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ブッダ のことば 「無明こそ 最大の咎(とが)」
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幻想の正体とは?
今回は、お釈迦様の言葉から、私たちが見ている「幻想の正体」について書いてみました。😌
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無明とは・・・
お釈迦様は「無明」こそが、私たちを迷わせている、とおっしゃいました。
「無明」とは、真理が見えない状態、闇のこと。
「無明」は、サンスクリット語で、ア・ヴィディヤと言い、「ア」は否定語、ヴィディヤは「叡智」のこと。
つまり、「無明」は「叡智」の反対語です。
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なぜ私たちは幻想を見てしまうのか?
本来、私たちの本性は無限であり、叡智を備えていますが、残念ながらその本性は、知覚による錯覚や思考に遮られ、全く見えなくなっています。
遮られたことにより、私たちは幻想を見ているのです。
更に、私たちは、この幻想が「本当に存在する」と思い込んでおり、その幻想の中で、ありもしない「生老病死」に絶望し、勝手に苦しんでいます。
そのありさまは「狂気そのもの」です。
奇跡講座では、
「その幻想が存在する」と信じていることを「罪」と言い、「幻想はそもそも無い」ことを、思い出すよう教えてくれます。
それが、奇跡講座で言う「贖罪」です。
罪はあがなうものではなく、もともと無かったのです.... 😳❗️
これは、奇跡講座もヴェーダンタも共通した考えです。
もともと「絶対」のものしか、実在していないのです。
相対的なものは、「すべて」幻想です…
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幻想の中のダンス
真理は教えてくれます。
「肉眼」によって見るこの世界、
これらはすべて幻想であり、私たちは、幻想の中で、ただ滑稽なダンスを踊っているだけだと。
ちなみにダンスを踊っているのは「個の私」ではなく、ダンサーは「たったひとつの私たち」です。
「個の私」は、ダンサーではなく、ダンスの一部に過ぎません。
この「たったひとつの私たち」を、ユングは「集合的無意識」と名づけ、ヒンズー教は「カーリー」という女神で表しました。
女神カーリーの様相は、この幻想世界の「滑稽さ」「醜さ」「残虐さ」を、実によく表していると思いませんか? 😅
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この姿を、奇跡講座の霊的指導者であるシンディ・レナードは「たった一人の多重人格者」と表現しました。
その言葉も「狂気」をよく表しています。😅
では、私たちは、どうしたらその狂気から脱出できるのでしょうか?
次回は、それにまつわる様々な聖人の教えを書いていきたいと思います。
(つづく)
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