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青春ヘラver.7「VTuber新時代」内容紹介

はじめに

大阪大学感傷マゾ研究会は、青春や感傷、ノスタルジーについて考えながら、定期的に会誌『青春ヘラ』を発行しています。第七号の特集テーマは「VTuber新時代」です。
4/30~5/1に行われるいちょう祭(学祭)、並びに5/21に行われる文学フリマ東京にて頒布致します。その後、BOOTHでも頒布します。
いちょう祭では「共通棟C308」、文学フリマ東京では「お-34」のスペースです。


セット内容


青春ヘラver.7 通常版(冊子のみ) ¥1500
青春ヘラver.7 特装版(冊子+CD) ¥2000


目次


インタビュー編

1.梅沢和木/梅ラボ
「キャラクター、現代美術、VTuber」
現代美術家として活躍されている「梅ラボ」こと、梅沢和木さんにインタビューさせて頂きました。インターネットから収集した画像を統合し、絵の具でペイントする作品を通して《キャラクター》を思考し続けてきた梅沢氏ならではのVTuber観、そしてVRが発達すると同時に相対化される現実における展示空間の意義など、幅広く語って頂いております。

2.(実在しない)切り抜きチャンネル
「切り抜きチャンネルとバーチャルなアイデンティティ」
その名の通り、実在しないVTuber の、実在しない配信の切り抜きを投稿しているチャンネル「(実在しない)切り抜きチャンネル」。〈バーチャルコンテンツ〉と〈架空の記憶〉の両者を結びつける存在として、逆説的に「VTuberのアイデンティティとは何なのか?」を探ります。

3.古月
「Vの考古学*VTuberの時代と歴史区分」
KAI-YOUなどの媒体でライターとして活動されている他、VTuber情報交流コミュニティ「Project Virtual History」の管理や、VTuber 事務所「StarrryCherry」のアドバイザを兼任されている古月さんにインタビューさせて頂きました。VTuberに馴染みがないという方でも、長年VTuberを観測・記録し続けてきた古月さんによるVTuber史を読めば、きっと概観を掴めることでしょう。VTuberをこれから知りたい!という人ほど読んで頂きたい濃密なインタビューです。

4.saldra
「AITuberとこれからのAI創作について」
にわかに盛り上がりつつある「AITuber」は、その名の通り「AIが配信するVTuber」です。AITuber開発者コミュニティを運営されている他、「AITuberさくら」を開発されているsaldraさんへのインタビューでは、AITuberの技術的側面からVTuberとの運営視点の違い、AIツールを用いた今後の創作の在り方など、VTuberのさらに数歩先を見通した内容となっております。

思考・思索編

ペシミ:「VTuberの倫理学」を検討する──バーチャル・アイデンティティと「場」の形成
「VTuberの存在論」を考えた上で「VTuberの倫理学」が必要である、との思いから書かれた論考。VTuberに特有のアイデンティティをめぐった問題は、その複雑さからしばしば炎上や分断につながってしまいます。それらはなぜ起こるのかをVTuber特有の「身体性」の面から考え、解決方法をリレーショナル・アートとの比較から提示します。

ヒグチ:なぜVTuberの身体は活動を通じて、ただひとつの「魂」と離れられなくなってしまうのか ~IEB概念の提示による三層理論のアップデート~
かつて難波優輝氏によって提唱された「三層理論」をもとにしながら、新たにVTuberの「内面」に焦点を当て、演者とキャラクターが交換不可能性を獲得していくプロセスを解説していく論考。「シャドウ」や「IEB」など、これまで設定されてこなかった論点を打ち出し、既存の理論では説明出来ないVTuberについても考えられており、必読の文章です。

難波優輝:愛するとは別の仕方で──バーチャルYouTuberを愛せないことについて
「愛とは、その行為によって対象を幸福にすることである」という観点から出発し、自身がVTuberを愛せないことについて綴った文章。親を、友人を、恋人を愛することと、VTuberを愛することはいったい何が違うのか。愛を「固有/非固有」、「幸福に関わる/関わらない」という軸で分類し、それぞれについて検討することで逆説的にVTuberを考えます。

