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ワークショップの振り返り

写真家の幡野さん主催の写真ワークショップ「いい写真は誰でも撮れる」に参加してきた。秋田から東京まで車で行ったので、帰り道にたくさん写真を撮ることができた。撮った写真を自分で現像してみたので、その写真を見ながら幡野さんのワークショップのことを振り返りたい。

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普段山の中にいることが多いので、道中も山があるとつい見てしまう。幡野さんのワークショップで「見たものを撮ろう」と教えていただいてたので、必然的に山の写真をたくさん撮ってしまった。たくさん撮ることはとても重要なことで、100枚撮れば1枚くらいは必ずいい写真がある。やっぱりほとんどが微妙な写真だったのだけど気に入った2枚の写真(田舎道のどこかで撮った山の写真と夕日の写真)だけ現像してみた。現像しているときに「夕日を撮るんじゃなくて夕日に照らされたものを撮ろうね」と幡野さんがおっしゃっていたことを思い出して、ああやってしまってるなあと思った。ついつい綺麗な夕日を撮ってしまいがちだけれど、その最高の光源で照らされたものも綺麗なはず。光を意識することも写真を撮る上で大切なことだ。
後半3枚は福島のお友達たちと一緒に山に登って一服してたときの写真。山の上から福島の街を眺めながら、人間ってえげつないよねー、みたいな話などをした。

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福島の猪苗代にある「はじまりの美術館」という場所にも行ってきた。「あいまいな あわいの まにまに」という展覧会が開催中。

芸術的な作品を写真に撮るということにこれまであまり気が乗らなかった。写真を撮ることで、自分の頭の中にある作品のイメージに明確な輪郭がついてしまう。でもその輪郭ってものすごく平面的でもともとの作品とは全く別物だよなあ、と感じていて、その作品を見た時の感動も薄まってしまうような感じがするからだった。思い入れのある小説が原作の映画を見た後のような、イメージが変に塗り替えられてしまう感というか・・・。と、まあそんなことを思っていたので写真撮るのどうしようかなあと思っていたのだけど、今回はせっかくなので撮ってみた。撮り終え現像した今、思っていたよりも撮ってよかったと思っている。現像作業が入ることによって、自分の思っているその作品のイメージに近づけるからなのかもしれない。
この展覧会を企画した小林さんと、コトウの小島さんと一緒に温泉に入って、ごはんを食べたりしてなんだかとても最高な1日だった。

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そんな1日を終え、もう秋田まですぐそこ、というところに「大久商店」という山の幸をこれでもかというくらい販売しているお店がある。おともだちに紹介してもらっていつか行きたい!と思っていた場所で、念願叶っていくことができた。

大久商店では「熊肉そば」なるものを販売していて、なんとその熊肉が僕のいる地域で獲れた熊なのだという。それは食べないわけにはいかないと思い注文した。そういえば、お金を払って熊肉を食べるのは人生初だった。
低温調理した熊肉をそばに乗っけているらしく、僕が食べたことのない熊の味がした。食感も味も、もはや牛肉だった。こんなに臭みを消せるもんなのか。熊のあの独特なえぐみを想像していた分、少し拍子抜けだったけれど万人受けするであろうめちゃおいしいそばだった。
そして2枚目はマムシの皮。マムシは皮を剥いでその皮をすぐ段ボールに貼り付けることによって、こんな感じになるらしい。生きたままペットボトルに保存されているマムシが店の中に何匹もいて、ちょっと混沌だった。マムシの捕り方も教えてもらったのだけど、真似できそうにない。帰る時、店主に「これ食べればめちゃくちゃ元気になるぞ」とマムシを分けていただいた。正確にはマムシを焼いたやつ。カラカラに乾燥していて見た目はカサブタを剥いだような感じ。それを3切れほど頂き、食べて帰る。帰る途中身体中が火照りはじめた。ぐんぐん熱くなってくる。すごい、これがマムシの力か、と超テンション上がった。次は買うか自分で作って誰かに食べさせたい。迷惑か。
僕もある程度山のことを学んできたつもりだったのだけど、なんていうかもう異文化だった。こんな素敵なお店を教えてくれたお友達も僕に会いに来てくれていて、これまたすごく嬉しくありがたかった。また会えるといいなあ。


そして旅の最後は妻に会いにいく。夜11時までやっている喫茶店で飲みものだけ注文した。トマトジュースと紅茶。いろいろ喋って会計をするとふたりで450円だった。東京から弾丸で帰ってきたこともあって、ワケのわからない物価の低さに驚きつつ、暗い我が家に戻った。

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幡野さんは「相手に敬意をもつことが大事」とおっしゃっていた。ことばでいうのは簡単なことかもしれないけれど、実際にできていない人が多いのも事実だ。そういう自分もつい最近、敬意のなさが原因で人を傷つけてしまった。それについてここで深く書く気はないけれど、「俺は敬意を持っている」と自信を持って言うことはできない。撮られる人がどう感じるだろうか、とシャッターを押す前に考える。読んでくれた人がどう感じるだろうか、と文章を見直す。あらゆる行動の中に敬意のあるなしは絡んでくる。できていない人はとことんできてない人になるんだろうし、できる人はどんな場面でもできる人になるんだろうな。できれば僕も敬意を持って何かができる人でありたい。いい写真が撮れるようにこれから精進である。

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