東京落語会の前座
前座の頃、約三年間レギュラーがありました。東京落語会です。
ニッショーホールという虎ノ門にある会場で毎月前座をやっていました。
この落語会の前座は三人で、昔から芸術協会二人に落語協会一人と決まっていました。落語協会の前任は、現志う歌兄さん当時の歌太郎兄さんです。
太鼓が割と出来て前座になって一年くらいのタイミングにぶつかると運良くこういうレギュラーがもらえます。しかも僕は前座になってまだ一年でしたからかなり長くこの仕事を務めました。ラッキーでしたね。
最初はA太郎兄さんと現伸右衛門兄さん(当時雷太)が一緒で、僕が卒業する頃は現柳若さん(当時鯉茶)と現遊里さん(当時小曲)でした。
東京落語会はNHK「日本の話芸」で放送されます。全部じゃなくて、大体中入り前の方とトリの二席を収録していたかと思います。
ここ落語会は、収録の方が三〇分ずつの1時間、また他の三名も長い高座なので、いつも10時くらいまでやってましたね。お客さんも800名くらい居て、三ヶ月に一度高座があるんですが、10分だけど800名の前でやれる喜びがありました。
出演者はかなり重鎮の方が多く、芸協だと歌丸師匠、米丸師匠、桃太郎師匠、米助師匠、この辺りは常連で良くお出になっていました。
落語協会は、亡くなった圓歌師匠を筆頭に、馬風師匠、小三治師匠、円蔵師匠、扇橋師匠、円菊師匠など、今は亡くなってしまった方もいますが、大変貴重な高座を聞かせて頂きました。
歌丸師匠はまだまだお元気なころで、タバコもぷかぷか吸っておられる頃で、とてもカッコ良かったです。
桃太郎師匠は隣にいつもおかみさんを連れて居て、会うたびに「正蔵さんは元気か?」と気さくに話しかけて下さいました。
この東京落語会は、前座を卒業するときにプロデューサーの千葉さんが、必ず時計をくれるんです。NHKの刻印がされている腕時計です。
なので卒業した人は皆持っています。
だけど僕はどういうわけか懐中時計でした。
「ごめん。腕時計切らしちゃってて。」
ということでした。なので僕だけ他の人と違って懐中時計です。
懐中時計は高座に持って行き、邪魔にならないとこに置いて、時間通りに降りなければならないときに使っています。
逆に今となってはかなり重宝しています。
千葉さん、お元気かなあ。とても優しいおじさんだと思っていましたが、今はもう定年退職されたと伺いました。
とても若いと思っていたんですけどね。結構お年だったみたいです。
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