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林家と林家は違う

落語家にはそれぞれ亭号があります。僕は林家。元々は、林屋だったそうですが、四代目か五代目の正蔵から林に家で林家になったそうです。ちなみにこの「はやしや」という亭号は「噺家(はなしか)」から連想したと言われています。最初の成り立ちなんて意外とそんなものなんです。当時の人も、こんな何百年後のことなんて考えてるわけないから、とりあえず付けたんでしょうねえ。だけど、その「とりあえず」がこんな歴史を生み出して行くのもロマンがありますね。

ウチの師匠は、九代正蔵です。

林家、桂、三遊亭、柳家、いろいろありますが皆「亭号」で大丈夫です。おそらく、落語家の元祖である烏亭焉馬とか三笑亭可楽とかめちゃくちゃ昔の方が、始め「亭」が付く人だったから亭号くらいに思って頂ければ大丈夫です。

さて、林家について考えます。

ウチの師匠は九代林家正蔵です。そして、笑点でお馴染みの林家木久扇師匠も林家です。この二つの林家ですが実はルーツが違います。

ねぎし林家

まず、ウチの師匠を辿ってみましょう。ウチの師匠のさらに師匠、僕から見れば大師匠は、かの初代林家三平師匠です。そして、三平師匠の師匠は七代目の正蔵師匠です。流れで言うと「七代目正蔵-初代三平-九代正蔵」です。

そして、この七代目の正蔵師匠は元は柳家小三治だったんですが、あることがきっかけで小三治の名前を返すことになり、六代目正蔵の遺族から名前を譲り受けて七代目を名乗ったと言われています。

今だったら柳家が林家に変わるってことは普通ないんですが、昔の落語家の名前の移り変わりを見ると結構そういうことが見られます。余談ですが、「どうもすいません」のフレーズはこの七代目正蔵師匠が作ったと言われています。

これがウチの林家のルーツです。だから辿ると柳家なんですね、ウチの一門は。

さらに余談ですが、「三平」という名前はこの七代目が柳家で前座だった頃、柳家三平と名乗っていたのが最初で、それを息子に付けてあの「林家三平」が誕生したんですね。

木久扇師匠の林家

では笑点でお馴染みの林家木久扇師匠のルーツは何か?

木久扇師匠の師匠は八代目の正蔵師匠です。晩年は名前を返上して「彦六」を名乗っているので、そちらに馴染みが強い方が多いかと思います。「彦六伝」というネタまで存在するくらい個性的な師匠です。怪談噺が特に有名で、僕も音源を聴かせて頂いていつも参考にしています。

ではこの八代目の正蔵(彦六)師匠の師匠は誰か?この方は、色々と移籍とか師匠の逝去などがあり、最終的には四代目蝶花楼馬楽の門下に入ったようです。Wikipedia便利!で、そのまま五代目の馬楽をもらって、そのあと一代限りということで八代目の正蔵を名乗られたわけです。

この一代限りの理由とかは説明すると長いので割愛します。彦六師匠のWikipediaを見て頂くと詳しく載ってますのでご覧ください。

流れで言うと「四代目蝶花楼馬楽-八代目正蔵-木久扇」です。

こうやって見るとルーツが違うことがわかります。図にすると分かりやすいのですが、それはいずれYouTubeでやりますかねw

辿って行った先が同じ師匠に行き着いてないので、林家でも違うということになるんですね。ただ、名前というのは不思議なもので、アイデンティティというんですかね、「林家」というのを聴くだけで同じスピリットのようなものはいつも感じでいます。上方(大阪)のも林家の方がいますが、これも元々は江戸に居た方が向こうに行って広がったそうです。なので、上方の林家の方の名前を聴いてもなんか同じスピリッツをどこか感じてしまいます。名前の魔力ですね。

皆さんもありませんか?

同じ苗字の人に親近感が湧くとかって。そんな感じです。違うかw

林家

林家は初代が「怪談噺の祖」と言われた方で、五代目までは師弟で繋がっています。名跡は、今でこそその一門の方で実力のある人が継ぐということになってますが、以前は他の一門から移籍して来て名乗ったということが結構あったみたいです。

歴史が続いて行く中で、一門の仲間意識が強くなって、名跡はやっぱり一門の誰かが継ぐべきだという風潮が今はあるんだと思います。

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