた家族たちは、被害者を入院させその間他県に引っ越したりしていったそうなので何もわからないそうだ。
 「皐月さん、そろそろ約束の時間ですし失礼しましょう。」
 「?」
 あ、あぁ、と変な声が出た皐月だったが師走がこの酔っ払いが厄介になる前に離れようとそういう助け舟を出しただけなんだと悟り、お会計を済ませて出ることにした。
 「いやぁ助かった、あのままずっと飲むことになりそうで。」
 師走も皐月も揃って苦笑いした。
 「一応、話を聴きながら裏をとりました。」
 驚く皐月に、師走はまた自身の能力でポケットに入れたままのスマホを通して牧とチャットをしていた事を伝えた。牧は男性の昔話をネットで検索した。そして、それっぽい情報が怪談として個人サイトに纏められていたと報告してきた。とはいえ男性が話しと大して変わらなかった。一応、この地域に詳しい人にも聞いてみると返信はあったが待っていられるわけでもない。
 「遺体で戻ってきたのが数名いる、って言うだけでも返事を待つ時間はないな。」
 2人は無言のまま問題の事故現場に戻っていた。
4
 「一応足元気をつけてください」
 ショベルカーの上で後ろの崖に控えている皐月にいった。そのショベルカーは当時解体に使っていたものだろう。だがいまでは一年放置しただけでここまで錆びるのだろうか、という程に茶色く錆まみれになっていた。しかも目隠し用の白い鉄板を壊そうとしたかの様に覆い被さっている。
 皐月は渋い顔をしながら飛び乗った。無論二人とも、既に自分達の存在は怪異側にバレているだろうということで、管理会社から預かった鍵で工事現場の正面から入るつもりだった。だが、ガチャリと鍵が開く音がするも扉が開かない。先に鍵を開けたのは師走だった、なので一方的に怪異に邪魔されているのかと、気合を入れた皐月だったがびくともせず。二人は最初に偵察に行った崖側から入ることにした。気まずい感じに。
 重機から二人が降りるとギシギシと音が鳴った。普通に乗っかったら崩れるところ、師走が自身の能力で支えてくれていたから大丈夫だったのだと皐月は考え瓦礫の山に向き直った。

 既に二軒ほど解体された更地には瓦礫が積まれている。他は家財や窓枠のない家が何軒か手付かずで残っているが、いずれも屋根が溶けたかのように崩れているほどの有様で生存者がいたとして、先ずそんな建物の中にはいないだろうという気だけはした。
 師走もいい表情をしなかた。
 「人の気配はないです、死体も恐らく無いように感じますね。」
 そう呟く師走に同意する者はいなかった。師走は呆気に取られたまま確認の意味で振り向いた。発言し終わった瞬間から皐月の気配を感じなくなったからだ。

 振り向いた先には誰もおらず、ただ先ほど工事現場に貼ってくる時足場にしていた重機がキィキィ風に吹かれて鳴いているだけだった。
 「はやっ。」
 師走も皐月もここにくる時に想定はしていた。怪異をどうにかしようという者が二人も来るのだ。分断しない手はない。しかしそれにしても、もう少し後かと思っていたが、入って直ぐとは中々だと思い直した。とはいえ、工事現場の外ででも神隠しをやってのけるほどである。工事現場に入れただけまだたすかったという所だ。
 兎に角、皐月がいなくなった位置を覚えておく。そのまま、工事現場の端にあるコンクリート造りの三階建を目指した。生存者いるとすればその建物以外適さないだろうという判断した。
 師走はその建物に入ってすぐ途方に暮れた。やはり人の気配はない。家財などは一切ないし窓枠もない。収納の扉等も一切外されている。念の為、元トイレだったような奥まった個室、ベランダの跡、の下に落ちてないか覗いた。屋上の屋根も見回ったが生存者どころか、皐月の気配も感じなかった。
 「警戒していたとはいえ、困るなぁー。」
 屋上の縁にすわり、出来ることがなくなってしまった師走はそのまま荒れ果てた工事現場を眺めることにした。