北出栞:〈レイヤー合成〉による新たな主体性の創出──〈バーチャルライバー〉原論のために
VTuberのゲーム配信を視聴する際、VTuber自身の視線は我々に向いており、ゲーム画面には向いていません。にもかかわらず、視聴者はそれを不思議がることもなくごく自然と受け入れています。それはなぜか。当然ではありながら充分に論じられてこなかった問いに立ち返り、視聴者とVTuberが共有する次元の〈レイヤー合成〉と「声」という要素を一貫して論じています。これまであまり語られてこなかった〈レイヤー〉という視点は、VTuber研究においてまさに革命的だと言えるでしょう。

思惟かね:バーチャル・コミュニケーションとしてのVTuberとVRメタバースについての考察
昨今の「テンプレ」化したVTuberの配信スタイルにVTuberの本質を見出し、そこで行われるコミュニケーションとにわかに騒がれているVRメタバースを比較した論考。同じ括りとして扱われがちな両者ですが、そこで行われる「コミュニケーション」は全く異なります。この二つが一つになる時、それはVTuberが再定義される時です。近い未来まで見通した、VTuber研究の展望台的文章となっています。

八堂真理子:”VTuberの研究”とはなんだろうか?
以前「バーチャルYoutuber定義化に向けての分析及び考察」を執筆された八堂氏による論考です。当時とは大きく状況が変わったことを前提としながら、そこで定義されていたバーチャルYouTuberはどこへ行ったのか?を深掘りし、これからのVTuber文化─特に個人勢─を考えていきます。

﨑山航志:「想像力」の臨界点──虚構、現実、VTuber
現実/虚構という二分法を改めて考えるところから出発し、アニメキャラクターと初音ミクの存在を補助線としながらオーソドックスなオタク文化論の流れにVTuberを位置づけていきます。そのようなVTuberへのアプローチは、そして、我々が現代において発揮する「想像力」について思考することに他なりません。最新の研究から有名な議論まで巻き込んだアクロバットな論考です。

サボテン:VTuberにハマらないラブライバーの話──バーチャルスクールアイドルの登場とVTuberから見る──
生粋のラブライブ!オタクであるサボテン氏による自伝的論考。従来のアニメファンがどうしてVTuberにはハマらないのか、それはVTuberの長所でもあり短所でもある「供給の多さ」であると言います。また長時間配信や、アニメの側から寄ってくるバーチャル化の流れにも言及した貴重な証言です。

森野鏡:月の兎はヴァーチュアルの夢を見るか?
星街すいせいによるTHE FIRST TAKEの出演、そしてVTuberファンごとの向き合い方の違いなど、リアルタイムでVTuberを観測し続けてきた筆者ならではの綴られ方がした論考。VTuberはどこへ向かうのか。一人の誠実なファンとしての思いが言語化された、非常にエモい文章です。月ノ美兎は出てきません。

きゃくの:主体を再誕させる装置としてのマゾヒズム──ゲイリン・スタッドラーの議論を起点にして
ゲイリン・スタッドラーの議論を起点とし、主体を再誕させる装置としてのマゾヒズムを扱った上で、その構造をメリッサ・キンレンカの楽曲に見出していく重厚な文章です。映画研究の分野において、マルヴィは「窃視的」な鑑賞を行う視線をサディズム的とまとめました。しかし、そこで前提とされる「男性=見る対象/女性=見られる対象」という関係図に不満を抱くスタッドラーは、ドゥルーズの唱える「母」の概念を導入します。そして、かつてにじさんじ所属のVTuberだったメリッサ・キンレンカが発表した『胎生』は、スタッドラーの言うマゾヒズム的な「母」が見られるものとして検討を重ねていきます。

