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癒しを仕事にすること
占いを受けるのも、鑑定するのも好きだ。正確には、まだ占い鑑定をする側の時は緊張しているので、手放しに好きだとは言えないかもしれない。けれど、占い師のお仕事自体は好きだ。
占いを受ける時は占い師さんに身を任せてアドバイスやタロットカードからの読み解きを聞くのを楽しむ。
鑑定する時は、相手の気持ちを想像して気配りしながらも、鑑定後に少しでも前向きな気持ちになれるような言葉選びをするようにする。
占いが好きになったのは多分大学在学中だったと思う。
当時はまだスマホはほとんど流通していなくてガラケーを持っていた。ガラケーの月々300円の課金でそのサイトの占いをなんでも試せるコースに入って、気になるテーマを片っ端から占っていた。当時はパケット代が高くて、サイトへの課金は300円でも、パケット代が膨大になっていたのは苦い思い出だ。バイト代の大半がパケット代に消えていった。
もっと根本的に占いを好きになった理由がある。
ある時に、街で見かけた占いの館で、半信半疑で占ってもらったことがあった。
「小さい頃から親くらいの年令の親戚から「偉そうに。つき様のお通りですわね。」と言われる。
また、クラスでは目立ったり、嫌われたりしすぎる。街では何もしていないのにめっちゃにらまれます。
私の態度がおかしいのかと存在感を消すように試みてみたりめっちゃ工夫して頑張るのに、どこに行っても目障りに思われてしまう。
高校では死ねばいいのにと言われました。
思い詰めてしまった。
これは、どうしたらいいですか?」
そんな内容を相談した。
占い師の先生は分厚い本を開いて私の生年月日を聞き、何かを調べ、私をなぐさめるわけでもなく、あっさりした感じで答えてくれた。
「目立つ星の配置を持っているからですよ。街中で歩く時はまず、着る服の色を地味にした方がいいですね。」
というものだった。
あっさりした答えに「え?」となったが、自分が何か間違っているから周りから忌み嫌われているのではないと、お墨付きをもらったようで、なんだか気持ちが明るくなったのだ。私が、占いっておもしろいなと思うには十分だった。
大学の心の相談室に同じ相談を何度かしていたが、答えはたいてい
「気にしすぎだし、自意識過剰なんじゃないかな?」
というものだった。
自意識過剰なナイーブな自分が悪いのかなど、さらに苦しくなってしまっていた。
「忌み嫌われるのはあなたの責任ではないのですよ。仕方のないことなのです。」
と占い師から言ってもらえると、心の荷が軽くなったように思ったのだった。
これまでの記事で何度か触れているが、私はいろんな人に相談を持ちかける。
ああでもないこうでもないという話を親しい人に聞いてもらう。それでも溢れる気持ちが抑えられなくなると、カウンセラーや占いに頼ってきた。
相談相手のアドバイスを素直に聞ける時もあれば、反発する時もあった。
占いを仕事にしたきっかけは、よく相談していた占い師の先生から、あなたは占い師に向いているから仕事にしてみたらいいのに、と言われたことだった。その先生は自身のお店で占いを教えていたため、講座に申し込んで教えてもらった。もしかしたら講座への勧誘で「向いているからやってみたら」と言っていたのかもしれないけれど、先生の意図はどうあれこの先生には本当に感謝している。
なぜなら、占いを学ぶことで相談される側の気持ちを想像できるようになったから。
相手が少しでも元気になるようにしたい、前向きになってほしい。気持ちのガス抜きをしてほしい。とはいえ、占い師にできることは限られている。その範囲内で最善を尽くすのみ、という相談される側の限界がある程度わかるようになった。
また、相談される側を経験すると、相談を持ちかけるときの心構えや、質問の仕方などを以前より工夫できるようになった。答えやすい質問の仕方を前より想像できるようになったと思う。
先ほどの「目立つ星の配置を持っているから」と私に告げた占い師さん。これは憶測だが、おそらく、彼女は別に、私が自分の落ち度について責任放棄をしていいという意図はなかっただろう。
そうではなく、辛いのは自分が悪いからなのでは?と自責で苦しそうな相手には、「しょうがない事情があるからなのよ」と重荷を軽くする言葉を送ってくれたのではないかと思う。
まだまだ私の技術は未熟なので、私の技術の限界はもっと広げていかなくてはならないだろう。
最近、オンラインでカウンセラーの資格を取れる講座に申し込み、心の勉強を始めた。民間資格であり、心の国家資格を持っている人とは比べ物にならない程度にはちがいない。それでも、相手の心に寄り添う技術や、専門知識を増やしたいと思って受講を決めた。
こういう文章でも、占いでも、心理カウンセラーでも、その作業や仕事に従事している人がよく揶揄される言い方で「自分が癒されたいから書いている、しているんでしょ?」というものがある。
もちろん人によるけれど、私の場合は「それで何が悪いんだろう?」と思っている。クライアントに自分を癒してもらおうとするのは論外だが、私はこうされたらうれしい、そこから波及してあなたはこうされたらうれしいのね、この人はこうされたら心が穏やかになれた、その理解と受容の知識と技術をアップデートしながら積み重ねてしていく。
そして、気がついたら自分も相手もハッピーになれる機会が少しずつ増えた、それでいいんじゃないだろうか。
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