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運をチャンスを逃さない

非注意性盲目という人間の特性を知っていますか?
人体の機能的に目が見えない状態ではありません。意識的に目が見えない状態のことを指します。


非注意性盲目とは

視界に入る”もの”や”こと”を脳が情報として認識していない状態です。
人間は視界に入る全ての情報を認識できていません。進化の過程で、”無駄な情報を省く”ための機能として備わった重要な機能です。この機能が人間に備わった理由は”脳の限界”です。目から送られてくるたくさんの情報を全て律儀に処理していると適切な判断をできなくなり、それが原因で死んでしまうかもしれません。狩猟採取をしていた私たちの先祖は現代よりもはるかに過酷な環境で生活していましたから、非注意性盲目は絶対に人間に備わっていなければならない機能なのです。

なぜ起こるのか

脳が「こんなことはありえないだろう」という常識フィルターをかけて視界からの情報を処理しているため、そのありえないことが起こった場合見過ごしてしまいます。
「そんなことはない、自分は全部見ることができている」と思ったあなた。
まさにその状態が非注意性盲目を引き起こします。「常識を疑え」という言葉をよく聞きます。目からの情報にも根本から常識を疑わなければ世界の本当の姿は見えてこないのかもしれません。

落とし穴

非注意性盲目は人間の生活になくてはならない機能ではありますが、これがもたらすデメリットも存在します。
それはこの機能によって人間がチャンスを逃すようになってしまっているということです。日頃、思いもよらないチャンスや好条件に巡り合っているにも関わらず、その情報を脳が切り捨ててしまいます。あなたも今までの人生の中で逃してしまった何かのチャンスがあるはずなのです。しかし、あなたは非注意性盲目によって逃したチャンスをチャンスと認識できていないため痛くも痒くもありません。これが非注意性盲目の落とし穴を軽視してしまう原因になります。
「痛くも痒くもないし、必要ないのでは?」と思われたかもしれません。その通りです。しかし”マイナスを0にするのではなく0をプラスにするため”には大切な考え方です。

“ 運がない”?

”運がない”とはどういうことなのでしょうか。
「運がなかった」「運が足りなかった」とよく聞きます。実はそのほとんどの原因は、その人自身がチャンスを逃すことです。チャンスを掴む準備ができていなかったため、その成功率を下げてしまっているのです。
具体的には”調査不足”、”準備不足”、”察知の欠如”があります。これらが完璧にできていれば、その時チャンスを掴めていたはずです。そして、この”察知の欠如”については非注意性盲目が関わっているのです。非注意性盲目と運との間には関係がありそうだと思えてきませんか?

チャンスに気づく

チャンスを掴むことができるようになるには”情報を察知する”ことが必要です。察知するためには常に得られる情報を正しく処理し、疑問を持ち、違う視点からそれを見ることが大切です。
では、そのためには何が必要でしょうか。
人間の脳の容量には限界があります。パソコンのCPUのように簡単に取っ替え引っ替えできません。したがって、入ってくる情報量をできる限りヘルシーにすることが大事なのです。
その情報は本当に必要ですか?その要らない情報を脳にインプットした代わりにあなたの察知は鈍ります。
前述した通り、これによって効果を実感できるわけではありません。気づくか気づかないかの二択ですから。あなたは運を、チャンスを手にいれたいですか?

自分を起動修正できますか?

私は「運に任せる」というセリフは「放棄する」と同じだと思います。今まで”運がいい”人生を歩んできた人たちには共通点があり、私はその共通点が”常に考え言動を変化させ続ける”ことだと思っています。運のいい人は自己流の良くないやり方を直ちに正し、人生の軌道修正をすることができた人なのでしょう。もし生活の中で運がないと感じているならば、小さいことから少しずつ軌道修正してみてはいかがでしょうか。

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