たまごまご:VTuberの夢の在り処~ぼくらはバーチャルに何を見てきたのか~
VTuberの活動とスタイルは、どのように変化してきたのか。ウェザーロイドAiri、キズナアイ、織田信姫、黛灰、ミライアカリ、ぽこぴー、名取さな等々、様々な名前を挙げながら比較、追随していく論考。歴史を独特の切り口から切り拓き、個々の事例に検討を加えていく本論は、VTuber史における「テーマ史」と言えるでしょう。

草野虹:「VTuber」と「音楽」という探検
ライブイベント、歌配信、メジャーデビューなど、なぜVTuberと「音楽」は切り離せないのか。VTuberにおける「メタ/ネタ/ベタ」を検討しながら、彼ら彼女らが持つフィクション性・ノンフィクション性、そして神話性と現実性の生成が音楽というモチーフに回収され、スターダムを形成していくプロセスを論じます。そのダイナミックな論の運びは、音楽とVTuberをクロスさせた、まさに「探検」と呼べるでしょう。

太田祥暉:VTuberのASMRはどこへ向かうのか?
歌配信やゲーム実況の影に隠れてあまり集中的に論じてこられなかったASMRの存在。それとは別に、DLsiteなどYouTube以外でのプラットフォームで展開されるASMRや音声作品も目立っています。しかし、前者が配信の形式でリアルタイムに双方向性が生まれている一方で、後者は予めシナリオが存在しこちらからVTuber側にアクセスすることはできません。両者の違いを浮かび上がらせ、上手く止揚していくにはどうすればよいのか。それを達成しているVTuberの存在も挙げながら、一本線で論じていきます。

塗田一帆:VTuberを信じるということ
『鈴波アミを待っています』の作者でもある塗田氏による、VTuberを「推す」行為の宗教的側面と精神的な在り方について書かれた論考。VTuberを鑑賞する際、我々の中では何が起こっているのか模索するだけでなく、VTuberについてメタ的に考えるうちに忘れそうになってしまう「大切なもの」についても触れられたエモーショナルな一筆となっています。

よーへん:VTuber、ロボットと暮らしAIを育てること
"ヒトの心を救うのは、もはやヒトではないのかもしれない。ヒトの作りしもの、なのだ。"
VTuberかつメタバース住民であるよーへん氏による、LOVOTとの生活を綴った論考。AIやロボットという他者と生活することが我々の価値観をアップデートし、世界を再解釈してくれます。

藍月あんこ:現実とメタバースとハレとケ
VRChatユーザーのオフ会の様子を記述しながら、VR空間を踏まえた上で現実の「ハレとケ」を再定義していく様子を追った貴重な論考。VRChatユーザーとのオフ会という行為自体がバーチャル空間→現実世界へと折り返す視点そのものであり、「VTuber"で"考える」営為に他なりません。バ美肉やお砂糖などの単語が登場する中、いずれも自分という文脈に回収されてゆくのが分かる文章です。

竹馬春風:AI作曲家は誕生するのか?
京大情報学科で学ぶ筆者が考える、作曲AI、ひいてはAI創作についての論考。ほとんど達成されていると言っても良いAI創作家についての現状を説明しながら、アートの定義とキャラクターの役割などからさらに深化していきます。

サカウヱ:ローションカーリングに、あったかもしれない青春を見た
VTuberが見せてくれる「青春」は、確かにそこにあった……。バーチャルには還元されず、確かなものとしてそこに現前する彼らの「青春」を、『【漢の企画】第一回にじさんじローションカーリング選手権』から言語化します。バーチャルだからこそできること、そして青春とVTuberの親和性。本誌でもっとも『青春ヘラ』らしい、VTuber論です。

カルテ:スペイン vs 切り抜き vs 新海作品を知った私
にじさんじ所属・周央サンゴがコラボしていることで話題の「志摩スペイン村」に行ってみたレポート記事。その実態はいかなるものなのか。本当に客がスタッフよりも多いのか。そしてなぜか登場する『秒速5センチメートル』。

