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書評:予想通りに不合理#1

本著はダン・アリエリー氏による行動経済学の著である。
書評の形を取りながら、本の内容紹介3割、自分の思う所7割位で書いていく。

最近鹿の圧倒的マイブームは行動経済学で、もう行動経済学を使いこなすことができれば人生何やっても上手くいくんじゃないか、と思っている。
何かを少し勉強し始めると、その分野のことを全て知ったかのような気分になる時があると思う。

今、まさにそれなんです。

行動経済学は簡単に言うと、心理学と経済学の要素をミックスしたような学問という感じ。
心理学は人間の心理、経済学は「人はみな合理的に行動する」という前提で、世の中の経済活動のアレコレを考える学問。その融合が行動経済学。
行動経済学の面白さが分かる例を一つ。
「おとりの選択肢があるだけで、人はいとも簡単に購入決断をコントロールされてしまう」という実験のお話です。

ある実験で、参加者200人に「新聞を取るならどのプランが良いか」を尋ねた。
参加者を2つのグループ(100人ずつ)に分けて、1つ目のグループには

ウェブ版だけの購読      $50
印刷版だけの購読       $125
印刷版とウェブ版のセット購読 $125

という選択肢で質問をした。
すると、一番下のセット購読を選んだ人が最も多く(84人)、印刷版だけの購読を選んだ人はいなかった。ウェブ版だけを選んだのが16人。
まぁ、そりゃそうである。印刷版だけ購読することは、ウェブ版とのセットを購読することとコストは同じなのだから。
賢い選択だ。私もこの中で選ぶならセット購読であろう。
何しろお得なのだから。

2つ目のグループには、真ん中の選択肢を外した。

ウェブ版だけの購読      $50
印刷版とウェブ版のセット購読 $125

なんとこの選択肢で募集をすると、
ウェブ版だけの方を選ぶ人が激増するのだ。
この場合ウェブ版だけを選んだのが68人、セットは32人だった。


おかしな話じゃないか?最初の設問でもこの2つの選択肢があったのだから、ウェブ版だけで事足りる人は最初の設問でもウェブ版だけの購読を選べば良かったのだ。
ではなぜ最初の設問で、セット購読を選んだ人が一番多かったのか。
お気付きだろう、真ん中のおとりの選択肢が入ることによって、相対的にセット購読のほうがオトクだな、と思わされて購読に至ったのだ。

人は相対的にしか判断をすることができず、
絶対的なものさしを持って判断することは非常に難しい。
自分の意思でセット購読を選んだと思っていても、実はおとりの選択肢を入れられたことによりそれを選ばされていた、ということが往々にしてあるのだ。

ね、面白いでしょ。
こういう、人間のある種の不合理性、経済学には組み込まれていない人間の不完全さを、特に心理的な面から解き明かしていくのが行動経済学である。
少なくとも私はそういうふうに考えている。定義は人により色々あるかもしれんけど。
私は自分なりに定義して学んで、自分の人生が良くなって行けばそれで良いというタイプなので、特に定義の細かい所を気にするつもりはない。

先程出した例は「相対性」という点での人間の不合理性を端的に示すものだ。
ヒトは絶対的な基準でなく、他の選択肢との相対的な基準で選択してしまう。
もう一つ、違う角度での実験を本著から抜き出したい。


人は相対でしか選択することができない。特に3つの選択肢がある時に。

2つのものを、特性1と特性2という二つの軸で比べるとする。
Aは特性1が80点、特性2が40点。
Bは特性1が40点、特性2が80点とする。
この2つだけを比べると、一長一短、どっち着かずで、決められない。
ではここに、A`を加えるとどうなるだろうか。
A`は特性1が65点、特性2が30点。
これは、Aとよく似ているけれども明らかにAより劣っている選択肢。
これが3つ目の選択肢に入るだけで、AがA`とだけでなく、
Bよりも全体として優れているような印象を抱かせることができる。
結果、最初はAかBか決められなかったのが、A`を入れただけでAを選ぶ確率が爆上がりするのだ。
AとBだけの選択肢で相手に迫るのでなく、A`を入れるだけで、である。


