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食う人間、食われる熊。

この連載も20日になった。残り10日。
毎日書いても文章がうまくなったなあ、と全く思わない。上達が見えない。
でも絵ははっきりとうまくなってくる。それが楽しくて描いていたところもある。

最初に描いた熊の足の絵。
初めて野生の熊を見て、初めてマタギの猟を間近に見れたときのことを絵にした。
描いたけど、「これはいつか描き直さないといけないなあ」と思った。
自分が描いた絵、文章に、男はドンと胸を張る。
これは毎日描く中で大事にしていこうと思っていたことなのだけど、
このときのことは、自分の中では事件と言えるほど衝撃的な出来事だったので、
やっぱり納得できるレベルの絵をいつか描きたいなあと思ったのだった。

先日、久しぶりに絵を描いた。短い画家人生で得た、絵を描く時のコツみたいなものを総動員して一生懸命描いた。個人的にはいい絵が描けたなあと思っているし、この絵を見るたびに、このときのことを思い出す。

いろんなところで喋ったし、別のNoteでも書いたので、またこのときのことを書く気にはなれないのだけど、体はいつでもあのときのあの瞬間にタイムスリップできる。沢に転がっていく熊と、トドメをさしに行く人間。死んで横たわる熊と、それを引き揚げる人間。

動物を殺すこと、まあ僕は哺乳類を自分の手で殺したことはまだないのだけど、それをやろうとしていることだけは間違いない。なんでそんなことをわざわざやらないといけないのか、と問われたら、なんででしょうね、と答えると思う。
でも、僕たちよりももっと前に生きていた人たちが「わざわざそんなことをやってきたからこそ」僕たちが今いるのだ、と思うからなのかもしれない。

僕の友達であり、尊敬する師匠のようでもある人が、一緒に山を登っているときに「いつか自分も熊に食べられたいなあ」みたいなことを言っていた。間違っていたらごめんなさいね。でもその気持ちはなんとなくわかるなあ、と思った。熊に本当に食べられるのは怖いけど、「食う食われるの世界」に「食われる側」として参加しておきたいな、という気持ちがあるのだよね。もちろん「食う側」でもあるよ。今は、ほとんどの人間(僕も含めて)が「食う側」として盤石を築いていると思うけど、僕も、その人も、それじゃあ虫が良すぎない?って思っているのかもしれない。だからいつか、ドスンと熊に殺されて、おいしい部分だけ食べてもらって(たぶん僕の太ももはけっこうおいしいと思う)、残りは川に流して、川魚たちに食べてほしいな。いっぱい食べてきたからね。って思っているのかも。その人が考えていることとは全然違うかもしれないけど。

たぶんあんまり共感が得られない話だと思うけど、そんなふうに思いながら生きてます。なんか僕、今まで常識だと思っていたことがひっくり返るというのがほんとに大好きなんですね。こんな考え方ありなの!?みたいなことに出会いたいなあ。もちろんちゃぶ台も好き。ひっくり返したい。

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秋田県の阿仁という地域の絵を「狩猟採集民の絵」として載せています。 さっと見ていってください。 6月16日〜7月15日まで、毎日朝7時更新…

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