すぱんくtheはにー:今日も誰かの誕生日
今回では唯一の小説。VTuberとして活動するも伸び悩んでいた「茶研あいこ」は、ある日、同日にAITuberが大量デビューするとの噂を聞きつける。氾濫するAI配信者と追いやられるVTuber。その後、茶研あいこのもとに一通のメールが届く……。

管木みあ:電脳偶像とその憧憬
現役VTuberとして活動する管木みあ氏。彼女がバーチャルの身を纏った経緯には、根本の部分に偶像への「憧れ」があった。VTuberはアイドルへの憧憬をいかに、どのようにして達成していくのか。活動者側の視点から語られるバーチャルな自分と理想像を横断するような文章です。

ないち:卯月コウ回顧録
感傷マゾとVTuberの共通項といえば、真っ先に名前が挙がるであろう「卯月コウ」。ないち氏が「陰キャメサイア」と名付けた初期卯月から現在に至るまで、どのようなスタイルの変遷があったのか。そして、卯月コウに見出される「青春ヘラ的要素」を考察した、卯月軍団必見の重要な資料です。


特装版

少数限定の特装版では、"架空のVTuberのキャラソンCD"として、大阪大学感傷マゾ研究会公認VTuberである〈勿忘夏(わすれ・なつ)〉にちなんだ『Virtual Mirage Seaside Girl』が附属します。(3曲入り500円、別売り不可)

『Virtual Mirage Seaside Girl』
1.like a 蜃気楼(作詞・作曲:みなみ 歌唱:Osakana)
2.プラトニック・トレイン(作詞・作曲:ゆうよ 歌唱:Osakana)
3.絵空とうたかた(作詞・作曲:竹馬あお 歌唱:Osakana)


おわりに

 VTuberに限らず、何かのテーマを専門的に研究しようと試みるならば、初めに行うことは先行研究の調査かと思います。では「VTuber」を研究する際、先行研究にあたるものは何でしょうか。おそらく、これまで最も参照されてきた文献は『ユリイカ2018年7月号 特集=バーチャルYouTuber』でしょう。中には現在でも目を見張る精度と先見性を含むものがいくつかあり、それらは今のVTuberシーンを考える方法論としても有用です。しかし、VTuber及びバーチャルYouTuberに関しては、この5年で大きくその様相を変えました。「にじさんじ」や「ホロライブ」が凄まじく成長する一方で、キズナアイのスリープやミライアカリの引退等、かつて当たり前に見られていた光景はもはや失われました。日々移ろいゆくVTuberシーンを考えるために、我々はもう一度「VTuberとは何者か?」という根源的な問いに立ち返らなければなりません。
 また、本誌は「VTuberについて考える」だけではなく、「VTuber”で”考える」という方針を中心的に打ち出します。VTuberという特異な存在を出発点にして、哲学、音楽、メディア、キャラクターなど様々な分野に飛び立つことが出来るでしょう。これは昨年発表された山野弘樹先生の論文「『バーチャルYouTuber』とは誰を指し示すのか?」が示した方針を踏襲しており、今後VTuberについて検討する上での重要な方針になることを確信しています。
 もちろん、本誌は『青春ヘラ』ですので、感傷・青春・ノスタルジーといった要素とVTuberの共通項を見出すような作業も怠ってはいません。VTuberと喪失、あるいはバーチャル空間と架空の記憶など、VTuberについて考えることは、常にそれを観察する我々へと視点を折り返すことに他なりません。ぜひ、あなたの日常に、人生に、思い出に、VTuberという項を挟み込んでみてはいかがでしょうか。
(全文文責:ペシミ)

『青春ヘラver.7「VTuber新時代」』
発行:大阪大学感傷マゾ研究会
発行日:2023年4月30日
A5 260ページ 1500円

イベントが終了次第、BOOTHでも頒布します。



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