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【我が人生②】

ジャングルにて

あれは2017年、たくさんの方のお力を借りながらなんとかお金を作り、ガイアナと言う南米の国にピラルクという夢の魚を釣りに行った時のことである。

目的の川まで自転車でえっちらおっちら向かっている最中、熱帯雨林の中のグチャグチャな赤土むき出しの道路を数日間走り続けることがあった。
そこは人を襲う大型肉食獣がいて、とっても危険とのことだったので、やや命の危険を感じながら汗だくで連日移動した。

この道は乾燥しているので移動しやすい。左右には壁のような密林。


言葉がほとんど通じない地域だったため、ヒトと高度なコミュニケーションは取れず、昼はほぼ移動、夜は一人満天の星を楽しんだ。
こうした状況に置かれると人は必然的に自問が多くなるらしく、僕の死生観や今後の生き方については、この旅の最中に結構大部分固まったと思う。考え方の大枠は以下の二つ。
・生きてりゃ何とかなる
・人の一生など宇宙の歴史に比べたら一瞬の光の点滅に過ぎない
この二つの考え方を元に26歳の僕がはじき出した答えはこうだった。

「自分がいかに楽しめるか、それこそが人の生きる意味であり、価値である。」

こうして漠然と、将来は起業して自分のビジネスを持とう。そして死ぬときに
我が人生に一片の悔いなし。と言えるようにしよう。と決意し準備を始めた。

大動物獣医師としての4年

その後、獣医学科を無事ギリギリで卒業し、手始めに獣医師として牛の医療に従事することに。
世界規模で見ると、犬猫に代表される愛玩動物よりも牛の方が人類に与える価値は大きく、その需要もマーケットサイズも桁違いだったからだ。
少なくとも僕が見てきた国では、犬猫は死んでも構わないが、ラクダや牛や羊などの家畜はきちんと管理し、財産として見なしている人々が多かった。
ならば、地球規模で仕事に困らないようにするなら牛を看れるようになるべきだろうというのが僕の考え。これは今も変わらない。

と言うわけで自分の趣味趣向、そして桁違いの診療数を経験できることから、場所は北海道と決め、まずはサラリーマンとして一般診療に従事しようということで、NOSAIという全国区の組織に就職し社会人生活が始まった。
結局4年間従事したわけだが、この組織に就職したのは本当にいい選択だったと思う。新卒獣医学生さんには強くお勧めしたい。

狩猟の道へ

社会人生活を始めるにあたって、生きるのに困らないようにする準備も学生時代から進めていた。
「生きる」とは、経済的な生活力を得る事でなく、物理的に食料を確保する人間力を得る事。つまり狩猟関係の免許の取得である。
社会人生活が落ち着いたら、すぐに警察署に行き狩猟が出来るように様々な手続きを進めた。これもいつか体系的にまとめようと思う。
こうして2020年より狩猟を始め、獣医師兼猟師という異色の生活を始めたのである。


放牧地にて鹿を探す筆者、丘の向こうまで歩く。

そして2021年、有害駆除なる事業に参加し、エゾシカを2頭駆除した。
そのエゾシカはお金と交換され、ごみ処理場で処分される。
「もったいない!」と思い、その後何人かの方にお話を聞いたが、駆除されたエゾシカの有効活用には様々な障壁があることが分かった。
しかし幸運なことに、僕ならそのほとんどの障壁を超えられる可能性があった。
30代という若さ、獣医師という動物関係最強の資格、銃の所持許可、狩猟免状、周囲の方々の協力、潤沢な土地。この全てを有している者は少ない。
いつかこの違和感のある自然と人間の関係を良く出来るような会社を作ろう。それにしばらく人生を懸けてみようと考えた。

これから

こうして、2023年、会社のお世話にならなくても生きていける道が見えた瞬間、辞表を出してこの事業にフルコミットすることを決意。
会社に不満は何一つなく、とにかくいい会社だったが、次にやるべきことが明確になり、ある程度のマネタイズ方法も見えてきた時点で長居する必要は無かった。
「4年で辞めるのは早すぎる」という意見もあったが、僕の見解では動けると思ったらすぐに動かないと遅すぎる。

そして今年4月2日にHunting Villageを設立し、現在に至る。
これが今までの我が人生である。
これからの展望は数多くあるが、まずはHunting Village謹製のドッグフードを皆さんに提供できるように日々奮闘中である。
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