 4.1
「人の匂いが全く無いな。」
 そう言って師走の方に向き直ると誰もいなかった。無論、師走の匂いもまるで最初から居なかったかのように無かった。

 早。二人は同時にそう思っていた。
 だが結界に閉じ込められたのはどちらの方か気になり、目隠しの鉄板の方に戻り外の様子を確認しようとした時だった。
「ワタシの方か。」
 足が動かなかった。上半身もそうだが外に戻ろうとすると、全身が自分の形をした型に嵌められているかのようにびくともしない。じゃぁどちらになら動くのか?皐月は渋々奥の方にあるコンクリート製の大きめな建物の方に歩みを進めた。足、身体はすんなり動いた。あからさま誘導に苛つきながらもそこまでしてくるならば、相応に覚悟しておけよという何か変な意気込みがうまれていた。
 建物に近づく際も鼻に集中する。相変わらず生者死者問わず気配を感じない。ただコンクリート製の建物からは嗅ぎ慣れた濡れた土のような匂いがどんどん濃くなっていく。
 建物に近づきコンクリートの壁に開いた、かつて出入り口であっただろう四角い穴を通る。急に濡れた土の匂いは消えた。その瞬間目眩を覚え、少し長めに目を瞑り瞼をあけるとそこにあったのは四角い部屋だった。いや、最初から四角い部屋だったが、四角い部屋の先から見えていたのは狭い道幅の廊下の筈っだ。今、自分のいる部屋は右手に階段がある部屋。その先にも右側に階段があり、正面の方には出入り口の跡がある、その先が見えるわけだがやはり右側に階段がある同じ部屋、その先もその先も。
「へぇ…頑張るねぇ。」
 閉じ込めてくる怪異がよくやる手だな。と皐月は鼻で笑った。部屋の右側にある階段だった残骸に足をかける。既に手すりの無いただの重なったコンクリートは手前でいったん折れ曲がって上に続いている。右手に階段が見え、皐月は知ってましたといった表情をしながらおりた。無闇に昇っても何もないだろうし、建物より高い位置まで登った場合どうなるかもわからないので暫く同じ階の部屋を見て回ることにした。部屋は四方向に出入り口がある。考えるのも面倒になった皐月は渦を巻いて外側の部屋を回るようにしようと考え、5部屋目まで来て気がついたことがった。
 「部屋の傷とか細部は全部違う?」
 次の6部屋目に入ろうとした時だった。男性の悲鳴と少女の短い悲鳴で皐月は驚いた。目の前にいたのはつなぎ服の上を腰回りに纏めた年季の入った男性と、小学生くらいの女の子。そして女の子を庇うように抱き寄せた老女だった。
 「なんだ、お前も迷いこんだ奴か⁈」
 震える拳を皐月の前に据えた。声が裏返っている。
 「ぁあ、そうなんだと思う」
 呆気に取られてそう答えたが乗り込んできた訳だから違うんだよなぁと思っていると、男性は腕を掴み皐月を二人から離れた部屋の隅に連れて行く。何事かと思っていると、男性は皐月に尋ねた。
 「お前は、いつから来たんだ?」
 「ついさっきだが?」
 「ちがう、そうじゃねぇんだ。何月何日だ?」
 あんたがここにくる直前の日付。顔を真っ白にしながら皐月の返答が怖いのか相手の顔を見ずに尋ねてきた。皐月はスマホを取り出して日時がその日付のものだと確認して、男にその日付を見せた。男は顔だけしかめ静かにため息をついた。どうやら男は一年以上前にここへ来たが、数日ぐらいの体感だったらし。先ほどの老女と少女と出会ったのも体感数時間前。だが告げられて日付は自身がこちらへ来た日時から一ヶ月から数ヶ月先の日付。ただ、少女は幼さゆえにからかってきているんだとか、老女に関してはボケているんだと考えていたらしい。だが皐月にスマホの画面を見せられて確信に変わってしまったのが男にとってショックだったと、そういう話になった。
 時間の流れが異様に早いのか?そう皐月が考えつつスマホを見るとバッテリーがどんどん減っていく。一秒に1パーセントといったぐあいで皐月は慌ててスマホの電源を落とした。どれだけ持つかわからないが予備バッテリーがあるとはいえ長期戦は避けなければならない。
 悩んでいると男性が二人を部屋の隅の方に隠れるよう誘導していた。
 耳をそちらに傾けるとザリザリと歩く音がする。男が隠れろと身振りで皐月に伝えた頃には既に遅く、元ドア枠の所には既に警官の姿があった。皐月は既に近づてきているのが人だと解っていたため何の警戒もせず警官の方をみた。
 「よかった、皆んなぶじでぇ」
 警官がそう笑顔で言った瞬間、その口から黒い枝が生えた。それは濡れた土の匂いがしていた。皐月はそれに気づいて一足跳びで後退すると同時にドア枠横の柱から自身の能力で金属を生やし崩す。
 「よかった…よかった…ぶじ、ぶじいいい」
 黒い枝にぶら下がる警官の亡骸の奥にさらに黒い枝が延びていてその先に白い顔のような者が一瞬見えたがそのままその出入り口は瓦礫で塞がって行ったため確認は出来なくなった。
 「おい、あんたも逃げるぞ」
 男は老女と少女を庇いながら皐月の腕を掴んだ。
 「そうだな、所で何か襲ってきたみたいだけど何かわかるのか?」
 「知らねぇし、知りたくもねぇ。ここから出られれば関係ねぇだろ」
 すると少女が耳打ちしたいのか皐月の服の裾を引っ張り、内緒話をするかのように口に手をあてている。しゃがんでやるとみみうちをしてきた。
 「かんのんさまだよ。でもね、おばぁちゃんが、かんのんさまっていうと凄く怒るから言わないでね。」
 不安そうに少女はそう言った。どうやらあの化け物は観音様のような顔をしているらしいが、観音様と呼びだした男に老女が「あんなもの観音様じゃありません」と憤慨して口論になったらしい。
 兎に角、先ほどの怪異から離れようと進んだが一つの部屋、前後左右に出入り口があるためどう行っても怪異が本気を出したら直ぐ来れるようなつくりで逃げている気がしない。先導する男性はひたすらに階段を登らないので、皐月が男性に尋ねる。
 「上に登ったりしないのか?」
 「少し隠れるぐらいには使うが、基本登らない。そこの女の子が一度登っていくのを見ていたら、俺が見上げてた後ろの部屋から出てきたんだよ。」
 端っこの部屋というのにもあたった事がないらしい。某立方体映画を思い出した皐月は、部屋の出入り口や状況にヒントはないか気にしてはいたが全くもってそんなものはない。そのうえ誰もこういった場合どうするのが最善なのかわからないままだった。皐月は長めに深呼吸すると、心のうちで

