次の舞台の準備
人の責任を背負わない、自分を大切にする……そう決めた結果、引っ越しが決まり、それだけで気分がウキウキする。
住まいを変えるということは、心機一転できるということ。
人間関係も、いつのまにか溜まってしまったモノも、手放す時がきたのだ。
「次の舞台のために、軽くならなければいけない」ということだと感じている。
スピリチュアルで「ステージが違う人とは一緒にいられなくなるから、人間関係が変わる」ということがよく言われていて、私はその【ステージ】を「レベルの高い低い」だと思っていた。
それが、今回のことで、ステージは言葉通り【舞台】なのだと納得がいった。次の舞台の脚本に出てこない人とは、一旦お別れなのだ。
観客に人気があれば、その次の脚本には出てくるかもしれない。
過去にも、お別れしたくない人たちとの別れがあったけれど、二十年を経て復活したこともある。
「その時」が来れば、また手を取り合うこともあるだろう。お互いが違う経験を積んできてこそ、綴ることができるストーリーがある。
切るべきものは、切る。
が、とりあえずそれは置いておいて、最優先は引っ越しである。タイムリミットが一番早い。
すべては、それが終わってからだ。
と、思っていたら、大好きだけど疎遠になっていた人物から連絡がきた。
「イベントを手伝って欲しい」という依頼で、彼女が携わるイベントは非営利団体によるものなので、お手伝いは完全ボランティア。
それでも私は彼女に会いたいので、いそいそと参加する。
「お手伝いにいきますねー」と返事をしてから、ハテ、と首を捻った。
私は「搾取される」ものと、遠ざかると決めたのではなかっただろうか? ボランティアは、私の時間と技術の搾取よね……?(ボランティアを否定しているわけではありません。あくまでも、私個人の過去の傾向の話です)
何かに試されてるんだな、これは。
オマエは、わかったようなカオで、同じことを繰り返すのかと。
考えた。
そもそも私は、ボランティアは嫌ではない。
他の場面であっても、それほど嫌ではない。
むしろ頼まれなくても、つい世話を焼くのだ。
自分にとって「意味がない」と思われることをさせられるのが、嫌。
そのためにたくさんのこと(時間やお金)を調整して、手を貸しているのに、「当たり前」だと思われていることが、嫌。
このふたつに尽きる。
私は、自分の能力をもっと有益なことに使いたい。
つまり、有益なボランティア(やりたいこと)なら、やっていい!
わりと、わかりきっていた答えが出た。
やりたくないことだらけだったから、少し混乱していたらしい。
ビジネスじゃないんだから、嫌になったら、遠のくか辞めればいいのだ。
よし、辞めにくくなるから、今後は役員は引き受けないことにしよう。これで縛られて悩んだんだから。
ちなみに、今回のボランティアの依頼をしてきた人物とは、私の人生の転換期になると突然に縁が繋がり、何かが終わると、突然に疎遠になる。
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