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芸術とデザインについてかんがえてみる ①

 芸術に興味がある人は、少なからず、デザインにも興味があるものではないか。また、デザインに興味がある人もまた然り、ではないだろうか。私もそのうちの一人だ。良いものを好きになる感性は、私たちにとって大事なものだと思うし、何故それが好きなのかを分析していくことは、自分自身を知る良い機会にもなるだろう。さて、そのような姿勢でもって時間をかけ様々なデザインや芸術に触れていくと、ふとした時に疑問にぶつかることがある。その問いとは、芸術とデザインは、どう違うか。そもそも、芸術とは何か。デザインとは何か。それは素朴で、大したことのない疑問だが、いちど気になりだすと思考を占領するだけの力を持っている。芸術とデザインを比較することによって、この問いを解く糸口を探したいと思う。

 デザインは、身近なところにある。雑誌にあり、WEBにあり、ガジェットにあり、教科書にある。つまり、日常生活のいたるところに存在している。デザインとは、洒落の効いたものである、ともいえる。一昔前のデザインというイメージは、一括りに「オシャレなもの」だった。しかし、テクノロジーの発展と生産技術の発達によって、デザインは身近な存在となり、だれもが楽しめるものとなった。好みに合わせて細かく分類され、多くのデザインが出回ってくると、それぞれを識別するために分類された。それは〇〇系という風に名前がついて、ジャンルが生まれるきっかけになる。このように流れの早いデザイン業界で時代の先端に立つということはすごく稀有なことではないだろうか。そもそも、時代の先端に立つことだけが目的のデザイナーばかりでもあるまい。だからこそ、各分野でよいデザインとはなにか?という問いが立てられる。ここで改めて考えてみたい。よいデザインとは何だろうか。いや、そもそも、デザインとは何か。

デザインとは何だろうか。

デザインとは、何かの用途で、使用されることを前提とされていると仮定してみる。目的やターゲットがあり、目指すべきゴールを持っている。制作のうえでは、いわば、逆算の手順をもっている。規定し、当てはめ、成型する。すでにあるものから選択することも可能であるし、そうしなければいけない場面もある。そうした条件が並んでいる中で、デザインは始まる、と考えてみたい。はみ出してはいけない範囲があり、制限の中でこそ輝くものを探すこと。こうも言えるかもしれない、デザイン思考は、配慮である、と。すでに並べられている素材を観察して、材料として取り出し、最大限に活用する。ここは、芸術にも通じる部分な気もするのだが、デザインと芸術の違いは、ここから先にある。

デザインは、求めるものに応えることが一つのゴールである。デザインのゴールが決して一つではなく他にもたくさんゴールはあるとしても、まずはここが最初のゴールである。では、使う人は何を求めているのだろうか。いくつか考えられる中でもっとも重要な要素は、ユーザを迷わせないことではないだろうか。ユーザーフレンドリーであることは、WEBやアプリケーションではよく求められる要件だ。良いデザインとは、まず一つに、使いやすいことだと言えそうだ。このことは、WEBやアプリケーションなどの画面(スクリーン)の中にとどまらず、店舗やプロダクト、環境整備、作業計画など多くのことに通用する考え方だと考える。公的な場所であればあるほど、たくさんのターゲットがありデザインは定まらない。だから、多くの人が知っているものを使用することが多くなり、使い古されたものが、何度も何度も使われることになる。ピクトグラムなどは、その例だ。1970年の大阪万博から使用が始まったことを考えるとかなり古い。しかし、万博博覧会という機会は、新たなデザインを浸透させるこれとない良い機会だ。2025年の大阪万博では、現代にアップデートされた素晴らしいデザインに出会えることをとても楽しみにしている。デザインとは何か。という問いについて少しずつその姿が見えてきたように思う。現時点で、私にとってデザインとは学べるものであり、優しさによって作られるものだ。ハイセンスであれ、ユーザーフレンドリーであっても、デザインを行った人の意図と言うものが、けっこう見え隠れしているものである。

全文はHUMM.magazineで

Text & photo : 小佐直寛(Naohiro Kosa)

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