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柳家小三治師匠の想い出

令和3年10月7日、小三治師匠がお亡くなりになりました。落語協会のTwitterで知りました。受け入れたくなかったですが、楽屋の貼り紙を見て現実を突きつけるられました。

私ごときが師匠のことを語るのは大変恐れ多いことですが、私にとってはとても大事な方ですので、少しお話しさせていただきます。

全てを変えた『道灌』

大学の落研に入るまで、まともな落語を聴いたことありませんでした。そんな私が、初めて覚えた落語が『道灌』です。ウチの落研は、一年生の間は先輩がやるネタを決めます。そらそうです。落語を知らない一年生が多いので、何のネタをやって良いかも分かりませんからね。私の同期は他に3人居て、『牛ほめ』『手紙無筆』『子ほめ』を与えられていたと思います。

そして、僕に与えられた課題が『道灌』です。恥ずかしながら、道灌というのが人の名前だとも知らないくらい無知な私でした。そして、その『道灌』の音源が柳家小三治師匠のものでした。この小三治師匠の道灌との出会いが僕の人生を変えたと言っても過言ではありません。

『道灌』という噺は、柳家の前座が最初に覚える(違うネタの場合もある)ことで有名ですが、ウチの落研は先代の小さん師匠とのお付き合いがあったこともあり、小さん師匠の噺を覚える人が多かった。そんな柳家の噺の一つが『道灌』ですが、この噺は本職の我々もなかなかやらない。これを得意にするってのはすごい噺家の印です。それくらい難しい噺です。だけどウチの落研はそんなことはお構いなしに、何故か柳家の遺伝子を落研に吹き込もうとしているので、一年生の誰かが『道灌』をやることが多かった。

そんなわけで最初に覚えた噺がこの小三治師匠の『道灌』。当時はカセットテープでしたが、家に帰って初めて聴いたこの『道灌』。身体に電気が走りましたね。内容というより、「このおじさんが喋ってるの面白い。」という感じでした。当時はまだ落語耳が出来ていませんから、八っつぁん熊さんの喋り方とか、隠居が出てくるとか、そういう世界への新鮮さとかが先行して、内容まではよくわからなかったんですが、ただこの“小三治師匠という人はとても面白いんだ”というのだけは、素人のわたしにもよくわかりました。

それから、部室で『あくび指南』『短命』『小言念仏』『らくだ』『味噌蔵』等々、小三治師匠を聴き漁り、そのあと五代目小さんを聴いて、そのルーツにも触れ、落研時代は小三治師匠と小さん師匠ばっかり聴いている落語小僧でした。

だから私の落語の原点って小三治師匠なんですよね。あの人間から出るおかしみ。何気ないやり取りの中に、その人物の深みが出る。そんな小三治師匠の落語が私の心の中にずっとずっと残っています。

初前座のトリが小三治師匠

そんな落研時代を過ごした私ですが、入門したのは林家正蔵です。その経緯はまた長くなるので、ここには書きませんが、前座になって初めて入った寄席のトリが小三治師匠でした。15年前の鈴本演芸場夜の部、今でも忘れませんね。憧れの小三治師匠に会える。心躍りました。もちろんこちらは前座ですから虫けら同然です。だけど、初日を迎えて噺家として同じ楽屋にいるのが不思議な感じがしました。

小三治師匠が楽屋に来ると前座は背筋が伸びます。そして、楽屋に居る間はずっと気を遣います。そういう緊張感のある、数少ない師匠でした。

一度、私の小三治愛が爆発したことがありました。とにかく師匠と喋りたかった僕は、師匠が帰る時に楽屋にあった差し入れのお菓子を持って行って「お一つ如何ですか?」とおすすめしたんです。たぶん、そんなこと言う前座はいなかったんでしょうね。少し驚いた様子でしたが、「あ、ありがとう。じゃあ、一つ頂くよ。」とお菓子を持ってお帰りになりました。あとで、立て前座だった先輩に「お前、よくあんなこと出来るな?」と言われました。

恐さより、好きさが凌駕した瞬間でしたね。

小三治師匠が客席に⁉️

前座の終わり頃でした。小三治師匠が落語協会の会長になられました。ものすごく、自分の方針をお出しになられていて、二つ目昇進も真打昇進も簡単には出さねえぞという雰囲気でした。

そんな中、池袋で「二つ目勉強会」という落語会で私が前座をやった時です。あの会は、18時開演なんですがその15分前に前座が上がります。私が、その日の出番で17:45に高座に上がって、噺も半ば辺りだったでしょうか、小三治師匠が客席に入ってきました。一番後ろに座って、落語を聴き始めたんです。

「二つ目勉強会」は落語協会の理事の方が何人か実際聴きに来る場所なんですが、普段は来る方は決まっています。

なのでまさか会長になりたての小三治師匠が自ら来るはずはないと思っていたんですが、どう見たって小三治師匠です。なんでだ?と思いながら、なんとか高座を終えて、降りてすぐ、その日出る二つ目の兄さん方に「あのう、小三治師匠がみえてます。」と伝えると、皆一様に、「嘘つけよ!こんなとこ来るわけねえだろ!?」と全く信じてくれない。こんなとこってのも酷いですけどねw

だけど、そのあと兄さん方が高座から降りる度に「居たよ…本当に居たよ…」と青ざめた顔で降りてきた時は少し笑っちゃいましたけどね。

これはつまり会長になって、誰か抜擢出来る二つ目は居ないかと光る若手を探しにきてたんですね。それから、何度か二つ目勉強会に顔を出して、ご案内の通り三人の抜擢を敢行されたわけです。

その頃前座だった私は少し二つ目昇進が遅れて、5年弱前座をやりました。今考えればその頃の半年とか一年はあまり関係ないんですけどね。

東日本大震災があったときの会長は小三治師匠です。

感謝、感謝。

いつも、ブレる時は小三治師匠か小さん師匠を聴きます。

「落語は、笑わせるんじゃない。笑ってしまうもの。」

落語において一番大事なことを思い出させてくれる師匠の落語はずっとずっと残り続けます。本当に本当にありがとうございました。

小三治師匠、安らかにおやすみください。

ありがとうございました。

卵かけご飯は小三治式の林家はな平より

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