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人生を変えた3つのレース

僕はこれからも走り続けたいと思っている。
それはコレから語る3つのレースを走って自らの可能性に気づいたから。
僕はこの3つのレースを走ったことにより自分に出来ることがあるのを発見し走る事は楽しいと感じ山を走ることの楽しさを知った。

1、小学6年生の時の校内マラソン大会(10㎞)
僕は運動神経の悪い子供で小学校の時の体育の評価は5段階で2か3。
体育は苦手科目だった。
ただ以前書いたように毎朝5時に起きて家の周りを走ったり歩いたりすることを6年間続けていた。
僕の通った小学校では寒い時期になるとマラソン大会がある。
運動神経が悪い僕は走る事も苦手でマラソン大会も嫌いだった。
確か小学5年生までは大した順位でもなく最後は歩いてたような気がする。
ところが小学6年生のマラソン大会で突然10位になった。
これには驚いた。
ただ自分のペースで走っただけなのに僕より早いと思われる子たちをどんどん抜いていった。
僕は長い距離をはやく走れる。
それまで勉強も運動も取り柄が無いと思ってた僕が発見した「得意なこと」だった。

2、1997年のニューヨークシティマラソン(42.195km)
中学校では駅伝の選手や市内の陸上大会に選ばれたりしたが高校になると勉強が忙しくなり部活に入ってカラダを動かすことは無かった。
ただ毎朝ではなかったが早起きして走ることは続けていた。
そしてそれを大学や社会人になってもなんとなく続けていた。
そんなある日会社の同僚に誘われて1人5㎞のリレー大会に出た。
練習もせず参加したのでレースはきつかったけどとても気持ちが良かった。
そしてそのことが走る事への情熱に火をつけた。
当時は仕事も何も上手くいかない時期だったのでランニングは僕には最高のストレス解消法だった。
何週間かごとに大会にでて走ることが僕の心をいやしてくれた。
正直順位なんか全く気にならなかった。
ただより長い距離を走りたいと思い練習しレースに出てた。
そして96年にホノルルでフルマラソンを完走することになる。
勿論これも大きな出来事だったが僕の中ではその翌年に出たニューヨークシティマラソンの方が強烈に思い出に残っている。
スタートのフェラザノブリッジから一斉にスタートするランナー達、途切れない応援、1号線に出た時(ヤンキースが優勝パレードをする道)両側のビルから紙吹雪が舞い歩道には何重もの人垣ができており全員が応援してくれている。
走ることは楽しい、僕は一生走り続けていこうと思ったレースだった。

3、第2回養老渓谷トレイルランニングレース。(20km)
ニューヨークシティマラソンの後もフルマラソンやハーフマラソンに積極的に参加した。
だが仕事を辞めることになりレースに参加することが難しくなった。
毎日2つの仕事を掛け持ちして休みなく働いたがそれでも隙間時間を見つけてちょこちょこ走っていた。
数年後仕事も安定したころにまたレースに出たくなってきた。
ただ今までと違う刺激も欲していた。
トレイルランニングのことは知っていたがレースも少なく出るのが大変だった。
それが千葉県で行われると聞きどうしても出たくなった。
たまたま何かの抽選で1万円の商品券が当たり、それを使ってトレイルランニングシューズを買った。
どこで練習したらよいかわからなかったので山と高原地図を買って高尾山や箱根を走った。
そして当日、小雨模様の中レースがスタートした。
養老渓谷を何度も渡渉し山に入っていくと雨でぬかるんだトレイルに何度も脚を取られひっくり返った。
40歳を過ぎてこんなに見事に転び泥だらけになってなお進んでいると自然と笑っていることに気付く。
そう僕は最高に楽しんでいた。
結局このレースは関門に間に合わずDNFするのだが冷え切って歯の根があわないくらい震えたりその後の風呂が超絶気持ち良かったのを昨日のことのように覚えている。
このレースで僕はトレイルランニングに傾倒していく。

こうやって書くと僕の人生は走る事に支えられてきた。
またレースに復活するがどんなことが起こるのか楽しみでしかない。

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