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山のものを口に入れる。

本格的にきのこ採りをしたことがない。山菜と違って、まるっきりわからないからだ。師匠と山に行き、舞茸、ナメコ、しいたけ、ブナハリタケ、さわもだし、というようなこちらではかなりメジャーなキノコを採ったことはある。でもそれは師匠が見つけて「これはね」と教えてくれたのであって、僕が見つけて僕が採ろうと思って僕がもぎって僕が袋に入れたわけではない。全部やってもらったんだった。

昨年の秋に初めてひとりで猟に行った。いつも歩いている山を銃を担いで山を歩くのはかなり違和感がある。やってもいいことなのかどうか不安になってくる。でもすぐにその不安は消えて、周りの景色をいつもよりも敏感に捉えようとする。まだまだ初心者なので猟について正直これ以上のことを書ける気がしない。もっと書けるように今年も来年も山に行く。

そう、そのひとりで行った猟で、初めてナメコを発見したのだった。倒木に群がるようにおがっていて、猟なんて忘れて夢中で採った。そんなこともあるかなと思って袋を持ってきていて正解だった。
猟ではもちろん何にも獲れなかった。だから銃を綺麗に磨いたあと、なめこを袋から出して洗った。水に浮くなめこは美しい。ボウルのなかでキラキラと輝いているなめこを少しの間ただみていた。

でもこれは本当にナメコなんだろうか?毒キノコだったら俺死ぬ?なんてことをふと思い、師匠に写真を送ってみた。「これナメコですか?」と。すると、裏の写真も送って、と言われて送った。すると「たぶんナメコだと思う」と返ってきた。師匠でも写真だけではよくわからないらしい。自分でもナメコに似た毒キノコやらなんやら入念に調べて「これは食える」と判断した。それでも口に入れるときには緊張した。山菜を初めて食べる直前も、もし何かミスがあって、毒草が混じっていたら、僕は死ぬのだな、と思うと緊張したことを思い出した。

結局、死なずにnoteを書いているので、あのキノコは毒キノコではなかったのだろう。ただ、食べたあとちょっとお腹が痛くなった。ちょっと毒キノコだったのかもしれない。え、腹痛いんですけど、師匠、と思ったけれど、食ったのは俺だし、俺が最終的に食えると判断した。死んだら俺の責任だ。大袈裟かもしれないけど、野生のものを食うというのは、ちょっと死ぬことに近づくことだと思う。そしてそれを乗り越えたとき、よかった何事もなかった、という安堵と、めっちゃおいしい!という喜びとが合わさってやってくる。こちらにきてからそういう経験を何度かした。

情報だらけの世の中なので、それが何なのかわからないことの方が少ない。問題はそこではなく、調べた上で本当に口に入れられるか?だろう。ある意味死んでも仕方ないくらいの気持ちがないと口には入れられない。食べものは世に溢れているので、そんな危険なものを口に入れる必要がないからだ。僕もたぶんまだその意識が強いので、自分から新しいキノコを調べたり、採ったりして食べるということをやれていない。キノコだけでなく蛇も蛙もさまざまな虫も、食べられるものはいっぱいあるけれど、僕はまだまだその覚悟が足りないようだ。でも今後は少しずつ少しずつ、山で食べられるものを増やしたいし、食べられる感動を味わいたいと思っている。

ここまで読んでくれてありがとうございます。キノコ見つけに山に行きたいっすね。

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秋田県の阿仁という地域の絵を「狩猟採集民の絵」として載せています。 さっと見ていってください。 6月16日〜7月15日まで、毎日朝7時更新…

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