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保険適用になった今こそ知っておくべき!高度不妊治療であなたが失う17の宝物【10】:友人関係

高度不妊治療であなたが失う宝物。

10番目の宝物は「友人関係」です。

これ、なかなか辛いものがありますが…… 高度不妊治療が長引くと、残念ながら失います。
もちろん一気に失うわけではありません。ただ、徐々に距離を置くようになります。悲しいですね。でも、そういうものなのです。

「そんなことないよ。友人には不妊治療のことを正直に話しているし、逆に励まされているよ!」

そういう方もいらっしゃるでしょう。

でも、そういう方の状況を詳しく聞くと、だいたいが「人工授精」レベルであったり、「体外受精を初めてやる」というような段階であったりします。

このレベルでも確かに辛いものは辛いです。

一方、高度不妊治療が長期におよぶと、そんな「人に話せる」というようなメンタルではなくなります。

そこには大きな差があります。

少し話はそれますが、不妊治療の「辛さ」は「種類」と「大きさ」に分けることができます。

あるとき、SNS上で、人工授精で妊娠した人が顕微授精を何度やっても妊娠しない人に向けて「その辛さ、わかります」とコメントことがありました。しかし、その顕微授精をされている方は「正直、絶対にわからないと思う」として、ブロックしたとのこと。

その後、「不妊治療の辛さはみな同じ」「いや、さすがにそこは次元が違う」論争が巻き起こりました。

私の意見は、「いや、さすがにそこは次元が違う」に賛成ですね。

そこには、辛さの「種類」と「大きさ」という要素は別であるという客観的視点が必要になります。

人工授精を数回実施し、結果が出なかったときの辛さは私もわかります。なぜなら私自身がそれを経験しているからです。

そのような方が高度不妊治療患者に向けて「辛さは同じだ」と主張することは決して間違ってはいません。しかしそれは、辛さの「種類」に対する共感なのです。ここをはっきりさせなければいけません。

一方、辛さには「大きさ」があります。わかりやすくいうと、それは「蓄積型の辛さ」ですね。回数を重ねるごとに、年数を重ねるごとに、辛さって蓄積してくるのです。
もちろん、身体的ダメージ、経済的ダメージもその中に入ってきます。

人工授精の方がいくら「辛いのは同じでしょ」と主張したって、この部分を理解することは不可能です。なぜなら、経験していないステージだから。ここまで「蓄積」していないから。

だから、その蓄積量そのものである辛さの「大きさ」に関しては、到底、共感できるわけがないのです。それが悪いことなのではなく、宿題に苦戦する小学生が大学受験の辛さを理解できないのと同じです。次元が異なるのです。

そして、高度不妊治療の真の「身体的ダメージ」や「経済的ダメージ」なのではなく、結果が出なかったときの「ここまでやっても妊娠できなかった」という、奈落の底に突き落とされる瞬間なのです。

その「ここまでやっても」のレベルが人工授精と高度不妊治療とではまったくといっていいほど違います。これもまた事実です。

話をもとに戻すと、不妊治療経験者間であったとしてこれだけのギャップが存在するのです。不妊治療未経験者と話が通じるなんて、最初から思わない方が吉です。

これを理解している方はなかなかいないです。

「今まで付き合いが長い友人であれば、共感してくれる。辛いのをわかってくれる。よりそってくれる。」

そう思う気持ちはわかりますが、それはそもそも無理なのです。

そうこうしているうちに友人は妊娠し、普通に子育てし、当たり前のように「子どもがいる家庭」を持ちます。

そして、それを素直に喜べない自分がどこかにいるということに、少しずつ気がつきはじめます。

その後、徐々に距離があいていく。LINEのグループでも、子どもが関係する話題には、一人だけついていけない。

わからないからではなく、辛いから。

そうして、会う回数も減っていき、疎遠になっていく。

こういう経験をしている不妊治療患者は多いのではないでしょうか。

ご多分にもれず、私も経験しました。

実のところ、ここで問題となるのは数多くの友人と疎遠になること自体ではなく、そのことによって底しれぬ寂しさを感じてしまうということ。そして、孤独感が大きくなって、精神的に孤立してしまい、心を病んでしまうこと――これが一番怖いのです。

重要なのは、その孤独感を軽減することなのです。

では、どうすればそれを回避できるのでしょうか。

まず、友人であれば共感してくれる、少しでも理解してくれるという、潜在的期待をゼロにするのです。

孤独感は期待感の裏返しということに、多くの方は気がついていません。

なので、

「この時期は致し方ない。不妊治療の辛さなんて、その経験をしていない人にはそもそも理解できないものだから」

そう考え、よい意味で割り切ることが必要です。

その上で、会いたくないときには無理して会わないことです。

相手に悪気はなくても、小さな子どもの写真を見たりすることは辛いものです。

であれば、「辛いことが起こる」と予めわかっているシーンには自ら近づかないことです。これも、自分で自分の心を守る立派な手段です。

私も、久しぶりに会おうと連絡がきた友人に「今、ちょっと色々あって全然誰とも会っていないの。あ、すごく重い病気とかじゃないから心配しないでねー!」と返信したことがあります。

その友人は4人のママで、最近4人目が生まれたばかりでした。

それでよいのです。

考え方によっては、友人関係を「失った」と思うのは、「変に話したり、会ったりして共感を得られず、または自分の思ったとおりの返答・反応を得られず、自分との関係性が変わった」と勘違いして、自分から心の距離を置いてしまうことです。

であれば、今だけ上手に距離を置けばよいのです。それは、「失う」ということではありませんから。

ただ、そのコントロールは自分で行うこと。

何もせず相手に理解してもらうことなんて無理ですし、不妊治療未経験者が不妊治療経験者の気持ちを察するなんてことはできっこありませんから。そういうものなのです。

以上、今回は人生の大切な宝物「友人関係」にまつわるお話をさせていただきました。

ここを「失った」と感じると非常に辛いものがありますよね。

上に書いた考え方を通して、「失う」ではなく、今だけ上手に距離を置いていると考えてみてください。その前提として、「そもそもなぜ共感が得られないのか、よりそってくれないのか」を客観的に理解してみてください。

この部分をあなたが先に理解することによって、大きな孤独感から開放され、一番大切なあなたの心を守ることができます。

ぜひ参考にしてみてください。

次回も引き続き、あなたの人間関係に関することについて解説していきたいと思います。

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