ここからは私見であるが、iphoneを同時に複数モデル発売するのもこの相対性が働いているのではないか?と思う。
ノーマルモデルとちょっといいモデル(Pro)。そして最高のモデル(ProMax)を並べることで、比較を可能にさせている。
Apple製品は普通に考えたらちょっと高い。しかし、Apple製品の中で相対性を演出し比較させることさえできれば、消費者は納得して主体的に選ぶことができるのだ。もちろん、それを選ばされているとは知らずに。
iPhoneの場合は、「最高」を置くことで真ん中の選択肢を高いと感じさせないタイプの相対性を利用している様に思う。
レストランのコースの値段設定と同じ。
コースは一つでなく、松竹梅の3つのコースを用意しておけば、
圧倒的に竹のコースが選ばれるようになる。
例えば。
通常時、
梅4,000円、竹6,000円
とすると、梅を選ぶ人が多くなる。
しかし、内容を全く変えずに
梅4,000円、竹7,500円、松11,500 
というメニューにした途端、竹の注文率が上がりまくるのだ。
松は高すぎるから竹にしよっか、コスパ良さそうだし、となるのである。
梅と竹の内容は全く変えていないのに、である。人間が真に合理的であるならば、松のコースが増えても梅を選ぶべきだ。
しかし、松という高すぎるコースを見たあとでは、「相対的にオトクに見える」竹を選んでしまうのだ。
iPhoneはこっちかなと思う。もしProとMaxProの値段が近ければ、最初のおとりの選択肢の話になる(新聞をセット購読させるために、印刷版のみ$125 のおとりプランを入れたあの話のように、MaxProを選ばせる)けど、この場合はそうじゃないだろう。
MaxProの圧倒的ハイスペックさと、その自信の裏付けであるめちゃ高い値段を見てしまったら、
「まぁカメラ性能もそんな変わらんし、手のひらに収まりやすいProでええやろ。ポチッ」
となる可能性がググっと高まるのは、ここまで読んでいただいた皆様なら良くお分かりだろう。
iPhone11Proをお使いの方はぜひ、「ノーマルモデルとProのみの選択肢だったら自分はProを選んでいただろうか・・・?」と自問してみて頂きたい。
世の中にはこうした行動経済学を利用した、戦略的なマーケティングが溢れているのだ。
その張り巡らされた罠に簡単に引っかかることなく、
自らの判断で意思決定をしていくためには、敵の手の内を知る必要がある。

それこそ、行動経済学を学ぶ最大の理由である。
要は、僕は他人にカモられたくないのである。

そろそろまとめに入ろう。
書評のつもりが、本の内容の30分の1くらいしか書けなかった。
今回書いてきた通り、人は相対性の中でしか生きられない。であるならば、それを受け入れた上で我々が「幸せに生きる」ために必要なことは何だろうか。
それは「相対性の連鎖を絶つこと」だろう。
例えば。
ボーナスを握りしめて、評判の良いテーラーでオーダーメイドのスーツを仕立ててもらったとしよう。
無限とも思える選択肢の中から、デザインや光沢感、自分の職種、そして値段なんかを踏まえて生地を選択する。(もちろんここにも、テーラーが相対性を使って攻撃を仕掛けてきているリスクは大いにあるがここでは論じない。)
身体のサイズを測った後に、ボタンの色や質感など細かいところまで自分の好みを反映させ、こだわりの一品を作ることができる。
そんな、自分にとって一番の理想形で仕上がってきたスーツを家で試着し、大満足のあなた。
翌日にはもちろんルンルンでそのスーツを着て出勤する。
駅まで歩く道中、電車に乗っている間、こころなしか周りのOLや駅員、学生たちが自分のことを見ている気がする。
それも当然、オレはこの最高のスーツを着ているのだから。
「どうだこのハイセンスな仕立てのスーツは。テーラーに出された中で一番良いやつではなかったけど、自分が払える範囲で最高級の生地を使い、そしてオレのセンスが凝縮されているのだ。このボタンも、黒字に茶色が混じっていて、黒い靴にも茶色い靴にも合わせられるんだぜ。賢い選択だろう、チミたちもこういう選択ができるようになりたまえ、フハハハハハ。」
そんなことを心のなかで叫びながら、いざ出社してみると、あなたは気づくはずだ。
隣の部署の同期が着ているあのスーツは、この前オレが値段を理由に諦めた生地で作られているじゃないか!?
そして同じ部署の一個上の先輩が着ているあのスーツはなんだ?オレが選ぼうとした中にはあんな上質なものはなかったぞ・・・?
ていうか社長のスーツはそれとは比較にならないレベルだぞ!?遠くからでもその質の良さがビンビンに伝わってくる。
・・・なんでオレはこんなスーツを着ているんだ・・・?
もっと良いスーツがあるんだから、もっと頑張らないと・・・。
・・・なんだよこのスーツ。ちぇ。