 めんどくぇ

 と毒づいた。結界の外に出る頃には30年くらい経ってしまっているかもしれない。漠然とゾッとして、とりあえずあの薄ら笑いの木像を殴ろうと決心した。

 4.2
 「は?」
 また男性にだけ隠れて話をすると、素っ頓狂な声を出した。男性からしたら若い女性が「ワタシが食い止める、先に行け」と言い出したわけだ。「格好つけるとかふざけてんなよ、さっきの警官だってそういて、ああなったんだぞ。」震える声で、後ろにいる二人には聞こえないよう言い放った。この交渉も面倒だと皐月は思ったが、木像を一撃で粉砕するにはそこそこ近づかないといけない。唖然と睨む男性にアテがある。と皐月は言い放ち続けた。
 「私が離れて30秒だけ待ってワタシを止められると思うなら止めればいい。だが、無理だと思った今言ったとおり、アレがいた方向とは逆の部屋の方へ体感30分くらい直線で逃げ続けろ。万が一、お前らが逃げた先でアレに出くわしたら好きに逃げてくれて構わない。」
 口をパクパクさせるだけの男性を尻目に、女の子に持っていた居酒屋で貰った飴を与え老女に同じ話をする。
女の子は飴に夢中だし老女は多分聴こえていない。男性に「後は任せた」と言うと逃げてきた道に皐月は向き直り、自身の人間性を下げる。完全に獣に戻った方が速いのだが皐月がこの部屋で狐の形に戻ると出入り口で確実に詰まる。そううのもあってほぼ人間という状態から、霊感のある者なら耳と尾がみえる所まで獣にもどる。
 「あら、おいなりさま?」
 老女が呟いたのを皐月は聴かずに前に左に前に左に、自身が初めて薄ら笑いの怪異にあった場所を目指して進む。その間、30秒男性は呆気にとられていた。
 「おじさん、いこ!」
 あぁそうだったと、男性は二人を連れて皐月とは反対側へ直線に逃げた。

