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圓朝忌と真景累ヶ淵

本日8月11日は毎年恒例の圓朝忌へ出掛けて来ました。菩提寺である谷中全生庵で法要が行われ、落語協会にとっては公式な行事でもあります。

いわゆるお経をあげて、法事をするわけですが、少し他の法事と違うのは、最後に奉納落語があるところですかね。

本堂に向かって落語をします。落語家とお客様を背負って本堂に向かってやる落語は妙な緊張感がありますが、今日だけしかない特別なものでもあります。

今年は三遊亭窓輝師匠が「田能久」を奉納しました。

法事が終わると扇子供養というのがあって、落語家が扇子をお焚き上げして、この会は終わります。

今年はこの暑さのせいでしょうか、芸人も一般参列の方も少なかったように思います。扇子供養の時の暑さといったらたまらなかったですねほんと。

さて、実を言うと私のメインイベントはここからで。


題にもある通り、今日は「真景累ヶ淵」をやる日なのです。鈴々舎馬桜師匠のお声かけで「圓朝座」に昨年に引き続き呼んで頂きました。

昨年は馬桜師匠が「豊志賀の死」を。私が「お久殺し〜土手の甚蔵」を。

そして今年は馬桜師匠が、去年私がやった場面のその続きの「お累の婚礼」、私が「勘蔵の死」をやりました。

もうね、汗だくですよ。

僕はなぜ怪談噺が好きなのか、今日少しわかったんですが、とにかく汗をかきかきでやってるんですよ。今日は五〇分です。普段の長講よりもさらに汗をかくわけで単純にそれが達成感に繋がってるんじゃないかと。そう思うくらいに、この時期の長講は痺れます。

「落語は覚えて当たり前」

これが普通なんですけど、圓朝ものに関しては、覚えるのに苦労します。言葉使いも他の噺とは大きく違ったり、とにかく長かったり、もう本当に大変だし、あとは何よりも「費用対効果」ならぬ「稽古対効果」が少ないんです。

あんなに必死で覚えたのにあまりウケない(笑)

ここが一番辛いんですよね。しかも真景累ヶ淵は連続ものなので、やる場合は単品でなかなか出来ないんです。どこかを二席続けてやるリレーとかじゃないとあまりできないんです。だからこそ今日みたいなリレーはとてもその意味を成してくるので、本当に僕にとってはありがたい企画なのです。

「勘蔵の死」はなかなか一席では出来ないので、今日は前段の「お累の婚礼」の続きとしてやらせてもらって嬉しかったです。

「勘蔵の死」は、羽生村へと逃げ延びた新吉に手紙が来て、勘蔵が大病だからと言うんで江戸へ戻るところから始まります。勘蔵は「豊志賀」で出たっきりの再登場で、この場面で死にます。その中で、新吉が旗本の子で、叔父だと思っていた勘蔵は実は父の家来で門番をしていた人だ、兄に新五郎というのが居る、なんてことが明かされます。

野辺の送りを済ました新吉が羽生村へと帰ろうとするが、如何しても駕籠が千住の小塚原で止まってしまう、仕方ないから歩いて千住へ行こうとするとそこで新五郎に出会う。聞けば誤って女を殺して、逃げたがお縄になり、牢を破って2年になるという。説得する新吉だったが、新吉が三蔵という仇敵の家に身を寄せて養子になったことに怒り出し、喉元をぷつり!

が、これは夢だった。駕籠屋に起こされ、ふと見るとここは小塚原の刑場。捨て札を見ると新五郎が女を殺して百両盗んで役人に手向かいしたことで獄門に処すとあった。今夢で見た通り。家に帰れば、子供が生まれるが、この男の子が新五郎に生き写し。君が悪くて抱く気になれない新吉が、無縁仏の墓をお参りしていると、お賤という女に出会う。これが旧知の仲と知り、これから名主の妾であるお賤の家に通うことになる。

というのがざっくりしたあらすじです。

あらすじで言うとあっという間ですねほんと。

だけどやると五〇分です。

これがたまんないですね。やる方も聴く方も「骨」ですね。

真景累ヶ淵、来年はいよいよ大団円。「お累の自害」「聖天山」をやりますよー。

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