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連続小説MIA (93) | Chapter Ⅴ

その老人は、口数の少ない穏やかな人だった。部屋に上げられた僕は、老人の側にあった小さな急須から入れた茶を振る舞われた。白い陶器の湯呑み。濃い湯気が部屋に差し込む光に照らされて揺らめいている。茶は、薄く、苦かった。「あの、これミスター・チャンからです」と僕は言い、預かっていたVHSを手渡す。ありがとう、という仕草をして老人はにっこりとした。老人の瞳は深い位置にあった。それは抽象的な意味でもあり、実際の見た目でもある。深く刻まれた顔の皺。瞳はその奥の方に、小さく静かに位置し、僕を見つめている。同じく沢山の皺が刻まれた頬にはほとんど肉はなく、優しく微笑みを湛えている。この人は、ほとんど英語を話さないのだ。次第に僕は理解した。湯呑みが空になると、新しく湯を入れ、注いでくれる。茶はますます薄く、苦味だけが際立つ。部屋の壁際にはたくさんの本が平積みされていた。背表紙には漢字が並んでいる。すべて中国の本ではないか、と想像した。独居老人、という言葉が浮かんだ。この家には一人で住んでいるのだろうか。まあいいか。僕は配達を頼まれてきただけだ。二杯目の茶を飲み終わり、立ち去るタイミングを探していた。本の方を見ていた僕に気がついた老人は、ごそごそと一冊の本を手渡した。それは大判の写真集だった。山の風景が表紙の「黄山(Yellow Mountain)」と書いてある。峡谷にも靄が掛かる風景は美しく、さまざまな色に溢れていた。老人を見ると微笑みながら、めくってみろという仕草をする。ぱらぱらとページをめくった。高山植物の花の写真や、飛来石とある巨石の写真、他にも沢山の峡谷の写真が収録されていた。僕は見入った。写真集というものはこれまであまり見たことがなかったな、と思った。最後のページをめくり終え老人を見ると、満足そうに僕を見ていた。サンキュー、といいながら手渡そうとすると、本を持っていけという仕草をする。僕は、これを?と本を指差す。老人は頷く。僕は、本を借りて帰ることにしたのだ。

つづく(※平日の正午ごろに連載を更新します)

 (*The series will be updated around noon on weekdays * I stopped translating into English)

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