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今日の希死念慮の中身
※この日記はメンタルヘルスの症状についての描写を含みます
今日は久しぶりに死にたくなったので、日記を書いてみようと思う。
ちなみに当方は双極性障害のため希死念慮はマブダチレベルに慣れっこなので、心配いただかなくて大丈夫です。
まだまだ死にません。
今回の希死念慮のきっかけは、就労移行支援所で求人票を続けざまに見せられたことだった。
就労移行支援所はフリーランサーになろうとする私を手放したくないのか、求人を見せることで営業をかけてきた。
見せられた求人票には一般人(社会活動のリズムに適応できる人をこう呼んでいる)に向けてだけ一致する条件が羅列されていた。
それを見て、私はどうせそんなことだろうと思ったと呆れると同時に、傷ついた。
私はこの社会に求められていない。歓迎されていない。
双極性障害である私は、メンタルを安定させる術として経験的に体得した「12時間以上眠る」という生活リズムを、これからも保たなくてはならない。
具体的には10時に床につき、12時に起床するという生活リズムを保っている。
しかしそういった私の生活リズムと、一般人向けの求人条件とは相容れない。
私は4年前に双極性障害の診断がついた直後あたりはかなり荒れており、常に希死念慮にとらわれているのが当たり前の日々だった。
危ないところまで行った経験もあるので、今後そうならないために必死に試行錯誤してきた療養経験の積み重ねによって長時間睡眠で生活リズムを保つという健康管理方法を体得した。
それにより心身の健康を保つことで周りにこれ以上迷惑をかけないために、そして自分が苦しむことにならないように、健康管理ができるラインの条件内でしか求人へ応募できない。
しかし社会は、朝早くから労働することを求めてきている。
開始時間はよくて10時だ。
私はまだ薬の影響で意識がおぼつかない時間である。
こんなことでは私に合う求人などあるはずもない。
だから私は社会に求められない。
私は一体、何を恨めばいいのだろうか。
私だろうか、社会だろうか。
この恨みの矛先が私に向いた時、自死を考えはじめるのだろう。
メンタルを努めて安定させている普段はこのような二極化した考えは浮かばないのだが、求人という私を拒絶し続けているものと直面させられると、もうこれ以上傷つきたくなくて自死という方法ですべてをやめようとするのだろう。
それにしても今回はけっこうガチの希死念慮だったなと感じる経験則がある。
死がとても近くにあると感じる時はいつも、私が好きなものや慈しんでいる存在まですべてが遠くなっていくというか、執着が消え「関係がなくなる」という感覚がするのだ。
それはそうだ。
私が死んだら、私はこの世界のすべてから関係がなくなる。
ずっと追いかけている二次元アイドルのこともどうだってよくなるし、愛おしい愛鳥もその子たちが幸せに過ごしていけるのならいいか、とすべてが私から遠くなっていく。
私が消えることが何よりの最優先事項になる。
これはかなりキている時の感覚だ。
まあ、正直私にとって生きることはどうでもいいというか、むしろ積極的にやめたいという考えは常にある。
みんな言ってるけど、生きるのってコスパ悪すぎる。
小学生くらいから人生どうでも飯田橋になっている私にとって、ここですべてやめにすれば過去の自分たちも救ってあげられるんじゃないかと思う。
同級生から遠巻きにされて図書室で独り本を読み続けていた小学生の私も、地下鉄の線路のレールを胡乱に眺めていた大学生の私も、死んだら救われる。
あの時もいなくなりたかったよね、私。
そう言ってここまでよくやってきてくれた私たちを労いながら、これまでの私も今の私も切望してきた「死」を手にしたいのだ。
あの時の私の願いも、今の私の願いも、根底にあるのはずっと同じ「死」だ。
社会に適応できない私にとって、生きることは息継ぎを許されない遠泳のようなものだ。
今回も、社会という温かい輪の中に入れてもらえずに冷たい周縁で傷ついた私が死にたいと叫んだのだ。
双極性障害が判明してから4年間が経ち、最近ようやく私の居場所は私自身なのだという感覚を掴めた。
けれどそれは重々承知の上でも、社会に求められていないという事実に直面するとズタズタに傷つく自分がいる。
もう傷つきたくないし、そもそも生きていたくないのに何故、すすんで社会に取り込まれに行こうとしているのだろうか。
まあ、今私が生きている理由はただひとつ、両親のためとしか言いようがない。
私は生まれてきたくなかったので両親に対しては複雑な思いもあるけれど、両親なりに渡してくれた愛に対しては、生きている姿を見せるということで報いたいと思う。
めっちゃ親孝行では?
なので一応、私の人生は両親が亡くなるまでは続く予定だ。
それ以降は確約できないが。
とりあえず初心にも返ることができたので、今日の日記はここまでにする。
まだまだ死なないから大丈夫だよ!
P.S.これ書いてしばらく放置してた間に推し二次元アイドルの新規イラストが発表されてテンション爆上がりした。
生きてるといいこともあるものだなあ。
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