 皐月は僅かに濡れた土の匂いを感じて走る速さを緩める。逃げてくるとき何度か変則的な方向に走ったため、正確に元の場所には戻れなくなった。元より戻れる気はしていなかったが、薄ら笑いの怪異の匂いはなんとなくわかっている。匂いの濃い方の部屋を選んで走っていく。
 また左に曲がろうとした瞬間濡れた土の匂いが急に濃くなった、皐月は本能的に頭を下げた。同時に自分の頭上を黒い枝の塊が凄い勢いで伸びていくのを見た。そのまま向き直ろうと立ち止まった瞬間に先程串刺しにされた警官の二の舞になる。そう解って皐月は二三部屋まえにすすんで、Uターンをすると斜め前方向にそいつがいた。
 皐月はいつものハルバードの刃先だけを大きめに生成して地面に刺すとその後ろに隠れた。また同時に大量の脂ぎったゴキブリのような表面の黒い枝が我先にとハルバードの刃先に流れぶつかってくる。量が多い、そう皐月は毒づき上を見えあげると先ほどの薄ら笑いがこちらを見ている。
 一足飛びにその場を離れて隣の部屋の壁に隠れながら距離を取ろうとするも、その隣からも大量の黒い枝が流れてきた。その枝の節々は人の横顔や、腕、足にも見えた。相手の動きを待っていれば枝に飲まれる。そう感じて一番薄そうなところに自身が出せるありったけの重さのハルバードを生成した。皐月の金属生成は師走ほどの操作範囲もなければスピードも遅い。兎に角ハルバードの生成だけ素早くできるよう練習していたが役に立って良かったと皐月は思いつつ、叩きつけた。刃先も長く、大量の枝がバキバキと折れ散っていく。
 「だいじょぉおおぶよおおおお」
 皐月はやっと笑った。怪異の場違いな悲鳴を聞きながら少し距離をとり、割り箸が入ってる紙袋のような大きさの金属片を取り出す。それを二枚に折って重ねる。
 「まったく、これであたりじゃなかったらキレるからな。」
 もうだいじょうぶだから、と叫ぶ怪異の頭上にその金属片は舞った。薄く、藍色に緑に光を反射した瞬間黒い棒に貫かれた。その棒は、暗い黒の鞘はその下にいた薄笑いの怪異も無慈悲に貫いた。否、貫くなんていう威力ではない。皐月が黒い鞘を見終わった後に遅れて轟音が続き、薄笑いの怪異諸共建物の天井も全て粉砕した。無論、皐月はある程度の段取りはわかってはいたがその威力まで熟知していた訳ではなくて一緒に吹き飛ばされた。