と。これが相対性の連鎖である。
ちょっといいもの買う→いいものの世界に入ってしまい、その少し上の世界が気になりだす→無理して少し上の世界にいく→また少し上の世界が気になる・・・
このループに入ってしまうと幸せに生きることは難しくなると感じる。
自分の持っているスーツの絶対的な魅力は変わらないはず。
なのに周囲との比較で、自分がそのスーツに感じる魅力の度合いはいとも簡単に下がって行くのだ。
そしてこれを防ぐためには、相対性の連鎖を絶つことだ。
まずは、「ヒトは持てば持つほど、もっと良いものが欲しくなってしまうもの」ということを分かっておくことだろう。


かくいう私も相対性の連鎖にやられているな、とこのnoteを書きながら思い出したことがある。
それは、住んでいる部屋のグレードだ。
社会人になってすぐ、実家の東京を出て横浜に引っ越した。
25平米で家賃は9万円の新築マンションだった。
コレ自体はそれほど贅沢したつもりはないが、新築にしたのが連鎖の第一歩だったかもしれない。
2年弱住んで、転職を機に東京に引っ越すことになった。
当時、頭の先から足の先まで「モテたい」という邪心で溢れていた私は、
「モテる男は港区に住んでいる」という、
サルより低いIQの持ち主しか信じないような事を心底信じていたために、
港区赤坂に家賃13万円のマンションを借りた。
ちなみに、モテたかモテなかったかで言うと、死ぬほどモテなかった。
その2年後にまた引っ越しをすることになるのだが、当初は少しグレードを下げた部屋に住もうと考えていた。
13万円の家賃は払えなくはないが、他の贅沢が全くできず貯金もできない。
10万円以内で探そう、といつもお願いしている仲介業者さんと話していた。
数件物件を巡ったが、もう築15年を超えると自分の中に拒否反応が出てしまうのだ。
「え、iPhoneが日本に入ってくる前に建てられた家・・・ですか?」
「浴室乾燥機がない家?wお兄さん、冗談が過ぎますよwww」
「僕、平成15年より前の空気吸うとアレルギー出ちゃうんですよね」
などと言っていたらあれよあれよと言う間にグレードが上がっていき、
結局目黒の家賃14万円の新築マンションに落ち着いた。
もう今となっては後悔しかない。もう嫌すぎて、こうして公開するしかない。(全然うまくない)
これぞまさに相対性の連鎖に人生を支配されている事象の典型だろう。

後半何が言いたいのか全くわからない記事となったが、まとめると

・行動経済学とは心理学と経済学のミックス的な学問分野
・おとりの選択肢が入ることで、選択を操作させられることがよくある
・似ているけど劣る選択肢が1つ入ることで、似た選択肢を好むようになる
・港区に住んだだけでモテる様になるわけではない
・値段の張る選択肢が一つあるだけで、それ以外を選ぶ際のハードルが下がり、普段なら選択しない価格帯の選択をしてしまうようになる
・新築マンションは沼。一度住むと抜けられない。

といったところである。
ところで私、鹿は2021年中に麻婆豆腐屋をオープン予定であり、そのために全身全霊をかけて毎日勉強をしている。
これも実は相対性の連鎖を断ち切るためなのだ。
これだけで記事が書けてしまうくらい言いたいことは多いが簡単に言うと、
サラリーマンは競合かつ強豪が多すぎるので、私はその戦いから降りる。
同期と比較され、主任になれば課長を目指し、課長になれば部長を目指し。
それで得られるものは結局、他人(同期や大学の友人)と比べたときのしょうもない優越感であり、あくまで相対的な幸せにすぎんのでは、と思うのだ。
自分の中の絶対的な幸せを追求すべく、出世競争、及び
都心のバリバリサラリーマンという舞台から自ら降りるのだ。
まぁこの話はまた今度。

ここまでお読み頂きありがとうございます。
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ではまた。

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