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連続小説MIA (85) | Chapter Ⅴ

「今日はクロエは一緒じゃないんだね」どちらにともなく聞いてみる。「彼女は友達とペンリスに友達の応援に行ってるみたい、クリケットって言ってたかな。家に電話したら、オリビアが電話口に出て、暇だっていうから一緒に晶馬のところに来たんだよ」という。「迷惑だった?」オリビアは尋ねる。「そんなことはないよ。僕も暇にしてたところだったし」オリビアはうん、と頷く。しばらく、静かな時間が流れた。ベンはビールを飲み干しげっぷをした。オリビアは髪を左右で分けて三つ編みにして、さらに後ろで束ね直している。「もう、ベンってば」とオリビア。みんながくすっと笑う。「晶馬は、いつまでシドニーにいるの?」とベン。僕はちょうどこの頃、オーナーの下で働くようになってから三か月目に入っていた。ワーキングホリデービザでは同一の雇用主の下では三か月をこえて働くことは禁止されている。僕がここで働くようになる前からベンはアルバイトとしてきている。だから、彼は知っている。僕がそろそろここから移動するときだろうということを知っている。「そろそろだなあ、ここは居心地がよかったんだけどね。次の働き口を探さないといけない時期だ」そうだよね、とベンジャミン。穏やかないい天気だ。自分の発した言葉が、すうっと空気に溶け込んだ。彼らと会えたことはまた幸せなことだった。まだ早いけれど、数週間後には彼らにお別れを言わなくちゃいけない時が来るんだな、と実感したのはこの時が初めてだ。「なにか、クッキーでも取ってこようか」と言って僕は席を立った。戸棚を開けて、ゴソゴソとしていると、オーナーが帰宅してきた。「あ、オーナー、おかえりなさい」オーナーは、ただいま、と言いながらたくさんの荷物をどさっと置いた。「今日は疲れたよ。渋滞に巻き込まれてね」と言いながら笑う。「今日の晩は作らずにピザを注文しよう。ベンたちにも声を掛けて来てくれるか?」この提案を聞いて、ふたりは喜んだ。この家ではよくある光景で、みんなオーナーとこの家が好きだった。いつでも穏やかな優しさが満ちている、そういう家。ベンがクロエに電話をした。夕方には、オーナーの家に来れるという。ちいさなパーティの準備が進められた。オリビアは、食事の準備、ベンと僕は飲み物の買い出しを頼まれた。家から少し離れたところで、ベンが切り出した。「オリビアは、晶馬のことを気に入ってるんだよ。気が付かないか?」

    僕はオリビアと初めて会った日のことを思い出してみた。それは、勤務先だったはずだ。定休日のこの日は、オーナーの計らいによって店を貸切りにした。ベンジャミンの誕生日パーティを開くためだ。当日、僕はベンの18歳の誕生日を祝うべく、調理も、配膳も、皿洗いもふくめて懸命に動き回っていた。望んで裏方に徹する日だった。そんな中でときどき、誰かからの視線を感じている自覚があった。客が店の人間を見る視線よりももっとつよい視線だ。

つづく(※平日の正午ごろに連載を更新します)

 (*The series will be updated around noon on weekdays * I stopped translating into English)

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