 5
 救急車の後ろに腰をかけた皐月は青い服を着た隊員に手当てされていた。とはいえ今回の負傷は主に建物ごと吹き飛んだからで、薄ら笑いの怪異に対してはノーダメージでなんとか凌いでいた。
 当然のように師走はさつきの傍らで正座し申し訳ない旨を唱えている。
 「諦めろ師走、この程度の怪我でどうにかなっていたら皐月は既に百万回死んでる。」
 皐月は納得いかないが受け入れるしかない顔をした。皐月が睨んだ先にいるのは同じく怪異で化け貂。ガラの悪そうな金髪を後ろに結わえた青年は名をノリと呼ばれ皐月より若そうにみえた師走だったが、皐月よりも古い怪異だときかされた。怪異とはまったく見た目が伴っていないのだと師走は飲み込んだ。
 「ノリが青服やってる事に驚いたよ」
 「非常勤ってやつだ。この近辺で行方不明になった人間は結構いる、救急車は何台かすぐ動けるようにしておけって言われてな。だが帰ってきたのは皐月だけってんだからな。」
 皐月は苦虫を噛んだように渋い顔をし、ノリは喉で笑っている様子に師走はついていけなかった。結局のところ自分たちが救助に行った矢先、薄笑いの怪異に殺されてしまった警官、結界内に連れ込まれ帰ってこれなかった被害者がいると思うと到底笑えなかった。
 周囲はロープが張られ、野次馬がでてきはじめていた。無論、師走があの薄ら笑いの怪異を木っ端微塵に吹き飛ばしたせいで工事現場の一部が崩壊し皐月は軽症以下ではあるが救急車が到着するわでご近所は深夜に何事だと見に来る。だが、ここまでの大事になったのは師走の預かり知らないというか干渉できない部分が原因の事故だ。
 「皐月の言っていた、時間がおかしい。部屋が重なってる。そこから推測できるのは、空間や時間が圧縮されていたんじゃないかって事ぐらいだ。大方、あの観音像についていたカシバの怪異を呪いか何かだと思ったんだろう。人の想いとは、呪の類はある程度時間が経てば薄まる。それを利用して時間を重ねた結界であの薄ら笑いの怪異は封印されていた。って所だな。」
 空間が圧縮され時間も圧縮されていたせいで外から干渉した師走の刀の鞘は、師走の想定していない加速度で金属片もろとも薄ら笑いの怪異を破壊。
 「しかし怪異触れない師走の刀がよく怪異に触れたな。」
 ノリは師走に目をくれながら皐月にたずねる。
 「あぁ。それならワタシの毛束をいくらか鞘に括りつけたんだ。どうせ分断されるし、師走はなんか金属片を持っていればワタシの位置がわかるって言ってたからな。それとの合わせ技で、何かあったら二つ折りにして重なっている方向に対して垂直に師走が刺すって事になったんだ。折った直後一秒後に。」
 なるほど、考えたな。と返すと無線連絡が入り何やら受け答えをしそのまま続けて喜べとノリは二人に言った。
「過去改変の兆候がある。」
「「?」」
 先ほどの結界は時間を極限的に圧縮したもの。だからこそ、あの結界にとらわれていた人々は時間の経過をほとんど感じてはいなかった。つまるところそういうことだというのだ。
「行方不明者の名簿から何人か減ってるらしい。皐月は結界の中で誰にあったか覚えているか?」
「あぁ、角から出てきてすぐあの薄ら笑いの怪異に殺された警官のことか?そいつ以外い会っていない。」
「えぇ、その人以外聞いていませんね。」
 無線の向こうとなにやら確認を取るノリの反応を待っていると、にやにやと笑いながら話してきた。
「よしよし、いい兆候だ。その機能上、忘却ができない師走が覚えていないのがいい証拠だ。」
 皐月は解ったような解らない顔をしているとノリが二人に救急車の中に乗るよう催促する。新宿まで乗せていくという。
 「建物の修繕はいいんですか?」
 「どうせ取り壊す予定だったからな。例の呪物の捜索もあるがそのへんは専門の青服にまかせればいいし。吹きとんだ時の残骸は殆どかづいてるしな。」
 救急車の後部扉を閉めると運転席に戻ったノリは無線で連絡をとり、サイレンは鳴らさず発車した。

 翌日、今回の事後報告は面談で行う事になり緊張して防衛省へ望んだ二人だったが過去改変があったため「証言はただの確認なので」と、会議室に通さられてから三十分も立たないうちに帰ることになった。その後、お昼を食べようということになりお互いが知っている店に何件か寄るのだが休んでたり、既に店が潰れていて結局新宿駅あたりまで戻って豚骨ラーメンを食べておわった。

221124 後半公開
221031 前半公開