「遊び」は子どもだけのものか

個人的に「遊び」というのは、ものすごくパワーを秘めていると思います。基本的に遊びは楽しいです。

そして、子どもの頃は遊びの中で様々なことを学習しました。単純に、コマを回す、竹馬に乗る、といったことからゲームをするといったことまで様々あます。

しかし、遊びには子どものイメージがあります。大人でも遊びながら学習することはできないのでしょうか。

最近、ゲームデザインバイブルという本を読んでいます。その中で「遊び」とは何か、について触れられています。

本の中でGeorge Santayanaという人が、遊びの定義を「遊びとは、それ自体を目的に自発的に行われることすべてを指す。」とした、ということが乗っていました。

面白い定義です。確かに、大人になると、周囲の要請にこたえるために(やりたくないけど)やらなければいけない、ということが増えるために(所謂一般的な)自発的でないことが多いです。

そして、それ以上にそれ自身が目的として行われることというのは少なくなっています。ご飯を食べるために、ご飯をつくる。といったようにです。

お金

人によっては、好きな事をして仕事をしている人もいると思います。その場合、確かにお金を得るために仕事をしている、と捉えることもできますが、好きな事をしているのだから、それ自身が目的として行われること、と捉えることも不可能ではないはずです。

要は今やっていることを楽しむことができれば、そのやっていることは遊びに近くなるのではないでしょう。お金にフォーカスするのではなく、やっていることの楽しさに目を向けてみてはどうでしょうか。

他にも「遊び」に重要な要素があると私は考えています。それは、失敗したときのリスクの深刻度と、行動による結果の不確定性だと思っています。

リスクの深刻度

リスクの深刻度は重要です。大人になると、例えば仕事では失敗したときのリスクが大きいです。最悪の場合人生に関わるでしょう。

そうなるともうそれは「遊び」という感覚ではなくなってくるのではないでしょうか。これが大人が「遊び」という感覚から離れていくお金以外の要素だと思います。

行動による結果の不確定性

もう一つは自分のした行動の結果により結果が変わることです。行動の数が制限されていて、どれかを選んだら毎回結果が一緒であるといった場合は、それはすぐに飽きてしまいます。

行動の選択肢が無数にあり、もしくは、時系列的な行動の組み合わせがたくさんあり、それにともなって結果が変わるような場合、「遊び」になりやすいのではないかと覆います。

リスクの深刻度といったことを考えたり、その結果として、とれる行動の選択肢が少なく、そしてその行動をしても結果が大きく変わることがないと感じると、「遊び」ではなくなっていきます。


大人でも遊ぶためにはどうしたら良いか

さて、「大人でも遊べるためにはどうしたら良いか」の今のところの考えは次の3つです。

1. 今からやることについて注意を向けてみよう。それ以外のことは一旦忘れよう。
2. その行動の中で、自分の行動で小さくても良いから何か結果が変わりそうなことを考えてみよう。例えば、皿洗いなら、どのように洗ったら水を節約できそうか考えてみよう。失敗しても大きな影響のない範囲で。できれば成功したら影響が大きそうなことを。
3. そしてそれを試してみよう。そして密に結果はどうなるか楽しみにしてみよう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?