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中村仲蔵

あらすじ

弁当幕と呼ばれた仮名手本忠臣蔵の五段目。その斧定九郎役を任された名題になったばかりの中村仲蔵。妻に諭され、役の工夫を考えようと柳島の妙見様へ願掛けをするが、役の工夫はなかなかつかない。家に帰ろうと蕎麦屋へ立ち寄ると、雨の降る中入ってくる一人の若侍。黒門付姿で、髪はざんばら、全身ずぶ濡れ、この形を見て定九郎に応用しようと、当日張り切って演じる。蕎麦屋で見た侍を参考に演じた中村仲蔵の斧定九郎。しかし、客は誰も何も言わない。掛け声も掛からず、これは大恥を欠いたと、江戸から離れるため、旅支度をして家を出た。日本橋の魚河岸を通ると、定九郎が良かったと話す人の声が耳に入る。このことを女房に話して置き土産にしようと家に帰ると、師匠の中村伝九郎から呼び出しがかかっていることを聞く。急いで師匠の元へ行き、この度の失敗を詫びると、師匠から出た言葉は思っていたものと違っていた。仲蔵の斧定九郎の芝居があんまり良いから江戸中の小屋からお呼びがかかっていると。お客が何も言わなかったのは、感心しすぎたせいだった。かくして、たった一役で名優となった中村仲蔵の出世物語。


噺のはなし


落語と歌舞伎は切っても切れない存在です。歴史は圧倒的に歌舞伎が古いですが、お互いに良いところを取りあって共存してきました。


と言ったらなんだか、研究者みたいな言い方ですけど、とにかくこの二つは親和的、昔から仲が良いです。寄席の太鼓は大体歌舞伎から持って来てるし、歌舞伎の演目の中には落語の演目から取ったものが沢山あります。


「らくだ」「文七元結」「芝浜」「怪談牡丹灯籠」「怪談乳房榎」「星野屋」


他にもいっぱいあります。


反対に落語には、歌舞伎を題材にしたものが多くあります。そのほとんどが、歌舞伎の真似事をする若旦那だったり定吉だったり権助だったり、素人芝居を題材にしています。


「七段目」「四段目」「一分茶番(いちぶちゃばん)」


などがそうですね。


さらに、歌舞伎を扱った噺には役者の人物伝のようなものがあります。それが、


「中村仲蔵」「淀五郎」


どちらも仮名手本忠臣蔵で、ある役を演じる役者の話です。「淀五郎」は四段目の塩谷判官、「中村仲蔵」は五段目の斧定九郎。


二つとも役者が役に苦悩するのは同じですが、状況が違います。前者の方は大抜擢、後者の中村仲蔵はその逆で、やっと名題(落語家で言う真打格)になったのにしょうもない役をもらってしまったことを嘆くところから始まります。


五段目は僕も好きな演目で、内容はとても短いんですけど、斧定九郎が与一兵衛を刀で刺して、金を数えて「五十両…」と一言だけ発するそのシンプルな中に、怖さが凝縮されていてとてもカッコいいシーンです。


今は斧定九郎も立派な役ですが、当時は名題はやらず、そもそも五段目は弁当幕。そりゃあ仲蔵も怒るわけです。


だけど、妻の「短期は損気、なんとか踏ん張んなさい。」という言葉に奮起するんですね。


この噺は、女房のお岸が健気なんです。自分の旦那が苦労している姿をただ応援する。そして、仲蔵はしくじったと勘違いして江戸を離れると言った時も、何も言わずに送り出す。本当にこの仲蔵に惚れている証拠ですね。


だけどこの噺はやっぱり中村仲蔵の苦悩の話なんで、女房を出し過ぎて夫婦のはなしにするのは違うと思っています。


きっかけというかポンと背中を押してくれたのは女房だけど、そのあとは本人次第なんです。男が一人で芸に苦心する姿は、落語家自身がいつも感じていることなんで、等身大で語れるんですよね。


なので、僕は若い内は中村仲蔵で、少し経ったら淀五郎をやろうと思っています。


この噺は、オチが結構みんな違っていて、圓生師匠も先代の正蔵師匠も違うし、今現役でやっている人もみんな結構違います。


僕はどうかというと、教わった方のオチを少しアレンジしてやってます。


師匠に褒められて、女房にその報告にして、


仲蔵「俺の定九郎は大当たりだってよ。」


お岸「そうかい。そら良かった。それもこれもみんなお前さんの苦労のおかげだね。」


仲蔵「いやあ。定九郎のおかげだ。」


地口(シャレ)でサゲてます。地口落ちってオチの中では、割と軽いので、あまり多用したくないんですけど、この場合の地口落ちは、良いオチだと思います。


人が苦悩して頑張る姿を見たい方は是非「中村仲蔵」を聴いてください♪



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