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洗練された動きを観察する。

プロの仕事を見るというのはとても勉強になる。
金土日の3日間カヌー・カヤックの講習会を受講していた。
山アクティビティの選択肢の一つとして、カヌー・カヤックというのはすごく魅力的だ。自分の住んでいる阿仁という地域には阿仁川という川が流れていて、夏場にはカヌーに乗っている人もちらほらといる。山で稼ぐぜ、を目標にしている自分なので、やっといて損はない、と思い、受講することにした。。
講師の方による机上講習と、四季美湖(しきみこ)という湖での実践練習。漕ぐ練習もさることながら、カヤックから落ちたときのリカバリー訓練もインストラクターになるためには必要な訓練だ。なので3日間毎日のように湖に落ちては、誰かに牽引してもらったりだとか、落ちている誰かを自分が牽引する役になったりだとか、めちゃくちゃハードというわけではないのだけど、じんわりと疲れ果てる毎日だった。
今日は試験日だったのだけど、なんとか合格して晴れてインストラクターを名乗れるようになった。だが、日本のカヌー協会が認めたカヌースクール内でのみインストラクターを名乗れるという資格のようで、僕が一個人として「おれはカヌー協会お墨付きのインストラクターです。カヌー乗りたい人はお金持って僕のところにきてください」と標榜することはできない。「標榜」することはできない、とテキストに書いていた。

そう、プロの仕事を見ると言うのはとても勉強になる。この3日間何も知らない我々にカヌーカヤックのいろはを教えてくれたモンベルの方の仕事をじいっとみていた。
慣れた手つきというのは何であんなに美しいのだろうか。バーのマスターのような「お客さんにみられることを前提とした手捌き」にももちろん感動するけれど、そういう誰かにみられることを意識したものではなく、趣味や遊びで何度もやってきたからこそ勝手に洗練されてしまった、その人の動きというものにも、ものすごい魅力がある。
例えばライフジャケットを着るときの動作。
ライフジャケットを羽織る。チャックを始まりの部分に入れる。チャックをスッと上まであげる。ただこれだけの動作なのに、僕のような素人とは雲泥の差がある。
まず姿勢がすごく美しい。肩幅に開いた両足と、ピンと伸びた背筋。
無駄な動きが一切ない。体の軸がぶれないからそう見えるのか。
そしてちょっと違うのかもしれないけど、動作から次の動作に移るとき、ほんの僅かだが「止まっている」ように見えること。
これは動作が正確に行われたのかどうかを一瞬にして確認しているがための「止」なのではないかと推測しているのだけれど、定かではない。でもこの「一瞬の止」は講習会の参加者にはなく、熟練の先生にだけある「間」のように感じた。これについては今後も考えを深めていきたい。
その後、肩、胸、腰にあるベルトをキュッ、キュッと締める。これでライフジャケット装着完了。羽織ってから、ベルトを締め切るまでを5秒くらいの速度で行う。早くやろうとしているわけではなく、これまで何回もその動きをやってきたから、そして一回一回を真剣に取り組んでいるからこそ、この美しい動きが生まれる。こういうことが随所にあって、先生の動きを見るのがすごく楽しかったし勉強になった。

何度も同じことを繰り返して、できなかったことができるようになったり、同じ動作だけで前よりも少し速くなったりすること。最初は力んでしまって、すぐにヘロヘロになってしまっていたけれど、無駄な力が抜けてあまり力を使わないで済むようになること。そういう状態になっちゃった人を見たり、自分がそういう状態になったりすることってすごくうれしいし、おもしろいです。

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