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「抑圧」と「投影」

先日も、カウンセラーの方にたくさんお話を聞いてもらった。

もう会うことはほとんどありえない相手が、舐めた態度だったことが、いつまでも気になる苦しさ、怒り、その根っこにある悲しさ。
悲しいのを我慢しているのが理解されない寂しさなど。
言いたい放題、心の中身を聞いてもらった。

最近の私の中の流行りで、「私にとってどうなったら幸せな結末なんだろう?」「このモヤモヤはどうなったら解決なんだろう?」と自分に問いかけるということがある。
それをカウンセリングでも話したり、1人きりの時に部屋でノートに書き綴ったりしている。

怒りの根源には、「ないがしろにされた」という悲しさが一次感情としてある。
自分は本当のところは価値がないのではないかという無価値感、自信のなさを根底に持っていると、それを刺激するような出来ことがあると、悲しみ、それは二次感情として怒りとなって現れるそうだ。

また、私は嫉妬深い人間でその感情に振り回されて苦しい。

嫉妬を感じるというのは、何かを我慢しているからなのだそうだ。
我慢していること=自分が禁止していること(抑圧)を相手がしているように見えると、激しく嫉妬してしまうのだそうだ。

例えばダイエットをしている(食欲を我慢している、サボりたいのを我慢して運動している)のに、自分の目の前でおいしそうなものをためらいなく食べまくる相手にもやもやしてしまう、ダラダラしている相手にイライラするなどだ。

こういう内容は、本で読んだり、動画で見たり、カウンセラーの方から教わったりして、
これまでも、実は20代ぐらいの頃から知識として頭の中にあった。

それでもまだ足りない、まだ満足しない私に、あの質問をする。

「どうなったら幸せ?」
「どうなったら解決?」

そういう時の答えは決まっていた。

「相手が態度を改めてくれたら満足。」
「相手が過去の態度を反省して謝ってくれたら気が済む。」
「相手が私の我慢を理解してくれたら解決。」

“相手が変わってくれないと嫌だ。”

それが私の本音だった。

カウンセラーの方に

「私と私を舐めてきた人って、周りから見たらよく似てるらしいんです。」

と話したら、カウンセラーの方は

「そうでしょうね。」

と意外ではないですよ、という顔をした。

ここ数ヶ月カウンセラーの方との会話で出ていた「投影」という言葉が
すぐさま思い浮かぶ。

彼女が私の投影なのは、とてもわかるけれど、わかって、じゃあどうしたらいいのか。

投影、自己投影などのキーワードを入れて検索した。
たくさんの記事にヒットする。記事を読み進めてまた考える。

投影が映し出すものは自分の姿。
その投影に私はずっと怒り、悲しみ、うまくやっているなと嫉妬している。

投影は私を映し出している。投影は私を舐め続けるのである。小馬鹿にしてくる。

私がまだ誰かを舐めているのか?
ジャイアンだった過去を改めたのに?まだ周りを舐めているのか?

あれこれ考えながら検索を続けるとヒットした記事にはこのような内容があった。

相手にこうしてほしい、満たしてほしいと思っているうちは精神的に自立できていない。
自分で自分を満たすことができるようになると自立できる。
他人から愛されなくても自分で幸せを掴める自己信頼ができるからだ。
相手の態度に左右されない「自立」ができる。

というような内容だっった。

投影に、舐められていて苦しいとして、
では、投影にどうしてほしかったのか?

“敬意を持って接してほしかった。”

ここでも、また、相手に変わることを求めているのだが、ここで気づいた。
投影相手=自分だったら、私は「自分が変わることを求めているのだ」と。

そして、私が、

「ジャイアンだった過去の自分」
「未熟だった自分」

を恥ずべきものとして、ずっと軽蔑していたということにも気づいた。
未熟だった幼い自分を馬鹿にして、舐めていた。

カウンセラーの方は私に繰り返しこう言ってくれていた。

「ジャイアンだった自分も一生懸命生きていたのではないですか?」
「ジャイアンにもいいところがあるんじゃないですか?」

と。

いろんな点と点がつながるような感覚があった。
起こること全ての原因は自分にある、というのは、投影のことを示していたのだと。
投影に怒っているというのは、過去の自分にまだ怒っていたのだと。

他人から大切にされない人は、決まって自分を大切にしていない。

というような発信を何度か見かけたことがあり、以前は全く理解できなかったのだが
気づきを得た後なら納得できる。

悔い改めたあとの「改心した自分」だけを今の私は認めていたのだが、
改心する前の「未熟な自分」は決して許していなかったのだ。
条件付きで自分を愛していたということ。
だから目の前に「改心していないように見えるジャイアンのような人」が現れると
許せない気持ちが噴出していた。

改心する前の自分も、その時の自分の精一杯を生きていただろう。
目の前に投影として現れてくれている相手も、間違いなく精一杯の自分を生きているだろう。

それをそのまま認めることが、絶対に癒しにつながる。

その感覚が得られてからまだ数日だが、
なぜか優しくされたり許してもらえることが増えたような気がする。

そして、もう一つの気づきとして、私は心の仕組みについて考えるのがとても好きなんだということがあった。こうして寝ても覚めても考えているのだから。

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