噺のはなし『みそ豆』

あらすじ

丁稚の定吉が旦那に頼まれ、台所にみそ豆を見に行く。見てこいと言われたのに、美味しそうなので食べてしまう。そこに旦那。怒られて使いに出される。旦那はぶつぶつ文句を言いながらも、美味しそうなので同じように食べてしまう。このまま食べていたら見つかるので、はばかり(便所)で食べようと一人こもってみそ豆を食べている。
そこに定吉が帰ってくる。旦那がいないのでみそ豆を食べる。だけどここで食べていたら旦那に見つかるので、隠れて食べよう。はばかりなら見つからないだろうと戸を開けると、旦那が座り込んでみそ豆を食べている。
「こら、定吉何しに来た」
「おかわり持って参りました」

唯一の噺

このネタは師匠から唯一教わった噺で、僕が落語家になってはじめて覚えた噺でもあります。

このネタは本題だけだと5、6分しかないので、小咄がいくつかついています。

僕が教わったのは、一分線香即席噺(上・下の往復一回の洒落噺)と回り落ちの『回り猫』、トントン落ちの『七日八日』

これらを足しても10分ちょっとの一席です。

二つ目初期の頃にやりまくる

この噺は二つ目になってからの方がやりました。前座の高座は鈴本や池袋だと15分きっちりあって時間が足りないんです。なので、寄席では子ほめや牛ほめの方が多くて、意外とみそ豆の出番が少なかったです。

二つ目になると、独演形式の会とかだと一席目に長めの枕からみそ豆をやるという流れが多くありました。

そらまち亭という、スカイツリーの施設内で毎日あった高座で、それこそ年間100回くらいやっていたこともありました。

大事な噺に危機を覚える

受ける噺って、ずーっとやりがちなんですが、それがかえって僕は怖くなって来たんです。

「このまま『みそ豆』ばかりやっていたら他の噺が上手にならないんじゃないか」

いつからかそう思うようになって来て、ここ5年以上は年に数回しかやらないネタになりました。

先日、数年ぶりにやろうとしたらセリフを忘れかけていて、自分でも驚きましたけど、それぐらいやってなかったんですね。

短いのに落ちが秀逸

このネタのすごいところは短いのに落ちがちゃんとしているんです。洒落で落とす地口落ちでなく、少し考えさせられる落ちになっている。だけどその考えさせるもすごく深い訳じゃないので、落ちを言ってフッと笑える。そんなところが良いんですね。

長い噺なのに最後はくだらない洒落で終わる噺がたくさんあるので、そういう意味でも稀有なネタだと思います。

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