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アンパンマンの気持ち

世の中にはギバー(与える人=利他の人)と、マッチャー(与えられた分だけ与える人=ギブアンドテイクの人)、テイカー(奪う人=利己の人)がいるというのは、何度か聞いたことがある。成功者は皆、ギバーであり、また自己犠牲しすぎて最も失敗するのもギバーらしい。

いつも絶対ギバー、絶対マッチャー、絶対テイカーである、と固定されているわけでもなく、人はその時々で使い分けているようだ。

ここ二日、アンパンマンを比喩で使いツイッターを投稿した。ほとんど消したので残っていないのですが。

アンパンマンは与えて当たり前の存在。見返りを求めず与え、さらに与えた相手からパン生地がまずいだの、餡が甘すぎるだの文句を言われ、さらに与えた相手からの要求はエスカレートする。(アンパンマンの作品の中にそういったエピソードがあるかどうかは確認していない。わかりやすい例えとして使わせてもらっている。)

アンパンマンはギバーで、与えられた相手のうち感謝をせず不満をぶつけさらに奪う人はテイカーだろう。

アンパンマンはカッコいいけれど、さすがに理不尽すぎるのではないか?自分が自己犠牲しすぎて失敗した時の痛みを思い出すと怒りが湧く。自分自身のことではなくても、見返りを求めず与えているのに、周りから過度な要求をされている人を見かけると、心が痛む。

もちろん、私がいつもギバーであるわけではなく、時々で使い分けているのは言うまでもない。テイカーの時もあるだろう。

それにしても、と思っていた。

数日前、この人はギバーだなと思う人に、「私はこういうシチュエーションになるとやってられないと思ってしまいます。器が小さいからだと思うのですが。」ということを相談してみた。

その方は、お話を聞く限り、ギバーであることに誇りとプライドがあるようだった。
無理をしているわけでも、強がりでもない。与えられることに喜びを感じている人という印象だった。

ギバーで検索すると、かなりの量の記事にヒットするが、ヒントが山ほどある。
どの記事も共通で成功する人は間違いなくギバーだと言っている。そして大損するのもギバーだと。

私が気に入ったのは、“成功するギバーは学ぶために与える”というもの。
「与えることで学びを得る」という表現もあった。

与えた相手から直接リターンはなくても、何かを獲得しているということだろう。

それは、徳なのかもしれないし、器が大きくなるチャンスかもしれないし、魂が成長するということかもしれない。

テイカーに搾取され大損することも大きな学びだということが書かれていた記事もあった。

どのような体験も何かしらの学びはあるだろうが、ここで大事なのは、テイカーに搾取され大損したからといって、もう決してギバーにはなるまいと、守りに入ってしまわないことなのだそうだ。

あの有名なマザーテレサは、見返りを求めずに愛を与えるギバーだったが、その代わりご自身の信仰(信念)を貫くという理想は彼女の人生で大獲得しておられたのではないか。

与えることに喜びとプライドを持てる誇り高いギバーになりたいものだと思う。
そして、ギバーを見かけたら、ささやかに応援したいと思う。

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