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認知的不協和ー失敗の科学より

今日はいつも通勤中に読んでる本を家に置いてきてしまったためツラツラ投稿。Voicyをちょっと振り返って聞いていました。

認知的不協和ー自分の信念と異なる事実に向き合った時に人間どうするかというお話だそうです。

認知的不協和とはー

自分の認識と直面した事実が異なっている時に生じるストレスだそうです。例えばいい肉を出す店は美味しいワインを置いているはずだ、と思って焼肉屋を探している時に、食べログの点数が高いのにメニューを見て安いワインしかない時に「うーん」と混乱したり(自分だけ?)。。。

捻じ曲げられるのは事実

こうした時人間自分の認識を変えるのではなく事実を捻じ曲げるようです。例えば上の例だとこの食べログの点数はおかしいんじゃない?とか。本当は焼肉屋さんによって食べ方のこだわりが異なり、お酒の種類もそれに合わせたらワインじゃなかったみたいなのが真相だと思います。

この時に恐ろしいのが人間は事実のねじ曲げを無意識にやって自覚しないとか。

教訓

上記はエリートや立場のあるようないろいろなものをしょっている人ほど感情的側面から陥りがちだそう。プライド、キャリア、会社、自分が積み上げてきたものなどなど。そして問題は大きくなっていく。。。

これってフレッシュな目で見れない無意識のバイアスに近い/起因するものかと思います。だから周りに自分にちゃんと意見してくれる人がいるということは重要ですね。

そういう意味では監査という機能もあながち捨てたもんじゃないですね。社外取締役、監査役、会計監査人。さらにローテーション制度などなど。

もうちょっと深掘り

昨日AIについて投稿しました。たくさんのインプットで回帰関数を構築し、次のインプットで推測を出す。今回の場合も自分の経験から推測した内容を仮説としてそれに反すると否定するというシンプルな構造のようにも思いますが、結局この関数の構築のところでインプットとセットの答えに不備・不足が生じると認知的不協和が生じるのかなと。

例えば自分が今まで行った一番いい行いい焼肉屋ではワインもめちゃめちゃ美味しくて、いい焼肉屋→いいワインみたいな自分の中での関数があったとした時に、いい焼肉屋→焼酎で勝負みたいな反事実の組み込みが抜けていたんだろうなと。

ところがここで反事実に出会ったはずなのにそれを受け入れられないのは、感情が邪魔をしたりするする時。これに対してAIはこれを新しい変数として組み込んでいける。

なんてことを考えているとAIの方が正確さでは勝てないじゃんと思う一方、感情は人間が自らのいく先を決める上での羅針盤なので、大事にしていきましょうね(というオチ?)



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