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Bay City Rollersの思い出

1977年、俺達は無い知恵を絞っていた。
どうすれば限られた少ないお小遣いで、
世界中のロックアルバムを聴き尽くせるのかと。


出した結果はロック仲間を集め
担当制にすることだった。
つまり、アーティスト別に担当を決めて
レコードを購入して貸し借りをし合うのだ。

▪️ 俺
モントローズ ユーライアヒープ
▪️ 大輔
キッス ロリーギャラガー
▪️ 加藤
バッドカンパニー フリー
▪️ 糸ちゃん
ヴァンヘイレン ローリングストーンズ
みたいな感じだ。

音楽情報のすべては"水上はるこ編集長"時代の
「ミュージックライフ」から得ていた。
本の表紙が毎月楽しみだったのだけど、3ヶ月に一回くらいのペースで表紙を飾っていたのが"タータン・ハリケーン "と呼ばれ、一大ブームを起こしていた「ベイシティローラーズ」だった。

すでにヒット曲を何曲もとばしていた「ベイシティローラーズ」は、俺のふたつ前の席の本田直子ちゃんを中心に女子に人気があった。


「レスリーかっこいい!」
「ウッディがすき〜」
キャピキャピ話している女子を尻目に、我々「ロック男塾」の塾生達は、誰が言い始めるわけでもなく「女に人気のベイシティローラーズは聞いてはいけない」という鉄の掟を掲げていた。

だが、無視しようにも他の音楽雑誌もラジオも「ベイシティローラーズ」一色だ。覚えやすいメロディ、踊りたくなるリズム、可愛い衣装、気になって仕方ないのである。俺は掟を破りコソコソと家で「ベイシティローラーズ」を聞いていた。特に、シャウトがかっこいいボーカルの「レスリーマッコーエン」が好きだった。

しばらくは、学校にいけば「ロック男塾」の塾生を装い、本田直子ちゃん達の仲間に入れてもらいたい気持ちを抑え、アホウの大輔とキッスのモノ真似の特訓をする日々が続いた。

ある日、キッス担当の大輔の家に遊びに行った時、レコード棚を見ていると「ベイシティローラーズ」のレコードがあった。大輔はとっさに「姉ちゃんのレコードや」と言った。

俺はニヤリと笑って「これは打ち明けるチャンス」だと思い、ローラーズ愛をぶちまけたのだ。

大輔とは同罪になれたのだが、頑固者の加藤や、骨太ロックを好む糸ちゃんに告白する勇気はなく、今でもこのエピソードは話していない。

レスリーが亡くなったと聞いた瞬間、空気があの時の教室の匂いに変わった。ロックンロールは過去にも未来にも瞬間移動させてくれる。

どんなことが起きても平気さ。

レスリーにもらった夢や、ともだちとの思い出を胸に、心の中で”ロックンロール!!”と叫んで今日も生きていくのだ。

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